必見!2月10日まで 映画『100,000年後の安全』(日本語吹き替え版)本編 フィンランド オンカロ
映画『100,000年後の安全』(日本語吹き替え版)本編
「Into Eternity」 監督 マイケル・マドセン(Michael Madsen) 2010/01 オランダ、フィンランド他 1時間18分
Total No.3169★★★★★★★★★★★★★★★
もう、みんな見ただろうか? 私は3回見た。もうすこし経ったら、またみてみたい。東京都知事選にあわせての無料公開だから、2月10日までという。もしまだ見ていない人がいたら、ぜひ見たらいいと思う。フィンランドのオンカロのドキュメンタリー映画である。
このブログを始める直前ころだったか、7~8年前に、県立図書館をぶらぶらしていたら、正確なタイトルは忘れたけど、「人類の英知 核廃棄物の地層処分」というようなVHSビディオがあって、びっくりしたことがある。
3・11前だったので、一般的な原発への関心は薄い時代だったが、推進派はちゃくちゃくと、このようなテープを大量に生産して、公立図書館に埋め込んでいるんだなぁ、と感心するやら、ゲップがでるやら、とんでもない心境になったことがある。
当時も今も、核廃棄物の処分方法は、唯一、地層処分しか現実味がない。そして、その地層処分の、唯一の現実的な推進プロジェクトはオンカロしかない。しかも、その収容能力は、わずか原発2台分で、フィンランド国外のものは一切受け付けない計画という。
この手のものを、国内で少なくとも数十個から数百個つくらなければ、日本の原発のトイレは確保できない、ということになる。金を出してシベリアに持っていけばいい、などという乱暴なことをいう政治家もいる。いずれにせよ、この地球に10万年後ですら無害にならない廃棄物を残さざるを得ないのが、現在の地球人のありかたなのである。
すくなくとも、今、即原発ゼロになったところで、いままで作りあげてきた廃棄物のために、それだけの負担が残ってしまったのだ。この事実を直視するしかない。
私なんぞの本音は、かなり絶望的で、ああ、やはり現在の地球人は、毒喰らわば皿までで、どこまでもいくつもりなんだなぁ、と、あきらめつつある。
どっちみち、この地球が破滅する前には、私の個人的な寿命は尽きるから、いいけど・・・・・なんて、いい加減なことを考え始まる。
でもさ、今朝も、まだ生まれたばかりの孫を湯船に浮かばせて、女房と二人で洗っている時、それは絶対できないと思った。おじいちゃん、その時、何をしたの? って聞かれたら、私は墓場に行っても、隠れるところがない、と思った。
初夏にはもうひとり孫が増える予定。孫たちと遊ぶのは大好き。孫たちが元気に育って、立派な地球人になって、有意義な人生を送ってほしい、と思う。だから、今、原発を考える。
| 固定リンク
« エックハルト・トール わたしは「いま、この瞬間」を大切に生きます パワーオブナウ宣言 飯田史彦・責任翻訳 | トップページ | 居心地のいい「ミニハウス」---羨望の35軒 「可笑しな小屋」 ジェィン・フィールド=ルイス <1> »
「24)無窮のアリア」カテゴリの記事
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<8>(2014.04.07)
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<7>(2014.04.07)
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<6>(2014.04.06)
- OSHO「存在の詩」第1号 1975/08 アッシーシ・ラジネーシ瞑想センター 編集スワミ・プレム・プラブッダ(2014.04.05)
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<5>(2014.04.06)
コメント