「巨大津波」 語りつぐー小さな町を呑みこんだ やまもと民話の会編集
やまもと民話の会編集 2013/03 小学館 単行本: 399ページ
Total No.3159★★★★★
各図書館には、3・11コーナーや、被災証言シリーズの棚などができて、3・11アーカイブスもずいぶんと充実してきた。ひとつひとつを開くことなく、私は、ほとんど、そのコーナーに立ちつくすだけだ。圧倒的な巨大津波に遭遇し、足がすくんでいるのは、被災地の住民ではなく、私自身だ。
このコーナーを通り過ぎながら、いつかはこの本たち(せいぜい数百冊だが・・)を読み切ってやろう、と決意するのだが、いまだにその作業は始まらない。
それでも、その中の一冊をこうして引き出してみたのは、この「やまもと民話の会」がある、山元町は、飯沼史観でいうところの日本最後の縄文の神、ヒタカミ九代「熱日高彦」が、いまだに角田市島田地内にある高台から見つめている海のある地域だからだ。
私はこの地域を、幾度となく、何十年にもわたって動いていたことがある。door to doorで一軒一軒を訪問しながらの営業は、深みはないが、広さはある。その広さの中には、この本で紹介されている人たちが含まれているのだ。
そして、妻の母親の生家がこのエリアにあり、親戚が多い。つまり、私の孫たちにとって、自らのルーツを探し始めた場合、その何パーセントは、このエリアからのDNAが受け継がれている、ということになる。
「俺ぁの祖父さん、明治35年生まれでなぁ、津波三回体験したんだぁって、ゆってだ。昔、防波堤なんてながったがらなぁ。昭和八年の津波も、ここらにあがって、にわとりが流さったり縁の下のじゃがいも流さったり。家も昔の家だがら、被害あったんだべ、そん時に、みんなで宅地ばつくりなおしたんだど。そんで、くじ引きできめだのが、今の磯の街並みなんだど。「磯浜きしぇどっぱ」って、聞いたことあっぺ。
それから、ここの浜通り、部落ごとに「碑」建ってだの。『地震あったら・津波の用心』 って書いてたのね。見たことねぇのがぁ。この津波でとっくに流れっちまったげんとなぁ。昔の人の教訓だぁ」・・・・p91第一集「証言」
この県南部の山本地域に、明治三陸大津波も、昭和三陸大津波も、明確な痕跡を残していたのだった。津波の恐ろしいところは、一瞬にやってきて、一瞬にすべてを押し流してしまうことだ。そしてさらに恐ろしいところは、すぐにいつもの優しい海の顔に戻ってしまうところだ。人間は、自分の人生サイクルの中では、その記憶を覚え続けることが難しい。
人間は、辛いことや悲しいことを、忘れてしまうことができる。忘れてしまうことが有益でもあるし、また、あらたな悲劇を生むこともある。災害は忘れたことにやって来るとは名言だが、忘れることなく、語り継ぐこともまた、後世にとっては必要なこととなる。
正直言って、この一冊を直視するだけの力量は、いまだに私の中からは生まれてこない。圧倒的な津波の力は、有無をいわさず私を押し流す。ただ、忘れることはできない。今は、視点を変え、山側から、遺跡や伝説、ホツマやヒタカミ神話を尋ねる「ふり」をして、そっと「海」を望むだけだ。
地元の人たちが、被災し、仮設住宅に避難しながらも、こうして貴重な体験談を残しておこう、語り継ごうとしていることに、感謝せざるを得ない。当ブログも、いつかは、積極的にこの偉業を受け止められるまでに、成長してみたいものだと思う。
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