「ウェブで政治を動かす! 」津田 大介 <6>
<5>よりつづく
津田 大介 2012/11 朝日新聞出版 721 KB 紙の本の長さ: 85 ページフォーマットKindle
2014東京都知事選が終了した。その結果はともかくとして、私としては、途中からネット参戦して、それなりに面白かった。
「ウェブで政治を動かす」ということだが、別段この本を読みなおしたわけではない。そのようなコピーを思い出したので、ここにメモしておく、というだけである。
著者も一生懸命ツダッってはいるが、いまいちハートに響かない。コンテンツ論からややコンテナ論に退却しているようでもあり、政治そのものも、コンテナ論に堕しているように思う。
ややコンシャスネス論に昇華しようとした細川+小泉の流れは、基本、政治的詐欺師的正確を帯びていた。そもそも、細川は、もう政治には戻らないという決意で「不東庵」と名付けた工房で、「芸術家」として身を引いたのではなかった。ここからして、ウソ臭い。
役者と言えば、佐村河内守に匹敵する。作曲ができないのに作曲家と偽ることと、脱原発が出来ないのに脱原発を語る政治家は、似たようなものだと、今の私なら感じる。小泉のバックを得たというのが、もともとウソ臭い。
もし脱原発を語るなら、3・11以前から何十年も脱原発を運動してきている方々がいるのだから、誠実にその人々の声を聞いて、心から反省しなければならない。自分が為政者であったことは棚に上げて、今ようやくわかった、なんてのは、ゆるせない。
もちろん、一個の人間としてのことではなくて、政治家としての姿勢のことを言っている。
16人の候補者がいたらしいが、その他の「泡沫候補」のことはほとんど話題にはならなかった。
そもそも、私には投票権はなかったが、友人に少しでも影響力を持てれば、と私は宇都宮候補を応援した。ネットでも、そのような情報をリツートし、自らも少し書いた。
これまで、ブログ→ツイッター→フェイスブック→ミクシーと連動させて、当ブログのタイトルのみを流すような、マルチポスト手抜きネット利用をしていたが、最近それをやめた。もう少し、ネット活用を考えなおしてみようと思っている。
そもそも当ブログは、コンシャスネス論、ハートが中心のブログであるはずである。しかるに、少なくとも細川+小泉のハート、コンシャスネス論は、まったく響かなかった。むしろ、宇都宮氏のコンテンツ論に、わがハートは共鳴した。
そのことの断片をここにメモしておけば、この書込みはこれで終わりである。
| 固定リンク
「24)無窮のアリア」カテゴリの記事
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<8>(2014.04.07)
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<7>(2014.04.07)
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<6>(2014.04.06)
- OSHO「存在の詩」第1号 1975/08 アッシーシ・ラジネーシ瞑想センター 編集スワミ・プレム・プラブッダ(2014.04.05)
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<5>(2014.04.06)
コメント