日高見国を訪ねて 「北上川散歩」鈴木 文男<2>
「北上川散歩」日高見国を訪ねて <2>
鈴木文男1991/05 あづま書房 新書版 p153
★★★★★
この本の魅力はどこから来るのだろうか。ネット上の情報によれば1920年生まれということだから、この本がでた1991年当時すでに71才の方であった。現在御存命であれば、すでに93才の方ということになる。
出版されたのは、あづま書房という仙台市太白区のマイナーな出版社からだ。著者の出版物リストを見てみると、割と多くの書物があるが、この本のあとには1997年に一冊だけありそうだ。
この本を読んでいて「秀真伝」が何度かでてきたなぁ、という印象だったが、再読してみると、二回だけだった。期待していないところに、突然「秀真伝」がでてきたので、強い感動をうけたのだろう。
歴史時代に入って始まるヤマト征服王朝の正当性を主張する国造り神話や記紀などによって一方的に周辺部族は蒙昧邪悪な民とされて来たが、古事記が語る<高天原>の原郷についても、近年その所在をめぐって幾つも説が出て来て、南方説、大陸説、九州説、富士山麗説と賑やかであるがその一つの<秀真伝>では<日高見高天原>説をとなえていて、宮城県の中心部にあったと伝えて面白い。p47「幻の日高見国」
いかにもヒタカミ人らしい抑えた表現だが、著者ご本人は、もちろん高天原は日高見国にあった、という説を支持している。ということは、その根拠は、「唯一」秀真伝のみ、ということになるのだろうか。
それぞれの人種、それぞれの部族は、遠い先祖の物語の神話を持っている。常陸風土記は<常陸日高見>を誌し、秀真伝は<日高見高天原>が仙台周辺だったと示唆している。p137「平和日本の原郷”日高見国”」
常陸国風土記(ひたちのくにふどき)は、奈良時代初期の713年に元明天皇の詔によって編纂が命じられた、ということだから、ライバルとしてはかなり強力だが、この常陸ヒタカミ説は、割とうまくホツマツタエの中にリンクされているようだ。
当ブログは、自らの地元意識から、当然<日高見高天原>仙台中心説を支持したいわけだが、まぁ、そこはファナテッィクにならずに、そうだったらいいのにな、程度につきあっていくことにする。
ホツマツタエの読み方にしても、複数あるようだから、総論併記を基準としながらも、最終的には我田引水(!)できなければ、ホツマさも、バッサリと切りおとしてしまうかもしれない(笑)。一読書子の気ままな地元散歩である。気楽に行こう。
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