OSHO「英知の辞典」 <30>真実 TRUTH
「英知の辞典」 <30>
OSHO, スワミ・アナンド・ソパン 1996/05 めるくまーる 単行本 579p
真実 TRUTH
教えなどというものはない、真理は教えることはできない、と禅は言う。誰もあなたに真理を授けることはできない。真理はあなた自身の魂のなかにみつけられなければならない。それを教典から借りてくることはできない。それを伝えることすら可能ではなく、それは表現できないものだ。
真理は言葉のない沈黙のなか、深い深い瞑想のなかであなたに起こる。思考がなく、欲望がなく、野心がない、その無心(ノーマインド)の状態のなかで、真理はあなたのなかに降りてくる---あるいは、あなたのなかに昇ってくる。
真理の次元に関する限り、そのどちらも同じことだ。なぜなら、最も奥深い主観性の世界では高みも深みも同じものを意味するからだ。それはひとつの次元、垂直の次元だ。
心(マインド)は水平に動くが、無心は垂直に存在する。心が動かなくなるとき---それが瞑想のすべてだ、心の停止、心の全面的な停止---あなたの意識は垂直になり、深みと高みがあなたのものになる。
だからあなたは、パタンジャリ、バーダラーヤナ、カビラやカナーダのような多くの神秘家が言っているように、真理は降りてくると言うことができる。それはアヴァタラン---高みからあなたに降りきたったものだ。そのために人が自己を悟ったとき、彼は「アヴァターラ」と呼ばれる。
アヴァターラとは、真理が彼のなかに降りてきたという意味だ。アヴァターラという言葉はたんに上方から、彼方から降りてくるということを意味する。
だが、もう一方の表現も正しい。アディナータ、ネミナータ、マハヴィーラ、ゴータマ・ブッダ、これらの神秘家は真理は彼方からやって来るのではなく、それはあなたの存在の最も奥深い源泉から昇ってくるのだと言っている。それは降りてくるのではなくて昇ってくるもの、わき上がってくるものだ。
どちらの表現も私にとっては正しく、同じことを二つの言い方で言っている。それはその次元は垂直だということだ。あなたは高みという語彙で語ってもいいし、深みという語彙で語ってもいい。だが、真理はけっして外側からやって来るものではなく、だから誰もがあなたに教えることはできない・・・・・・。
禅は、真理を伝えることはできないのだから、それは師(マスター)と弟子の関係のなかでしか起こりえないと言う。それは教えることができないのだから、教える者と教えられる者の関係も成り立ちえない----教えというものはないのだから教える者も教えられる者もない。だが、それは伝えられる。直伝はハートからハートであり、教えは頭から頭だ。I AM THAT OSHO p331
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