« 「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義 <6> | トップページ | 「甦る古代 日本の真実」 全訳秀真伝 記紀対照―1300年の封印を解く 千葉 富三<2> »

2013/12/09

「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩 千葉 富三 <2>

<1>よりつづく 

Tiba2
「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩<2>
千葉 富三  2009/7/1 文芸社 ハードカバー 1227ページ
★★★★☆

 なにはともあれ、ざっと目を通してみる。大体の構成は、ホツマツタエの本文を、ホツマ文字(オシテ)、カタカナ(音表記)、漢字読み下し、の横書三段訳、として表記してある。だからもとももと松本善之助氏などが掘り起こした元々のホツマツタエとは、基本的に同じものである、ということになるだろう。

 それらが1000ページほどあり、それを包むように、前段での解説、後段の検証が、それぞれ100ページあまりづつ存在する。つまり、著者の言を拾いたければ、まずは、この前後の数百ページをめくれば、まずは大略の一部はつかめるということになる。

 前段の「解説」はともかくとして、後段の「検証」については、かなり突っ込んだ内容が書かれている。「第3部 秀真伝”36”の検証」p1057。「36」には、別段意味はない。著者が気付いた36のポイントからの「検証」である。

 原田実(あるいはテレンス=ハインズ)に言わせれば、正統科学になりたければ、立証、反証、検証、が必要ということになる。ここでは「検証」ということになるのだが、当ブログにおいては、そもそも立証も反証も立ち会っていないので、ここでいきなり「検証」から入るのもどうかと思う。

 もうすこし基礎的学習なり、助走が必要であろう。そう思ってみるのだが、そもそもが松本善之助の一連の研究が現代ホツマの突破口をつくり、鳥居礼などの追加文献が、それを補助し、佐治芳彦などの「物書き」が、面白ろ可笑しく書きたてて輪を広げていたとすれば、私は、それなりに、かつて、その「輪」に加わっていた、ということになる。

 20年前、私には「ホツマ」は難しかった。とにかく面倒くさい。これらの歴史を全部学ばなければならないのか、と思うと、うっとうしくなった。「ホツマ」という言葉の響きに誘われるものの、次第次第に身を遠ざけた。これは私の道ではないな、と。

 その時代は、敢えていうなら、ホツマ研究の「立証」の時代にあったのである。その事実を私なりに「見ていた」ことになる。

 そして、その後の1990年代のいわゆるスピリチュアリティ「逆風」の時代、メディアを中心に、類似のデータに関しては、かなりの質と量で、「反証」が行われた。その当事者ではまったくないけれど、間接的に、あるいは半間接的に、その「反証」の場に、私もいたのだと思う。

 私は、反証する側であり、また反証される側でもあった。いずれにせよ、おびただしい論戦が繰り広げられ、あんまり戦いの好きではない私は、それらの場から、静かに立ち去らざるを得なかった。「論争」が好きでないのである。

 イニシエーションの場において、私はマスターOSHOから、「議論をしている人々に神が宿ることはない。感性を通じて神にいたりなさい」と申し渡されている。

 私が論争が嫌いだ、と言ったら、過去の友人たちは笑うだろう。私自身「論戦が好きな人間」だと思っていた。それを喝破したOSHOは、私に「感性」というサニヤスを与えた。

 それからの私は、務めて議論から遠ざかるようになった。いまでもツイッターやフェイスブックなどの「論戦」には一線を引いている。しかしながら、だからと言って、これまで、私の「感性」が見事に開かれ、「神」に至った、という風でもなさそうだ(失笑)。なにはともあれ、表立った論戦には参加しにくいスタイルをとってきた。

 ここに来て、「検証」である。

 これまでの経緯で、3・11後に、次第にホツマの方へ流れてきた訳には、いくつかの経緯がある。まず飯沼勇義「3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ」(2011/6 鳥影社)に、ホツマツタエがかなりの重きを置いて紹介されていたこと。

 そして、今回思いだしたのだが、青木純雄他『よみがえる日本語』 ことばのみなもと「ヲシテ」(2009/05 明治書院)が、一年ほど前に、さる方から贈本されていたことだった。その時の印象をすでに当ブログにメモしている。

 そして、今回さらに飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」(2013/03 鳥影社)が発刊されるに至って、私のホツマ「熱」はふたたび、その幕を切って落とされた、と言える。

 今現在、当ブログにおいて、飯沼史観で述べられている史跡や地理的ポイントを、自分の足で「検証」中である。そしてまた飯沼史観における、ちょっと危なっかしい(と見えてしまう)「立証」性について、私は私なりに、「反証」可能性を求めて、模索を始めているのだ。

 ホツマについても、一通り、自分の「足」で歩いてみなければなるまい。その一環として、飯沼御大が推奨している限り、この千葉富三著書を、自分なりに「検証」しなければならない。

 しかしまぁ、それにしても、ホツマそのものは、私のような、アワでドジな門外漢には、なかなか手がでない。あわわわわ~~、である。

 うん、あ、わ・・・・?

<3>につづく

|

« 「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義 <6> | トップページ | 「甦る古代 日本の真実」 全訳秀真伝 記紀対照―1300年の封印を解く 千葉 富三<2> »

25)時の葦舟」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩 千葉 富三 <2>:

« 「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義 <6> | トップページ | 「甦る古代 日本の真実」 全訳秀真伝 記紀対照―1300年の封印を解く 千葉 富三<2> »