三人目の孫 プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <42>
「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」
<42> 三人目の孫
いつかいつかと、ちょっと待ちかねていたが、ようやく三人目の孫が生まれた。生まれて見なければ分からないということだけど、やっぱり、お医者さんの見立てどうり、女の子だった。男、男、と来たから、どうっちでもいいや、と言いつつ、やっぱり女の子もかわいいかなぁ、と楽しみにしていた。
案ずるより生むが易し、とはいうものの、出産は大事業である。なにはともあれ、母子ともども健康ということで、お里がえり出産を預かった身としては、ほっと一息。これから、この子とどんなドラマが始まるのかな、と、楽しみが、ひとつ増えた。
ところで、生まれたばかりの孫の顔を見ていて、遮光器土偶を思い出した。ちょうど、大きさといい、いわゆるあの遮光器と言われる目の感じが、そっくりではないか。
見ればみるほど、そう見えてくるのは、最近、遮光器土偶の木彫りを始めたからかもしれない。なんでこういう土偶ができたのだろう、と不思議に思っていたのだが、これって、きっと、新生児のイメージがかなり影響しているのではないか、と直観した。
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