「日本人の死生観」―蛇・転生する祖先神 吉野 裕子
「本人の死生観」―蛇・転生する祖先神
吉野 裕子 1995/03 人文書院 194ページ
Total No.3141★★★★★
この本において、ようやくリンクが閉じられたと感じる。ひとつのルートが完成したのだ。それは円環だった。
かつて私はムー大陸に生まれかがり火を祭る若いミコになったが、ひたすら踊り祈るだけで、ムーの情念の文明が地震や噴火の「火」のエネルギーで滅びつつあることを知らなかった。
やがてレムリア大陸に転生して都市計画者となった私は、球体を基礎とする理論を打ち立て功名を得たが、心の何処かに隙間を感じていた。晩年になって山中のコミューンに隠棲して土と汗にまみれながらも満たされた人生を送り、陰と陽の融合の文化を理解したものの、箱庭的平安に終始し「小乗」のカルマを残してしまった。
転じてアトランティス大陸の科学的探究者となった私は、打ち続く自然の異常現象に危機感を持ち、海岸の岸壁にあった石窟寺院で仲間達と瞑想して文明の危機を救おうとしたが、すでに時期遅く知性に偏った文明は「水」によって滅びていく運命にあった。押し寄せて来た大きな津波から海岸を走って避難中、砂に足を取られてころび波に呑み込まれた。溺れて気を失い始めた時、忽然とムーよりやって来た一体の龍が天空に現われ、こんな約束をしたのだった。
「ムーもアトランティスも偏った文明で滅びてしまった。いつか遠い未来にあなたはまた同じ様に文明の危機の時代に生を受けるだろう。再びその日が巡って来たら私はその時にこそ必ず来たって最大限の助力をするだろう。しかし、今回はこのまま行きなさい。「湧き出ずるロータス・スートラ」「TSUKUYOMI」 1992/02
ムーよりやって来た一体の龍が天空に現れる。そこに必要だったのは「死生観」である。科学として証明される必要もないし、芸術として共感を得ようとする必要もない。直感として意識が了解すれば、すべては輪廻する。
「アラハバキ研究史」(「ネットワーク対談 東北を語る」1999/09 本の森)の「内容概略」を見ながら、もうこれは、この本しかないだろう、と思った。もちろん、この本もテーマを絞りこめているわけではない。しかし、要所要所にスピリチュアリティをかきたてるものがある。
他界とは本来、見ることも手にふれることもできない、現生とは次元を異にする世界である。ここにいう他界とは、此の世に対する彼の世、つまり死後のみではなく、前世もふくめた他界である。古代日本人がこの他界をいかに感じ、それにどのように対応したかを見るには、まず彼らの信仰を見ることである。
古代人の常として、他界にはそこを領する主が想定された。その主は彼らの祖先神であったが、このばあい、その的は彼らが何を祖先神としてとらえ、それをいかに信仰したかにしぼられる。
古代日本人が信仰したのは、世界各民族に共通する祖霊としての蛇であって、縄文中期の土器土偶に見られるあらあらしく自由奔放に躍動する蛇の造型から、容易にそれを想像できるのである。p3「序」
この序でほぼ足りるだろう。
このように、いくつかの点から、太陽と蛇はかさねあわされ、その結果、祖神としての蛇に太陽信仰が習合されたとき、東から西への太陽の運行にもとづいて、地上にも東西軸が把握され、この軸を中心とした世界構造が創出されたと考えられるのである。p133「太陽と蛇」
転生魂・多火手の、転生。
日本中でもっとも古い神、縄文神高見産霊・日高見の第九代日高彦を祭祀する古社、熱日高彦神社が、いまもなお、宮城県角田市島田字島内から、海を、そして日本を見ている。飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」p345「あとがきにかえて」
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