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2014/01/05

「みちのく燦々」―消されていた東北の歴史 中津 攸子

中津 攸子   (著) 2005/11 新人物往来社 新訂版 206ページ
Total No.3160★★★★☆  

 「東北は国のまほろば 日高見国の面影」 (2013/07 時事通信出版局)というタイトルを新刊本リストに見つけ、さっそくブッキングしたのだが、どうも人気本らしく、私に順番がめぐってくるまで時間がある。そこで、同じ著者の一冊としてめくってみたのがこの本。

 そもそもは1999/01に出た本であるが、「新訂版」として2005/11にでている。今回の新刊本もたぶんこの延長にあるのだろう。もし違っているとすれば、3・11を大きく取り込んでいる点だろう。

 1935年生まれのこの方の本を読んでいると、いわゆる東北応援団としての身びいきのエールがてんこ盛りになっており、一東北人を自覚するわが身としても、ちょっと気恥ずかしくなるところがある。

 日高見国は仏教国でしたから、
---大仏に塗るためのものならその黄金を提供しましょう---
と申し出たのでしょう。
p96「世界を動かした東北の黄金」

 いきなりヒタカミ国を仏教国としてしまうあたり、この方、作家なのだし、考古学者でもなければ、歴史学者でもないのだから、と、割り引いて考えることにする。

 日田、飛田、日高などの地名は日高見国の名残りといわれていますので、稗田阿礼も「ひた」とその名を読めるところから私には日高見国と関わりがありそうに思えます。

 日高見国との関わりがあるにせよないにせよ、稗田阿礼が「古事記」の文章を全部暗記していたと教えられた子供のころ、その頭の良さに感嘆したことを覚えていますが、そうではなく日高見文字で書かれていたものを稗田阿礼が読んで聞かせ、その中から原則として大和朝廷に都合の良いものを取り上げ、または都合良く書き直して漢字仮名混じり文で太安万侶が「古事記」を書き上げたということではないでしょうか。

 「ホツマツタヘ」を古事記の原典とする説もありますがすでに古代文字で記録されていたものを朝廷に都合良く書き直したのが「古事記」と考えられるのです。p124「奈良時代の日高見国と朝廷」

 ご高齢の方で、なおかつ女性作家ということだからかもしれないが、全文ですます調で書かれていて、読みやすい。しかも、作家らしい自由な発想と想像力が、読む者をぐいぐい引き込んでいく。

 縄文文化の流れをくむ日高見文化こそが和風文化の原点です。p179「和歌発祥の地・日高見国」

 この本は、いわゆる科学的な論理性、合理性から考えれば、めちゃくちゃな本ではあるが、それを知った上で、寓話として楽しむとすると、これはこれで、頭の体操にはなる。

 そもそも、ホツマが五七調の詩文体で書かれているというところに、まずは疑問符の?がついてしまうわけだが、実は逆だった、ということかもしれない。

 そもそもがホツマやオシテ文献が五七調で書かれていたために、あとから和歌や短歌(おなじことかな?)が五七調に倣ったのだ。そもそもが、東北=日高見の国に、歌の枕詞が多いというのも不思議な話である。

 芭蕉が東北を尋ねたのも、東北が道深くて、珍しかったからではなくて、そもそも俳句という歌読みが、そもそもの五七調の言葉が栄えていた東北=日高見に憧れて旅をしたのだ、と考えれば、納得がいく。

 藤原實方中将が平安時代に名取までやってきたのも、歌の歌い手だったからこそ、縁があったのだ、と思えば、いままで、まったく意味の薄かったこの人物の存在が、すこしづついとおしくなってくる。

 絶対平等社会が支配被支配の縦系列の社会を否定し、世界史上まれに見る高度な文化を持った平等社会を建設したのですが、その思想背景には古代からの万物平等思想を説く荒吐(あらはばき)信仰の上に受け入れられる仏教信仰がありました。

 前述しましたが、もしかすると釈迦以前に釈迦と同じことを考えついたアラハバキさんという人が日高見国に生まれていたのかもしれません。

 釈迦やキリスト、マホメットなどと並んでもひけをとらず、それらの宗教家よりもはるかに古えの宗教家が日高見国にいたのかも知れません。p201「日高見国賛歌」

 つい、ウフフと苦笑いしてしまいそうな一節ではあるが、まぁ、寓話として、私はこの一節は大賛成、大納得するところである。

 この調子でいくと、「東北は国のまほろば 日高見国の面影」は、一体どんなことになっていることだろう。楽しみである。

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