「続 ホツマツタへ」―秘められた日本古代史 松本 善之助
「続 ホツマツタへ」―秘められた日本古代史
松本 善之助 (著) 1984/01 毎日新聞社 単行本 310ページ
Total No.3146★★★★☆
1980年に出た「ホツマツタヘ」に続く続刊、姉妹編である。分冊というより、出版年は離れているが、正続併せて二冊でひとつの本、ということもできるだろう。
私の手元にあるのは1989年刊の第3刷。正続併せて購入したものと見られる。この続もまた、長年手元にあるが、それこそツンドクになっており、この度は、「捨てるに捨てられず」に、一度天井ロフトに「お蔵入り」したあとに、「発掘」されたものである(笑)。
正編につづいて、誠実な著者の人柄が偲ばれる文章が続く。そもそもが出版社の編集者だった著者が、在職中より禅マスターに参じ、その思慮を深めていくストーリーが語られる。その過程で、たまたま草鞋の紐が切れたことが機縁となって、通りの社殿を参拝したことが、いわゆる古神道に目をむけるきっかけになった。
その後、趣味とする古書店めぐりの中でホツマの断片と出会い、その道ひとすじに探究、研究、研鑽の日々とが続いたことが語られる。
2013年において、いわゆる飯沼史観を追っかけるには、ホツマは不可欠で、ホツマに触れるなら松本善之助に一度は触れなければならない。そして松本善之助に触れるとすれば、本著の正続には、まずは感謝の念をもって挨拶しなければならないだろう。
タガについてや、津軽地方の古社の神体にホツマ文字がいまでも登用されている例示がいくつも挙げられているが、今後、それらのひとつひとつを検証して行かなければなるまい。
ただ、仮に私が1991年にこれらの正続と出会い、入手しているにも関わらず、ツンドクになってしまったか、ということに、現在の私としては、納得する点がある。つまり、松本ホツマでは、私のハートはまだ開かない、ということである。私のハートが開くには、飯沼ホツマと出会わなければならなかったのだ。
また飯沼ホツマが依拠するところの千葉富三ホツマも、単独でなら、私のハートを開くことはなかっただろう。
私がホツマにこころを寄せるのは、その秀の真であるところのものに、OSHOを見るからである。しかるに飯沼ホツマからダイレクトにはOSHOにはいかない。飯沼史観→千葉富三ホツマ→松本ホツマ→ホツマ→OSHOというプロセスをたどるのではないだろうか。
つづく
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