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2014/01/03

「ホツマ辞典」―漢字以前の世界へ 池田 満 <2>

<1>からつづく

池田 満   (著) 1999/06 ホツマ刊行会 単行本 306ページ
★★★★★

 「ホツマ」

 (1)東国の意。箱根から東、勿来から南をホツマクニといった。

 箱根はヲハシリの坂と呼ばれており、古来からの通行の難所であった。古い時代にホツマクニは、五代タカミミスビ・トヨケ(タマキネ)が治めることとなり、ヒカシノキミ(ホツマキミ)と称号が与えられる。即ち(2)の意味する所の原意である。

 (2)稲作農耕の時代に入ってから、古の理想のトノヲシテを具現することができた意味の讃意を込めた言葉。

 ホツマクニ(東国)は五代タカミムスビ・トヨケによって再建されたわけだが、この後十代アマカミの弟の方のニニキネによりさらにその理想へと近づくことができた。ニニキネの知性をもって、シワカミホツマと讃えられて、ホツマは称賛の言葉となる。語彙として、ホは秀でたこと、ツは強調の意、マはマコトの意、即ち、まことの中のまことの意味として用いられる。p172

 この辞典、使い方が分かると非常に便利。なるほど、と思わせらるところが多い。

 「ヒタカミ」

 日本の東北地方、奥羽諸国を総称してヒタカミという。初代アマカミ・クニトコタチの御子タノミコトがこの地に派遣されてより栄、暦の木であるマサカキも植えられて独自の文化が育っていった。 

 ヒタカミは、タノミコトから代々タカミムスビを名乗って七代まで続き、この後はヒタカミノカミとしてさらに十四代まで代を重ねつつ漢字時代にと突入していった。この間に排出した多くの偉人の数々のうち幾人かについて述べる。

 ヒタカミの開祖は、クニトコタチの御子タノミコトである。タノミコトはクニトコタチの教えを受けてキクサを土産(ツト 栽培に適した草や木の品種を持ってゆくこと)として生活の向上をヒタカミに齎(もたら)した。

 また長い年数を測る暦の木であるマサカキが、ヒタカミのミヤ(今の多賀城市付近)に植えられた。これは、全国でも朝廷とヒタカミだけであった。

 タノミコトの子アメカガミは、遥か遠方の九州の地を治めることになり、その三世の孫にあたるイサナギは、七代目のアマカミを継承することになる。

 一方、ヒタカミに残った宗家の方は、五代目のタカミムスビのトヨケという偉人が出る。トヨケの生まれ合った時代は、気候の変化によって食糧生産がひどく落ち込んだ困難な時代だった。トヨケは社会改革を行なうことによって国政を立て直した。そして、跡絶えそうになったアマカミの位をも立て直すことに成功する。この他、トヨケの偉業はトヨケの項を参照して貰いたい。

 トヨケは、八代アマカミとなるアマテルの教育も行なった。即ち、若かりしアマテルカミは、ヒタカミのトヨケの許に来て勉学にはげんだのであった。

 九代アマカミのオシホミミは、ヒタカミにミヤコ(都)を移す。つまり、ヒタカミは日本の首都であった歴史も存在していたことになる。九代アマカミ・オシホミミの時に、オホナムチがツガルに遷し国となって移住してくる。ツガルの地を開発したオホナムチは、ツガルキミ(カルキミともいう)と讃えられる。

 大きくヒタカミと総称するほか、その一地方のツガルを含むこともあり、含まない場合もある。九代アマカミ・オシホミミの没後は、ヒタカミと朝廷との間は疎遠になってゆき、お互いに誤解を抱くようになってくる。

 ヲシテ文献時代の末期にもなると、韓半島情勢の緊迫から、日本には挙国一致の必要性が迫られて、ヤマトタケ(日本建尊)のヒタカミ遠征がなされる。この時代にヒタカミには誤解からくる蔑称としてのエミシの名が起こった。

