仙台市若林区 五柱神社 「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義<20>
「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <20>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト
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仙台市若林区 五柱神社
仙台の浪分神社、蛸薬師の伝説、そして、津波の伝承もいろいろな形で残る。名取市に残る閖上(ゆりあげ)浜の観音様の漂流伝説や、多賀城市の小佐治と猩猩(しょうじょう)の話など、人々は津波の事実を物語に変換して現代までその記憶を運んできたのだ。p3宮原育子「刊行によせて」
閖上(ゆりあげ)・藤塚の伝説
名取川河口の右岸にある閖上浜(名取市)と左岸の藤塚(仙台市若林区)に伝わる伝説は津波伝説であるということがわかってきました。(中略)
在る日のこと、波打ち際に何かゆり上げられたものがあるので、近ずいて見ると、藤の筏で、その上に金色の光を放つ御神体がのっていた。(中略)御神体は後に高館の那智山権現に納った(中略)
ここに五柱神社があって、昔、閖上の浜にゆり上がった藤の筏を埋めた(後略)飯沼勇義「仙台平野の歴史津波」(宝文堂1995年)p101
また高館山に登ってきた。私には、近年できた那智が丘団地から入る整備された道よりも、採石場側から入る、昔からの参道のほうが入りやすい。ただネックは、採石場のトラックが、頻繁に通ることである。最近はとくに多いのではないか。多い時には一分に一台の割合でとおるような感じがする。
ちょうど前を走っているトラックのナンバープレートを見ると「福井」となっている。おや福井とは珍しい。しかも、国土交通省の堤防工事のシ―ルも貼ってある。いつもは厄介者をみるような目で(失礼)見てしまうのだが、今日はなんだか興味が湧いた。
そんなことはしたことないのだが、このトラックについて行ってみようと思った。あの那智神社の隣の採石場から砂利を運び出して、どこに持っていくのだろう。いっぱしのストーカーかパパラッチのような気分である。
トラックは、いったん採石場から那智神社遙拝所までさがり、そこから東街道を南に向かった。愛島の遺跡群をアップダウンしながら、道祖神を通り抜け、今度は、空港線に向かって東に舵を取った。
その後、さらに飛行場の手前で左折し、北上しながら、閖上大橋を渡り、まだまだ被災の爪跡が荒々しい田んぼ道を迂回し、ついに辿り着いたのは、名取川(広瀬川)河口の左岸(北側)の堤防工事の現場だった。
私はここで、あたためて、閖上浜にゆりあがり、高館山に祀られたという仏像の伝説を思い出した。森は海の恋人、とか言うが、高館山は閖上浜の恋人だったのか。トラックに引っ張られてきた奇縁を感じた。
そこはもう海であった。3・11以降、何度も足を運んできた海岸線だが、私にはレンズを向ける勇気がついぞ湧いてこなかった。一枚もシャッターを押すことがなかった。でも、もうすでに3年が経過しようとしているのである。そろそろ直視し、記録を遺すほどの覚悟も必要だろう。
海も、浪もおだやかで、昔通りでなにも変わるものではない。爪跡も少しづつ復旧している。ちょっと見には穏やかな風景でしかない。ふと傍らをみると、なにやら神社らしき痕跡があった。
門前に位置するところに一対の狛犬が安置されているから、これは間違いなく神社であある。しかし、そこはもう、爪跡そのものと言っていいほど、3・11の痕跡をまざまざと残しているのだった。
単に地震で崩れたようにも見えるが、実際には、津波の直撃で、石組みとは言え、遠く流されてしまったに違いない。あちこちに散らばってしまった建物や石組のパーツパーツを、見つけた人たちが、これでもようやくここに集めてきた、ということではないだろうか。
震災後に据えられたのであろう小さな社の前には、3・11以前の神社風景を撮影した写真が紐でしばりつけられていた。
きっと、震災後に抱き起こされたのであろう石碑の痕跡から、あらためてこの神社が五柱神社であることが分かった。本殿は平成5年に2500万円で改築されたものであった。
現在は、プレハブの参集殿ができており、復興に向かう、地元の人々の心模様がうかがえる。
こちらも、3・11後に流されたであろう狛犬一対が、取り戻され、抱き起こされて、ここが聖地であることを示しつつ、何か、大事なものを守っている。
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