ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩「甦る古代 日本の誕生」 千葉 富三 <3>
「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩<3>
千葉 富三 2009/7/1 文芸社 ハードカバー 1227ページ
★★★★☆
今年は、この本からスタートすることになった。そして、48番目のカテゴリ名は「無窮のアリア」、こちらは石川裕人の劇作名からの引用である。こちらも新春にあわせてのスタートとなる。そして、軸となるのは、飯沼史観である。
つまり、前カテゴリ「時の葦舟」の「再読したいこのカテゴリこの3冊」精読モードとなる。そして、そこにOSHOの「英知の辞典」がからむ。
「英知の辞典」は今から5年前、「OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2」カテゴリにおけるこのカテゴリこの三冊の中の一冊である。他の二冊、OSHO「私が愛した本」と、「OSHO ZEN TAROT」は、すでに当ブログとしては読み込みを完了している。
「英知の辞典」 は500ページ以上ある大冊である。当ブログで全部を読み込むことはかなり無理がある。しかるに、原本の英語では3冊に分冊されていて、内容は、日本語の10倍ある。だから、日本語、英語、ピックアップしたかたちで、ランダムに読みこんでいければいいと思っている。
さて、直近の当ブログは、飯沼勇義「史観」と、千葉富三「ホツマ」の整合性へと、一歩突き進む、というところにある。ここにポスト3・11がからむ。ここにおよんで、当ブログは、「読書ブログ」から、「郷土史ブログ」、あるいはフィールド・ワーク・ブログへと変貌する可能性を持っている。いずれは、ゲーリー・スナイダーや山尾三省のいうところの「バイオリージョナル」へと成熟していけばいいだろう。
ところで、ホツマツタエは日本最古の叙事詩と言われているが、石川裕人いうところの「アリア」は叙情歌と言われている。当ぶろぐでは、石川の古代編は、どうやらアジアの大陸にあるようだが、これを日本の古代と読み、ホツマを叙事詩ではなく、叙情歌として読み込んでいこうと思うのである。
当ブログのサービスはニフティのココログを利用している。このサービスのアクセスログ解析がお気に入りだったのだが、3月1日から大きく変わる。そこのところが、書き手としては、ちょっと気に入っていない。それをきっかけに他のブログサービスに移行するとか、の可能性もないでもない。
そして、3月には、私は名実ともに60才になり、還暦となる。そして、長らく震災で修理していた近くのコミニティセンターがまた使えることになる。それを期に、また定例の瞑想会を復活しようと思う。
年頭にあたり、いろいろ書いてしまったが、とにかく当ブログとしての最終点はOSHOなのであり、本当のことを言えば、もうすでにやりたいことはやり終えてしまっている。だから、付録の人生だ。まぁ、どこで終わってしまっても、悔いはない。
現在、当ブログ1.0と2.0合わせてアクセス数はすでに90数万というところにある。カウント方法もまちまちだし、他の人気ブログと比較すれば、たんにこれだけのアクセス数ではあるが、当ブログとしては、これだけの人々に来ていただいて本望である。今年中には、百万に達するだろう。
フェイスブックやツイッターが華やかなりし昨今ではあるが、当ブログは、当面ドンくさく、コツコツ、ブログを書いていくこととする。
本年もよろしくお願いいたします。
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