「日本超古代史の謎」 神代文字が明かす日本創世の原像 佐治 芳彦
「日本超古代史の謎」 神代文字が明かす日本創世の原像
佐治 芳彦 1984/12 日本文芸社 新書 p227
Total No.3135★★☆☆☆
「捨てるに捨てられないモノ」シリーズに分類されるだろう一冊。今から20数年前、この手のシリーズをやたらと読んだ一時期がある。自分の好みというより、そういう時代風潮があったのだろう。でも、地理や歴史はあんまり興味ないので、結局は自分の道をこれら一連の中に見つけることはできなかった。
この本のタイトルもなかなかいいのだが、この本の中にはいわゆる古史古伝と言われるものが多数含まれており、今となっては「偽書」と断定せざるを得ないものも含まれている。立証、反証、検証の、正統歴史学の手段を持たない私なぞは、その真贋の見極めがつかないので、いい加減振り回された揚句に、吹き飛ばされるのがオチである。
しかるに、この佐治芳彦は随分読んだので、一体この人の正体というか本性はなんであったのか、今一度確認しておくことも必要かな、と思う。さらに、これらの本に「紹介されているため」に、「ホツマ」に対しても疑義の眼を向けてきた私は、今一度、この本の中に紹介されている「ホツマツタエ」の章を読みなおしてみた。
今から30年前のデータを基礎として解説している限り、多少のずれはあるが、こと「ホツマ」に関して言えば、史料としては役立つようである。
ただ一点、「ホツマ」に関わる姿勢が気になる。結局は、私自身が他の「古史古伝」とわけて「ホツマ」を考えるのは、その存在に「信ぴょう性」があるからではなく、自らの存在にダイレクトに関わってくる「ホツマ」を無視できないからである。
つまり、私自信にとって、さけて通れない古史古伝があるとすれば、「ホツマ」ということになる。この辺、数ある中のひとつとして「ホツマ」を見ている著者とは、姿勢はまったく異なる。さらに、著者があげている中の一書などは、現在、ほぼ完全に「偽書」とされている。これも、場合によっては、かなり自分に関わってくる書物だったのだが、「偽書」とされてしまうことにおいて、なんだか徒労感のみが漂うのである。
今敢えて、これらの中から「ホツマ」を拾いだそうとし始めているのは、一点、飯沼史観があっての故である。飯沼史観といえども、「最終最高」ではあるまい。今後も、かなり大きな修正が図られていくに違いない。
ましてその中身が、本質的に、かなり「異端」視されかねない内容も含んでいるわけで、それらについても、つねに、「反証」、「検証」の眼を持っていきたいと思う。
これらの「徒労感」と、「避けては通れない」必然性、どちらが勝るのか。前回は徒労感が、余りにも大きすぎた。私にとっては、終わった世界であった。しかるに、今再燃しようとしているのは、何事であろうか。
もうすこし様子を見よう。
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