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2014/01/03

ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩「甦る古代 日本の誕生」 千葉 富三 <5>

<4>よりつづく

Tiba2
「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩<5>
千葉 富三  2009/7/1 文芸社 ハードカバー 1227ページ
★★★★☆

 ということで、さっそくこちらのホツマ本文で、その「火水土(ひみつ)の祓い」とやらの一節をひも解いてみよう、とした。それは、「第22章 沖津彦火水土の祓い」の部分である。わずか本文で5ページの小さな部分だが、ところがどっこい、これがほとんど歯がたたない。

 それに、気になるのは、いきなりこんなコメントがあることだ。

注 この綾に限って、和仁估安聡は、ほつま文字は用いないでカタカナで古神語を記し、古語の通りに奉詠するようにと冒頭で注記しています。

 したがって、この綾でのほつま文字は、綾名以外は編著者による訳入りです。千葉注p257

 せっかく神妙な気分になって、オシテでも読むかな、と思った矢先に、この成り行きである。何が起きているのか、イロハのイもわからぬ初学の一見さんには、さっぱりわからぬが、なにかここでキモとなる出来事が起きているのかもしれない、と察するだけである。

 「綾」とは、文章の章のこと。ホツマは織物にたとえられている。和仁估安聡(わにこやすとし)は、江戸時代の安永4(1775)年にホツマツタエの写本を残したとされる人物である。

 千葉ホツマは、池田満などの「ホツマ原理主義者」から見れば、ちょっと道を外した試みに見えるかも知れない。ましてや、和仁估安聡がオシテを書かなかったのには、何か訳があるかもしれないのに、自分でオシテにしてしまうなんて、もってのほか(?)ということになってしまうのだろうか。

 脱線ついでに、この章のダイジェストを、佐治芳彦「謎の秀真伝」に見てみる。

 第二十二章「興津彦命火水土祓章(オキツヒコヒミツノハライノアヤ)」 

 ここでは、のち「竈(カマド)神とされた興津彦神が、ヒミツ(火水土)の祓いをしたこと、暦の「八将軍」の由来が述べられており、民俗学的に見ても興味ある章(あや)だ。 

 このオキツヒコノミコトとは、古事記に出てくる謎めいた神である大歳神(オオトシノカミ)の子である。大歳神は古事記ではスサノオノミコトの子の一人とあるが、一応「年穀の神」とされている。 

 さて、この年穀の神の御子オキツヒコがカマドの神とされたのは、ふつう、オキ=煨、それにオキツヒコの配偶神のオキツヒメの別名が大戸比売(オオヘヒメ)といい、そのへ=竃(カマド)という語の縁によるものとされている。 

 このオキツヒコがヒミツ(火水土)の祓いをしたというのは、もともとカマドは土でつくられ、火でもって煮焚きし、その煮焚きには水を用いるということからであった。 

 したがって、このヒミツの祓いは、べつに神秘的なものではなく、古代人的衛生管理、より簡単にいえば消毒作業であったと吾郷(清彦)氏は述べている。 

 なお、同氏によれば、もともと私たちの祖先の禊祓思想には、邪霊撃退という霊的な行為と、自他を清める(清浄化)という生理学的行為が含まれていたという。(後略)佐治芳彦「謎の秀真伝」p82「秀真伝はかく語りき」

 ここを読むだけにおいては、佐治ホツマは、飯沼史観ほど、この章に注意を払っているとは思えない。ただ、ここを読んでいてふと、自分の身の回りを見てみた。わが家の正月飾りに、この神々がキチンと登場されていることである。

Tosi
 深いことはわからないまま、例年、我が家の神棚を飾る正月飾り。この中には、キチンと「大歳神」さまが鎮座されているし、興津彦神も、我が家の台所を守ってくれているのである。

Kama
 なんだか、正月早々、深淵なる神の道が、開かれ始まったのかしらん。

<6>につづく

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