国際シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス仙台」 「報告書」<4>
<3>からつづく
SPIRIT OF PLACE SENDAI いのちのつながり、場の響きあい
国際シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス仙台」報告書<4>
1991/11/25~11/27 仙台国際センター
実行委員会組織表の中合計24人中、上から22番目、下から3番目に学校法人支倉学園副理事長となっている管野忠昭氏は名実ともに事務局長であり、そのスタッフの持てる力を最大限に発揮されたと思われる。感謝に堪えない。(以下尊称略)
最初、須田文夫が、市内の三好耳鼻科医をつれて、自然食レストラン「ぐりんぴいす」に現れた時、1991の春のことだが、何が何やら、分からなかった。あのまま二人だけなら実行は不可能だったろうし、ミィーティングに参加した10名ほどのスタッフでは、最終的に実現した広がりはなかっただろう。
ぐりんぴいすのオーナー(と言っていいのだろう)だった加藤哲夫については、以前書いたし、今後も、もうすこしおっかけてみよう。百歩譲って、この段階で企画拡大をストップさせて、そのスケールで最後まで実行したほうがよりテーマがはっきりしたものになっただろう。
しかし、須田+三好ラインは、さらに関係筋をひろげ、石田名香雄・元東北大学総長あたりまでコネクトし始めたあたりから、まわりは「本気」になってきたように思う。ミィーティングのために「場を貸しただけ」の加藤も、このあたりから、かなり本気になったのではなかっただろうか。
このあたりで、学校法人の創表現研究所が事務局として声を挙げ、実質的な事務をすべて取り仕切り、最後の最後までやり遂げたのだから、菅野事務局長以下、研究所のスタッフ全員が全稼働したことで、最終的なSPSの実現と成功につながった。
この企画はあまりにも膨大で書きたいことも、どこから手をつけていいかわからないが、それでも、たった個人的な「勝手」な思い出に過ぎない。より多くの人々の体験が、いずれ聞けるようになるかもしれないが、このまま、私個人の極めて個的なブログは続行させていただく。
これまで男性スタッフのことだけが登場しているが、実は、多くの女性が関わっている。順不同になるが、これから随時メモを残しておこうと思う。その中で、あの組織表の下から二番目にあるのが、24人中唯一の女性の名前である。
吉田聡子さん。(株)デュエット代表取締役の肩書である。御主人は建築家であると聞いた記憶がある。街中で飲食店を経営し、時にコンサートなどを企画してはヒットしているようであった。決して具体性に富んだプランを提示されたとは記憶していないが、その存在感とオープンなご性格が、準備運営の段階で、大きな雰囲気を作った。
企画は春からスタートしていたが、ようやく企画がまとまってきたのは夏であり、マスコミなどが取り上げ始めたのは秋口になってからだった。
多くのスタッフが集まった中のスナップショットだが、私個人にとっては、誇らしい一枚である。
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コメント
こちらの記事も人気ランキングに登場するようになりましたか。めでたしめでたし。すでに加藤哲夫氏もなく、菅野理事長もない今、それほど広い関心を集める過去記事ではないだろうが、個人的には、このイベント参加しておいてよかったと思う。
投稿: Bhavesh | 2018/09/09 08:03