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2014年2月の16件の記事

2014/02/24

「インド巡礼日記」―インド・ネパール巡礼日記1 (山尾三省ライブラリー) <1>

「インド巡礼日記」  インド・ネパール巡礼日記1 (山尾三省ライブラリー)<1>
山尾三省 2012/04 新泉社 単行本 504ページ
Total No.3186★★★★☆

1)すでに一度手に取った本ではあるが、どうも精読するタイミングにはならず、いわゆる積読になった。今回、ようやく再読のチャンスがきただろうか、と手にとってはみたが、いわゆる三省のコテコテ・インド物語である。面白くないはずはないのだが、やはり一気に読みすすめることはできない。

2)1973年12月9日

 夢の中で唐牛(かろうじ)と抱き合った。あの大きな男が何故か同じほどのボリュームでしかなく、私たちは互いに済まなかったという気持ちで抱き合ったのだった。バンコック滞在二日目の夜のことである。唐牛が来たというので酒宴が張られ十人前後で酒を飲んでいたが、いつのまにか私はマモと一緒になってしまい唐牛中心の集まりから離れてしまった。とは言え、唐牛の取り巻きがいるわけではなく、彼は一人でしかなかった。私はその集まりの中に一人でいる彼が好きであり、自然に彼から離れていった。p9「バンコック」

3)なんと、この本は山尾三省の唐牛健太郎の夢話から始まるのだった。日吉眞夫・著「屋久島―日常としての旅路」(2005/08麗沢大学出版会)の中で、73~74年の一年に渡る山尾一家のインド巡礼の旅の旅費を工面したのが、唐牛+日吉だったことを知った。当ブログ三省追っかけとしては、重要なことを見落としていたもんだと、ギャフンとなった。

4)どこかにその痕跡があるはずだと、この本を読みなおしたら、なんと、この本のとっぱしは、唐牛から始まるのだった。そして、すぐ続いて、日吉眞夫その人が語られていたのだ。なんという見落とし。

5)日吉さんのおかげで私はネパール・インドの旅に出ることができた。彼のおかげでこの旅に「ブッダの言葉」を持ってくることができなかった。その代わりにもらった「軽蔑」という本がバンコックにおける代表的なヒッピーホテル「アトランタホテル」の鏡付きテーブルの上に置いてある。その本をくれる時、日吉さんは、軽蔑をあげると言った後で、「軽蔑」という本をあげる、と言い直した。p9「バンコック」

6)なんだなんだ、この人たち、すっかりデキていたんだ。すっかり見落としていた。35歳の三省が家族でインド・ネパールに旅だったのは1973年だった。私は別に三省に面識があったわけでもなく、そのグループの一員でもなかった。だが、私たちの仲間内では、彼はすでに伝説の人だった。

7)彼一家がインドに行った、という事実がなかったら、私もまたインドに旅立つこともなかっただろう。彼とは生年として16年の差がある。彼のほうがずっと年上だ。彼の背中を見てそだってきたと言ってもいい。その彼が1973年に旅立って、その後、私もまたインドに旅だったのが、そのわずか4年後の1977年だったことを考えると、わずかあそこの間には4年しかなかったのか、と、不思議に思う。

8)ましてや、この日記が書かれ始まった日、12月9日は、私は、インド・プーナのOshoのサニヤシンのイニシエーションを受けた日だった。あらためて不思議な気分になる。

9)この後10年経過して1987年に、私達一家4人は、インドに4ヶ月滞在した。2歳と4歳の子供をつれた強行軍だったが、あの三省一家のインド・ネパール巡礼の旅がなかったら、私にも、子供たちをつれていく勇気が湧いてこなかったと思う。本当に彼には大きな影響を受けていたのだと、改めて思う。

10)しかし、感動しているのは、ここまでである。あとは数十ページを読み進めてみるのだが、いわゆる三省コテコテ・インドワールドに、じっくり付き合っていくには、なかなかの体力を要する。一気に読破というわけにはいかない。

11)というのも、私は三省の追随者ではあるが、批判者でもある。最初の最初から、その魅力に強烈に惹かれつつも、距離を詰めることはできなかった。正確に言うと、彼は尊敬すべき先輩ではあるが、その道は私の道ではなかった。

