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2013/12/10

「だまされるな東北人」―『東日流外三郡誌』をめぐって 千坂 げんぽう (編集)


千坂 げんぽう (編集) 1999/03 本の森 単行本 295ページ
Total No.3135★★★☆☆

 「東日流外三郡誌」(以下、和田家文書)に関する、この手の批判本は限りなくでてきそうだが、原田実「幻想の荒覇吐(アラハバキ)秘史」(1999/03批評社)に続いて、この本をめくってみたのは、地元の出版者からの発行だからだった。編集者にも多少面識があるが、この本がでた時の人々なのかどうかは知らない。

 2冊も読めば、大体どういう傾向の評価がされているのか、分からざるをえないし、今さら、このいわゆる和田家文書を云々して時間を費やす気はない。

 昭和48年12月25日に刊行された「車力村史」に「東日流外三郡誌」が引用されていたのである。p254

 「公的」出版された「偽史」がスタートするのは、この地点らしい。この時代と地名に、不思議な縁を感じる。前年、高校を卒業したばかりの私は、ミニコミを作っているということで、NHKテレビに出演したことがある。その時、共演したのは、青森県の車力村小学校の分校に勤務していた安田慎氏だった。彼を尋ねたのが、この年代の冬である。

 ああ、このお騒がせな書物は、あの時代に、あの空間から飛び出してきたのか、と、懐かしくさえ思う。

 南都六宗は、今の宗派とは違うのです。今の仏教の宗派につながるのは、天台宗と真言宗からなのです。今のわれわれのイメージの宗とは違って、奈良時代の南都六宗は、正式のお坊さんが学ばなければならない、六つの学問の分野なのです。(略)

 今の宗派と奈良時代の宗派は違うのです。東大寺というのは、華厳宗を中心に学ぶところなのです。興福寺は法相です。東大寺で学ぶ華厳と興福寺で学ぶ法相は、やや傾向が違うのですが、そこで学ぶ人は、華厳のほかに成実を学ぶとか、法相の人は三論を学ぶとかしているのです。千坂げんぽうp77「東北の『歴史改竄』に関係した人々」

 本の趣旨からは外れてしまうが、この「三論」に、今後当ブログも突入しようと思っていたところだった。

 しかしまぁ、このような「逆風」の中で、1995年に飯沼史観が世にでたのかと思うと、その軋轢や、ただごとではなかっただろうな、と思う。私なんぞは、このような世界からはさっさと遠ざかっていた。

 でも、今回の3・11で、津波ばかりではなく、飯沼史観は、どのように「反証」、「検証」されていくことだろう。すくなくとも、この本には「ホツマ」に関しては一切書かれてはいないし、それに類する勢力を積極的に書いているところはない。

 ヒタカミについても、ほとんどなし。ただ、アラハバキについては、あちこちで触れられていて、和田家文書ばかりでなく、アラハバキそのものが、あやふやなものと見なされているようである。

 ただ、なんだかこのタイトルが変だな。騙されたのは、東北人ばかりではなく、あちこちの好事家だったのではないか。東北人だって、最初からほとんどの人は騙されていない。あるいは、「なんでも鑑定団」を見るまでもなく、日本各地で、似たような事件は起きているのではないだろうか。視野を広げれば、世界的にも、同じようなことは起きている。

 地元の出版社からとは言え、やはり、ここで「東北人」を使うのは、あんまり気持ちよくないと、東北人の一人として思う。

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