阿武隈水神「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義<18>
「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <18>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト
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阿武隈水神
阿福河伯(あぶくがはく)神社 阿福痲水神・・・・阿武隈川と熱日高彦神社
阿武隈川河口より亘理町逢隈の田沢(岩沼市南長谷北條の阿武隈川の対岸に位置)に阿(安)福伯神社があって、ここに「阿武隈水神」を祀っている。この神について「日本三代實録」では次のように記されている。
「阿福麻水神」 貞観五(注853)年十月二十九日条 (貞観五年以前の阿福河伯神社は、宮城県亘理郡亘理町田沢字宮原にあった。その祠が写真によって、場所が示されている)
北辺の北上川流域の桃生には日高見神社。ここに日高見水神を祀り、さらに北上川内陸の中流域の水沢に日高見神社が祀られていたと同じように、もう一つの日高見国、阿武隈川河口よりの田沢には阿福麻河伯神社、ここに阿武隈水神を祀り、さらに阿武隈川を内陸へ遡り角田方面に「熱日高彦神社」が祀られている。宮城県伊具郡島田村字鳥内で現在の角田市島田地内である。
北上川の日高見神社、阿武隈川の熱日高彦神社はいずれも「延喜式内社」である。 p107「歴史津波」
20年以上前、このあたりを仕事で動いていたとき、たしかこの辺に石碑があったよなぁ、と覚えていた。あれが阿武隈水神なのかな、と漠然と思っていたが、今回来てみると、それは田沢磨崖仏という別な遺跡であった。
いろいろな諸神諸仏が混淆されているのだろうが、石碑からだけでは判別できない。
いずれにしても、この圧倒的な存在である阿武隈川に由来していることはまちがいない。
岸辺に突出した岸壁に坐像が4体掘りこまれている。
阿武隈水神のほうは、この岸辺の裏手にあり、形としては、お決まりの古式な神社つくりである。
地域の家並みに溶け込んで、住民の産土神の風情だ。
阿武隈水神の表記も様々で、時代の変遷を感じさせる。
いずれが本当というよりも、どれもが本当なのだろう。時間が圧縮されている。
参道は古式ゆかしい神社そのもの。
お正月とは言え、華々しく飾られているわけではない。
額もちょっと見には判別できない。
そもそも石碑だと思っていた阿武隈水神だが、きちんとした神社だった。
ゆかりが書かれている。
神社の裏手からかすかにふもとの川が見える。裏手はなだらかな丘陵になっていて、ドシロートの直観としては、この辺を掘ると、縄文遺跡がでてきそうな雰囲気ではある。
なにやら自然界のうごめきも確実にある。
磨崖仏から阿武隈川河口を見ると、本当に阿武隈川も広く、大きい。
対岸には、千貫神社がある千貫山が鎮座する。
<19>につづく
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