12)この強烈な想いは、彼一人というより、彼が背負って立とうとしていたもの、そのものの構図全体に対する拒否観だった。この事を書くために、私はふたたび三省リンクに戻ってきたのだ。あいまいに言えば、いわゆる「星の遊行群」についてのものごとを思い出そうとすれば、この論点にぶちあたざるを得ないのである。

13)私はこのことについて、キチンと言語化できたことはない。言語化の前に、論理化もできたことはないし、もっと言えば、きちんと把握もできていない。むしろ、ごもごもと、口ごもった呻きが、ちょろちょろとでてくるにすぎない。

14)しかし、このブログが終盤にさしかかっており、何事かの真実でその円環を閉じようとするなら、あの当時の、あの直観を、キチンと自分なりに把握し、キチンと整理し、キチンと文章化しておく必要があるのだ、と思ってきた。

15)いまだ、それはできないわけで、それができるのはいつになるのか分からないが、それをしないと、当時、あの地点に関わってくれた人々にたいする答えにもならないし、また、あれからずっと、今日にいたるまでの経緯を、自分ですら把握できないことになる。

16)そんな思いで、この本を開き始めたが、やはり、今回もじっくり時間がかかりそうだ。

<2>につづく

 

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2014/02/23

「スピリチュアリズム」  苫米地英人 <2>

<1>よりつづく


「スピリチュアリズム」 
苫米地英人 2007/08 にんげん出版 単行本 221p
★★★☆☆

1)今回、この本をふたたび取り上げようと思ったのは、あるSNSで、つながりのある人物が、最近この著者について盛んに触れるようになったからである。出版直後の6年半前に店頭で、わずか数分手に取っただけの本書であるが、今回、きちんと読んでみようと思った。

2)著者にはたくさんの著書があり、別にこの本でなくてもかまわないのだろうが、前回、立ち読みしただけだったので、今回は、完読したほうがいいだろう、と思った。

3)著者については、私には直観というか、先入観があり、本としてはもはや読まなくてもいい、という結論がある。でも、それでは、著者のことはともかく、あのSNSつながりの人物のことが良くわからないことになる。

4)私の見る所、その人物は、Oshoの学生であり、弟子であったことはあるが、Oshoの帰依者というレベルで自分をみたことはないようである。その彼が、どういう経緯でか、今回、この著者の言説に痛く感動して、著者の学生を始めたようなのだ。その彼が、学生になることもあるだろうし、著者の弟子にもひょっとするとなるかもしれない。しかし、たぶん、帰依者にはならないだろう、という予感がある。

5)この本は、2007年の段階におけるスピリチュアリズムという日本の流行語についての、著者の反応であり、そもそもきちんとした定義付けの上の論理ではない。ただ広範な情報をもとに、当時流行していた江原啓之に対する反論・反感がベースとなっており、そこに再び麻原集団事件の影を見て、なんとかしなければ、という義侠心が基となっているようだ。

6)著者は、いわゆる上裕史裕のディペート技術を指導したことがある、と自負しているところからわかるように、そもそも著者自身の論法が、いわゆるディベート流である。もちろん、上裕某のふるまいに危機感を持っているわけで、上裕をほぼ完全否定している。

7)島田裕己荒俣宏に対する見方も厳しく、中沢新一に対する目はもっと厳しい。この辺は当ブログも同意するものである。しかるに、全体としては、結局なにを言わんとしているのかは、よくわからない。

8)ヒッピー・ムーブメントのニューエイジを根に持つスピリチュアリズムは、70年代頃から広まって、統一教会、ハーレ・クリシュナ、バグワン(Osho)と言った新宗教の団体やグル運動によって、多くの若者たちを取り込みました。p36「壮大なスケールの神話」

9)前回は、立ち読みゆえ見逃していたが、Oshoの名前もでていた。しかし、この一か所だけである。このようなセンス、このような流れでしか表記されていないのは、Oshoサニヤシンの一人としては残念である。

