「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義<15>
「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <15>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト
★★★★★
この本の中では、おびただしい回数で、「秀真伝」と千葉ホツマが紹介されている。しかし、それは、重複して単純に紹介されている「はじめに」と「むすび」を除けば、あとは50ページほどの「第一章」に限られているのだ。だから、この「第一章」の50ページ分をを読めば、「秀真伝」のこともわかってしまうだろう。
そう思って読み込み、何度も読み直すのだが、どうも納得がいかない。これは基本的には、著者の本の書き方に理由がある。同じことを何度も語っているようで、どうも螺旋状に時代や地域をめぐっているような書きかたである。
あるいは、テニヲハを含め(他人のことは言えないが)、どうも日本語として文脈が成立していない場合がある。だから、好意的に、または恣意的に、こちらの都合のいいように読み直してみるのだが、そこに原因があるかもしれない。
あるいは、避難所生活の著者が、あちこちの小冊子などに依頼されて書き溜めた文章を、訂正しつつ細かに再構成しているのかな、と思わせる部分もある。とにかく、当ブログのようなそっそかしい読み方では、一通り目を通しただけでは、なんだかよくわからない部分が多い。
このような輻輳する内容記述を、たとえば、池田満のようなホツマ原理主義に照らしてみると、含みはあるが、なんだか、これって、内容的に大丈夫? って不安になることになる。もちろん、ホツマ原理主義は、逆に面白くないことが多いのだが・・・・。
とにかく漠然と何回も目を通しているのだが、だんだん、そうなのかなぁ?と思えてきたところをメモしておけば・・・・
1)記紀以前の古代を「秀真伝」に大きく依存していながら、飯沼史観は、決してホツマ原理主義には心を許していないようだ。
2)ホツマ原理主義は、記紀以前はホツマで決まりで、それ以前はないことになるが、飯沼史観は、ホツマの以前をも睨んでいる。飯沼史観に適合しなければ、ホツマ何ぞは吹き飛ばしてしまう勢いがある。
3)その証拠に、原理主義者は日本の神の始まりをクニトコタチとするわけだが、飯沼史観では、縄文時代の一神教アラハバキにしてしまうのだ。当然、今のところは、ホツマ原理主義にはアラハバキは登場してこない。
4)ヒタカミ初代をクニトコタチの子供とするホツマ原理主義に対して、飯沼史観は不明瞭にぼかしつつも、独自の発生と見ている。
5)そしてホツマ原理主義は、ヒタカミで使われていた暦は、もともとヤマトで使われていたものだから、返すようにとヒタカミに迫るわけだが、飯沼史観では、そもそもこの暦はヒタカミで作られたものであり、その暦を奪った、あるいは「譲られた」ヤマトの暦は、もともとルーツはヒタカミにあったのだから、ヤマト=日本のルーツはヒタカミにある、とさえ主張しているようだ。
6)この暦をこれから散歩していくわけだが、暦=カレンダーと言えば、エジプトの天文学を連想する。エジプトではナイル川の定期的な氾濫を予知するためにカレンダーが発達し、そこから独自の世界観や宇宙観が成立していった。
7)ところが、ヒタカミにおいては、一年というサイクルではなくて、200年サイクルの津波が基本になっている。いつ津波が来るのかという予測を立てるとともに、その津波災害を避けようとする世界観を打ちたてようとする一方、常に津波の被害に遭遇して、大きな空白期を作ってしまう可能性があった。
8)エジプトにおいては年々のカレンダーは高度に発達したが、ヒタカミにおける津波暦は、結局は十分に発達しきれなかったのではないか。
9)ホツマ原理主義においては、当然、ホツマありきである。ひたすらオシテ文献の解釈に終始し、結局は記紀神話の補完者に「なり下がって」いく。ホツマ解読に人生をかけた池田満のような人は、結局、三重県の伊勢に引っ張られて移住していく。
10)ところが、岩手県遠野に住む千葉ホツマなどは、地元ありきである。地元を解釈するにはホツマが有効であり、地元を理解するに、もしホツマに不都合なことがあれば、あらたなる解釈を試み、場合によって、それを改竄する。遠野を離れたりはしない。
11)千葉ホツマのようにオシテ文献を横書きにしたり、フトマニ図の一部を書き換えてしまうような行動は、ホツマ原理主義者にとっては、ご法度、もはや言語道断というべきだろう。
12)その地元原理主義に加えて、飯沼史観は、もっと極端な「津波」原理主義だ。津波を解くことが、世界を解くことになる。津波に関係なければ、ホツマなど関係ない。地元優先ではあるが、地元原理主義でもない。
13)飯沼「津波」原理主義においては、わざわざ「津波」のもっとも被害の可能性のあるところへ移住していって、自らの史観を証明しようとさえする。
14)津波原理主義である飯沼史観において、その世界観を樹立できる勝算はあるのか。現在、一読書子として当ブログが見る所、それは五分五分であろう。飯沼史観に瑕疵なしとはしない。しかしながら、3・11を独自の津波原理主義で予知し立証したかぎり、無視はできない。
15)ましてや、飯沼史観においては、人々を津波災害から救うことにその意義がある。2万人という津波被害者を生み出し、さらに多くの数十万人、数百万に影響を与えている3・11の予知を、十分に伝えきれなかったと自覚する飯沼史観においては、その予知能力を高めるために、さらなる精進が必要なのである。
16)いままでの古い国家観を、あらたに補強するかのようなホツマ原理主義、地元学の延長であるかのような千葉ホツマに対して、飯沼史観の津波原理主義は、過去の膨大なデータと時間の積み重ねの中から、未来の人間の生きる姿をあぶり出す力を生み出す可能性がある。
と、まぁ、そのような視点から、もうすこし、飯沼史観を中心として、ホツマ原理主義や、千葉ホツマを、もうちょっと散歩してみよう。
| 固定リンク
「24)無窮のアリア」カテゴリの記事
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<8>(2014.04.07)
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<7>(2014.04.07)
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<6>(2014.04.06)
- OSHO「存在の詩」第1号 1975/08 アッシーシ・ラジネーシ瞑想センター 編集スワミ・プレム・プラブッダ(2014.04.05)
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<5>(2014.04.06)
コメント