 しかしヒタカミこそ初代アマ神・クニトコタチの遺風が最も濃く残っているトコヨクニ(トノヲシテによってクニを治める政り事)であった。

 十一代スヘラギのイクメノキミ(垂仁)がヒタカミにタジマモリを遣わしたのは、クニトコタチを慕ってのことである。p105

 ふむふむ。そうなっていたのか。

 「エミシ」 

 東北地方や東国に暮らす人々のうち、朝廷を尊ばない者について呼ばれた名称。ヲシテ時代の最後期にだけ出典する。

 そもそも東北地方は、初代アマカミ・クニトコタチの心入れも深く、その御子タノクニサツチ(キノトコタチ)が遣わされた土地であった。暦の木のマサカキは、クニトコタチ本拠地の琵琶湖西岸の他には、タノクニサツチだけに与えられた。

 タノクニサツチはタカミムスビとも呼ばれていく。タカミムスビの家計はその尊さが他家とは際立ち過ぎたため、長い年月を経て、逆に朝廷に対して見下ろすようになってくる。タノクニサツチ以来、実に21代もの長世代の繁栄が続いていた。

 ホツマ時代の末期は、日本が諸外国の動乱に巻き込まれてしまおうとする、激動の受難の時代に遭遇したため、国内の上下関係を再確認する必要に迫られていた。しかし、そこに伝統と由緒を誇って、朝廷なにするものぞといってはばからない人々にについて、朝廷側からは「エミシ}と称することになってゆく。

 「エミシ」のエとは兄弟のエトの意で、上を意味する。エ即ち上を上と見ない人の意である。大きな国難が到来しつつある時、初代アマカミ・クニトコタチの精神に立ち帰ってみることが何よりも大切なことであるはずである。これが解らない指導者は「エミシ」と呼ばれても致し方ない。p208

 ふむ~~。一応、聞いておこう。ところで、この辞典には「アラハバキ」は書いてないが、類語らしき痕跡をおっかけてみると・・・・。

 「アラコ」

 現代の言葉で表すと、自然児の意。生まれたままで育ったこと。

 アラカネ(粗金)、アラハル(現・顕)、アラシホ(粗塩)のアラと同じ語源。p35

 「ハ・ハ・バ」

 (1)植物の葉や、言葉の意のコトノハのハ或いは音楽の曲であるなど、ひとつにまとまって出るものをハという。特殊ヲシテ表記としてのハと、通常のヲシテのハとは、用例数10例・8例と拮抗している。

 (2)地面のこと、地球のこと、ツチを指していう。

 アメツチ(天地)の意のアワの言葉のワは、クニタマ(地球)を指す。このワからの音便としてのハと、ハニツチのハが合わさって、地面やクニタマ(地球)を指すハが用いられるようになったのであろう。

 通常のヲシテ字形のハで殆ど記されている。またハの濁音バで特殊ヲシテ表記のバと記される場合は、清められていない地面との意で用いられている。(後略)p63

 「キ(ギ)」

 (1)樹木・材木の意。
 

 (2)東の別名をキという。(後略)

 (3)男性の意。(後略)

 (4)コカネ(黄金)の意。(後略)

 (5)黄色の色名。北の方角の色が黄とされていた。木の葉が冬に黄ばみ落ちることから由来している。

 (6)長さの単位で、漢字文献時代になってから寸と呼ばれてゆくのが、キである。人の平均身長の80分の1の長さが、ヒトキである。

 (7)こころ(心)・理念の意。     (後略) p96

 断片的な引用はどうかと思うが、アラ・ハ・バ・キ、とした場合、自然な大地の心、と読めないこともない。キには、東や北の意が含まれているのも、何か意味深い。

 ところで、この本にでていないとすれば、アラハバキは、ホツマの時代よりも、さらに深い、縄文初期からの神ということにも、なってくるかもしれない(あてずっぽうですが)。

<3>につづく

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