ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩「甦る古代 日本の誕生」 千葉 富三 <4>
「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩<4>
千葉 富三 2009/7/1 文芸社 ハードカバー 1227ページ
★★★★☆
飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」 (2013/03 鳥影社)を読み進めるにあたって、どうしてもぶつかってしまうのが、ホツマツタエであるし、その独特な年代の読み方である。このところが分からないと、何が「歴史津波」で、何が「日本」で、何が「最古」なのか、全然わからない、ということになる。いや、いまだに、よくわかっていないのだ(汗)。
紀元前何千年という「歴史」を、年代を区切って「確定」してしまう作業は、ちょっと無謀ではないか、と思う。仮に虚構や寓話であったとしても、何年「頃」とほのめかすくらいならつきあうこともできないわけではないが、紀元前何千何百何十何年、と細かく読み込んでしまうのは、どうか。一般的に考えて、それは無理だろう。無理すぎる。
「秀真伝」に限らず、言い伝え、伝説の中の真実をどのように掘り起こしてゆくか、これからの歴史学、そして防災対策にとって重要課題である。飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」p31
ここを読む限り、飯沼史観においては、言い伝えや伝説と同じレベルで「秀真伝」を捉えていると考えていいだろう。言い伝えや伝説の中から「仙台平野の歴史津波」をあぶり出し、3・11を16年前から「明確」に予言していた飯沼史観である。仮に、秀真伝が、言い伝えや伝説の中に埋没してしまいかねない、一「偽書」であったとしても、仮にそうだったとしても、もしその「寓話」性の中に、真実の一片が隠されている可能性があるかもしれない、と指摘する。
「秀真伝」が書かれた時代は、神武天皇が即位した時(紀元660年)といわれ、このとき、第一章から二十八章までが書かれた。
そして十三代景行天皇の御代、子息の日本武尊(やまとたけるのみこと)の死去後、すなわち126年、景行天皇は「秀真伝」の第二十九章から四十章を書き加え、「秀真伝」第一章から第四十章までが完成に至ったのである。飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」p28
このあたりの年代の明記の仕方も、はて、どれほどの妥当性があるのか、歴史音痴の当ブログには、なんとも言えない。さらに、もっと遡ると、もはや、それは「うそでしょう」と言いたくなるような記述さえ飛び出してくる(汗)
日本最古の書「秀真伝」には、日本の歴史の夜明けともいうべき新時代の始まり、神々の登場が克明に書かれており、現在この古書の真実性が高まってきている。この「秀真伝」は、「甦る古代 日本の誕生」(千葉富三著 文芸社)によると、今を遡ること3730年、紀元前1718年に書かれた書である。飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」p47
ガーン。第一章の書き出しからこの調子なのである。江戸時代に書かれた偽書である、という批判がある中で、いきなり「今を遡ること3730年、紀元前1718年に書かれた書である」と言い切ってしまっていいのか。そして、その根拠とされる千葉富三ホツマに、その根拠を示すだけの力量はあるのか。その任はあまりにも重すぎるのではないか。
ところで、その根拠とされる千葉ホツマではどのように取り組んでいるのか。
「年表」
(7)最後に年表を付けました。「秀真伝」の暦、特に真榊暦(まさかきこよみ)ともいう鈴暦(すずこよみ)は難解で、本書ではとりあえず、記述の中にある「一鈴60年」をそのままと仮定しました。
これには編著者自身も実年との開きが大きいのではないかと疑念を抱き、60年の2分の1、つまり「1鈴30年」ぐらいであれば整合性があるのではと思いをめぐらしながらも、その裏付けを極めるに至らず、結局「1鈴60年」と仮定したまま、次に述べる天鈴暦(あすすこよみ)の始まりからの逆算による配置としました。
したがってこれは絶対年表を表したものではなく、事柄の順序配置といった程度の参考と見ていただいきたいと思います。千葉 富三「甦る古代 日本の誕生」p49「序章」
この落差は大きい。紀元前をこまく年代を区切ってしまう飯沼史観に対して、千葉ホツマは、あくまでも「順序配置といった程度」と前もってことわっているのである。そもそもが千葉ホツマは、かなり遠慮した自制心に富んだ書である。
もちろん、これで「秀真伝」が、直ちに歴史資料になると言い切るつもりはありませんが、こうした続々の物証を前にしても、考古学、歴史学あるいは古典文学のそれぞれの分野において、要はそれぞれが権威とする既成固定観念が侵されるのではないかと固執するものであってはならない、文明には消長がある---という事実を、思い起こしたいものであります。千葉 富三「甦る古代 日本の誕生」p49「序章」
かなり抑えた調子ではあるが、千葉ホツマも、実に「まつろわぬ」人々の研究である。飯沼史観ほど大胆不敵ではないにせよ、千葉ホツマも、その懐にはそうとうに煮えたぎった反逆のスピリットを抱えているのである。
仮に千葉ホツマにおける、鈴暦や天鈴暦の解読が、恣意的な試みであったとしても、ひょっとすると、その年代の解読に対して、飯沼「歴史津波」史観が、周期性をともなって現れた歴史津波とその「空白性」から、根拠を与える、ということもあり得るかもしれないのだ。
当ブログにおいては、この千葉ホツマと飯沼史観が、激しく出会い、それぞれでは、か弱く、カゲロウのような存在でしかない二つが見事に絡みあい、まるで縄文の縄のように、ひとつの強力かつ強大なロープになるのではないか、と思えてくるのである。
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