「ツクヨミー秘された神」戸矢学<2>
「ツクヨミー秘された神」
戸矢学 2007/03 河出書房新社
★★★★☆
前回この本についてメモしたのは、すでに6年半前のこと。しかもカテゴリは「レムリア」というジャンルの中であった。あっと言う間に時間ばかりが過ぎてしまったが、この間、他のいわゆる「神道」系の本はほとんど読んでいない。あえていうなら、江原啓之の「神紀行」(2005/10~ マガジンハウス)という神社めぐりの本を、ひやかし半分でめくったのが最後であろうか。それからだって、たっぷり6年は経過している。
3・11震災の直前に矢追日聖の「やわらぎの黙示 ことむけやはす」(1991/12 新泉社)と「ながそねの息吹―ことむけやはす〈2〉」(1996/09 野草社)を読んだが、こちらも、いわゆる神道のオーソリティを受けた本ではない。
また一連の出口王仁三郎関連の本も、あちこちつまみ食いをしているが、それもまたオーソライズされた神道の世界ではないことは、当然のことである。
その中にあって、この本は、日本神道の中にありながら、なお「消されてしまった神」としてのツクヨミにターゲットを当てているだけ、ちょっと異端の書、ということになろう。著者には、この後、気になる著作が続いているのだが、当ブログとはクロスしなかった。
しかし、今回、飯沼勇義史観から、千葉富三ホツマに突入するにあたり、ひととおり、当ブログとして、その根っこを探してみたのだが、結局はこのアタリしか、見当たらなかった。お寒い限りである。
古事記、日本書記をまずはひととおり理解することも必要だろうが、今は、仙台郡山遺跡からの連想で、藤原京や物部氏、三論宗や、聖徳太子、ニギハヤヒなどへの関心もでてきたところであるので、そのあたりでの、今後、戸矢学ワールドに突入する可能性もでてきた。
さて、当ブログが自らの三大柱の一つとしている「湧き出ずるロータス・スートラ」(1992/06)は、 当時、京都に住んでいた畏友モンジュが発行していたミニコミ「TUKUYOMI]の依頼原稿だった。
今こそ日本神話の中のツクヨミを呼び戻すことが日本とOSHOのスピリットを繋げることになるのだという直観から、京都の翻訳家swモンジュは90年夏にミニコミ「ツクヨミ」プロジェクトの活動を開始している。Bhavesh「ツクヨミの時代」「湧き出ずるロータス・スートラ」 p6
この文章の前後を読むと、いまさらながら、自分の中での宇宙観がすでに出来上がっていることに驚く。そして、あのときからずっとこの基軸で動いてきたのであり、ここから今、さらに立ちあがっていくことが必要なのだと、再認識する。
ましてやこの文章のあるページには、「謎の『ホツマツタエ』文書」として、ホツマ文字(ヲシテ)の画像を添付している。我ながら、びっくりする。ようやくここに戻ってきたのだ。
「アマテラス=男神説」は、ほかにもいくつかの事例が見られる。記紀の「一書(あるふみ)に曰く」の一書(あるふみ)とされる「ホツマツタエ」(偽書説が強い)には、男神であると明記されている。戸矢学 p31「三貴子の謎--ツクヨミの誕生」
本書において著者がホツマに触れることはこの部分くらいではあるが、あらためて、この部分にこの文章があることに気づいて、ブックマークをしておく必要を感じる。
記紀は、いくつもの「家伝」を集めて朝廷が編集した一種の「決定版」である。しかし、原典資料となった家伝、つまり「一書(あるふみ)」は、いかなる理由によるのか、後世に一つも残らなかった。編纂者はいずれも克明に参照引用しているので、それらが存在していたことは確かだが、間接的にしか知るすべがない。戸矢学「三種の神器の謎---ツクヨミの御霊代・勾玉」
その一書(あるふみ)の中の重要な原典とされるのが、当ブログが再突入しようとしている「ホツマツタエ」である。その他、この勾玉についての面白い考察も続くのであるが、これらに触れていると、記紀以前へと深化していかないので、今はこのくらいにしておく。
その他、面白いところ、満載である。著者の続刊を含め、再突入は後日に期す。
つづく
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