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2014/01/14

名取熊野那智神社「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義<19>

<18>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <19>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

名取熊野那智神社

 熊野信仰がこの名取の山岳丘陵一体に起こったという背景には、宮城県沖と海溝型と連動した一連の巨大地震による大規模津波(仙台・名取熊野堂津波)が、広域の仙台平野を海にしてしまったことがあったのだ。

 大規模津波による大量の無残な残酷死、生き残っても疫病に苦しむ・・・・熊野信仰はこうした地獄を見た人々にとっては打ってつけの信仰であった。地獄から極楽への回帰、災いを極楽浄土へ導いてくれるのが、この熊野信仰のご利益だった。

 広域の仙台平野は大被災地となり、人々は平野部での生活は全くできなくなり、仙台平野の西丘陵地へ、新天地をもとめて移住した。人々の恐怖は自然界への祈りとなり、神と仏の混交した多信仰が増幅され、人々の安住の地であるこの山岳丘陵地の山に対する敬虔の祈りが、自分たちを守護してくれると信じた。これがこの地方における熊野信仰の起こりである。p169

 高舘山。この山こそ、私が生まれてから、いつも見ていた山である。西方にあるこの山の向こうには、もっと広い世界があるのだろう、と小さい時は思っていた。この山に鎮座するのが名取熊野那智神社である。

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 この山に最初に昇ったのはいつだったか正確には覚えていないが、少なくとも小学校3年生の頃には、クラス仲間と自転車部隊をつくり、5~6人で山頂まで行った記憶がある。

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 ふもとには、山頂まで登らなくても参拝できるように遙拝神社があるが、ここで引き返す人はそういないだろう。車がなく、徒歩で昇らなくてはならない時代ならばこその遙拝所である。

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  しばらく砂利道を走っていくと、山道、坂道の向こうにかすかに看板が見えてくる。おお、そういえば、今日でお正月は終わり。年神様をお送りする、どんと祭の日であった。

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 山道は整備されておらず、昔のままだ。小学生時代に上った時よりかは巾が広がっているかもしれない。

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 ここは市のリクエーション散歩コースにもなっている。

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 ここから車を降り、3歳の孫と階段を昇る。

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 しばらく昇ると山門が見えてくる。この山門も、形は昔のままだが、老朽化したために、昨年秋に改築されたという。

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 おお、立派になっている。昔は、中学生時代や高校時代に、自分が書いた落書きを確認するためにここに昇っていたりしたのだが、新しく改築された今、ガキ時代の私のように落書きする参拝者はいないようだ。(よかったw)

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 ふもとからも高々と見える巨木を背にして見る展望が素晴らしい。

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 3・11後、考えてもみなかったが、ここからの眺めが一番、3・11の震源地全体像を見るに適したところだった。
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 前方に見えるのは太平洋であり、北には牡鹿半島、金華山が見える。中央の海岸線は閖上(ゆりあげ)の町であり、南は岩沼、亘理、山下方面まで見える。つまり、ここから3・11の震源地が丸見え、ということなのだ。

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 本堂は至って質素である。今日はどんと祭という祭日にあたっているために、神社内部が開放されていた。

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 立派な鐘突き堂もある。山岳一体に広がった霊場だけに、連絡用の必要も兼ねているのかも知れない。許可をもらって一突き。ゴ――――ン。山々に深く響く。
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 この名取熊野那智神社、実は、ここからが本番なのである。この地域一帯に広がった熊野ネットワークだけに、この神社の裏手には、那智神社にふさわしい霊場があるのである。

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 なにやら古びた社があるが、昔はこの脇に生活用の住居があり、行者たちは、ここに長逗留して行を重ねたものと思われる。

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 紀伊半島の本家、熊野那智神社に比すことはできないまでも、いつ行っても枯れずにひたひたと落ち続けるミニチュアの滝には、霊験あらたかな、おごそかな気分になる。

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 静かに、大自然の中で瞑目する。

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 久しぶりに訪れた。ああ、ここから、ずっとずっと見続けてきた存在があったのだなぁ。

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 散歩道もだいぶ整備されているようだ。暖かくなったら、またウォーキングも兼ねて、来てみよう。

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 先日は南側の砂利採石場のほうから入っていったが、現在は北側にできた那智が丘団地のほうからも入ることができる。それを確認した。

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 そうそう、いまや熊野は世界遺産なのである。

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 団地を抜けても、歩道はキチンと整備されている。

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 水道、トイレ、東屋、煮炊き用のカマド、遊歩道、そして池がある。ケータイは使えるが、EMモバイルは、3Gのアンテナが一本立つか立たないかくらいで、実用にはならない。

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 高舘熊野神社と、高舘城は違う場所だったことを、初めて知った(汗

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 次回散策のおり、場所を特定してみよう。

<20>へつづく

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