10)私はある仏教系のハワイ別院と親しくしていますが・・・・・ p67「第二の人生」

11)この本の出版当時は、まだ秘していたのかもしれないが、現在ネットなどで確認できる範囲でいうと、著者は天台宗で出家しており、そのハワイ別院の何事かの役職についているようである。さまざまな肩書や経歴を持つ著者ではあるが、伝統的日本仏教の出家者のひとり、という見方で把握したほうが、より分かりやすいようだ。

12)つまり、本格的な仏教を学んでいるはずなので、その言説の中に、色濃くでてくる仏教的思想観については、詳しい、などと驚くべきことなのではなくて、たんに、当然詳しくなければならない、という立場のようだ。

13)近年、著者は、政治家を目指し、立候補しては、落選などをしているようだ。一体何を目指しているのか、私にはわからない。空や中観、仮観などについての言説も展開されているが、その元がわかってしまえば、著者からしか学べない、というものではない。むしろそこに自らのオリジナリティなどを付加しようとするならば、やっぱ、こいつ、おかしいぞ、と思われても仕方ないだろう。

14)当ブログとしては、時期をはずした読書となったが、まぁ一読しておいてよかった。SNS上の人物が、著者のことを過大評価していたので、ひょっとするとなぁ、と考えて再読してみたが、結論として言えば、当ブログとしては、前回、立ち読みした程度で離れていた、という態度は、決して間違いではなかった、と思う。

15)一時期、当ブログへの、著者関連のアクセスログが多発して見られたことがある。ある意味執拗で、なおかつ、著者関連のページへ誘導するかのような暗示が色濃く見られた。

16)当ブログは、著者との一定のつながりを持つことをしたくなかったので、一時期、そのアクセスを遮断したことがあった。これは、著者の名誉のために言えば、著者本人のふるまいではなかった可能性が高いし、こちらの勘違いであったかもしれない。

17)いずれにせよ、この本を突破口として、著者の本をもっと追っかけてみようとは、やはり思わなかったことを、ここに明記しておく。

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2014/02/21

居心地のいい「ミニハウス」---羨望の35軒 「可笑しな小屋」 ジェィン・フィールド=ルイス<3>

<2>からつづく

ジェィン・フィールド=ルイス (著), 松井 貴子 (翻訳)  2013/12 二見書房 単行本: 155ページ

 この本が気に入ったのはともかくとして、この本が気に入れば入るほど、なんとなく寂しく思えてくるのが、わがガーデンハウスである。ガーデンハウスとは名ばかりで本当は、もともとは自転車置き場だった。

Gh1  そもそもは、そこは単に塀だったのである。
Gh2  ある日、隣のオタクが引っ越すということになり、スチィ―ル物置をもらって、置くことになった。

Gh3

 そして、次には、別な隣の家が解体されることになり、自転車置き場のプラスチック板の屋根だけをもらってきたのである。Gh4  ところが、実際に置いてみると、自転車の後ろの部分が雨で濡れたりするので、すこし屋根を延長することにした。

Gh5

 形としてはこの時代が長かった。Gh6

 実際に使ってみると、足場が悪いので、余ったブロックなどを敷いてみることにした。Gh7

 スチール物置との境目から雨が漏れるので、屋根を横にも拡張した。Gh8

 やがて、息子のバイクを収納することになり、さらに屋根を前方に拡張したのである。Gh9

 そして、3・11震災で被災し解体する住宅からサッシ類や中古木材をもらってきて、クローズドのバイク置き場になったのであった。Gh10

 雨樋もつけ、バックドアも余り木で作った。入口付近も水たまりができるので、余っていたブロック石を並べてみた。現在のスタイルである。Gh11  さて、これからが、今後の計画である。屋根を、太陽光パネル工事の時に余った瓦で補強し、出屋根を作る。そして、スチール物置の上は、断熱の意味も含めて、すこし鉢モノでも上げてみよう。

Gh12

 出来上がれば、こんな形かな。Gh13

 ここまでくれば、いい感じかなぁ。あとは、内装を、もっとしっかりしないとね。

<4>につづく

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2014/02/20

ビットコインの可能性「Newsweek (ニューズウィーク日本版)」 2014/02/25<1>

 

ビットコインの可能性 <1>
「Newsweek (ニューズウィーク日本版) 」2014年 2/25号 阪急コミュニケーションズ; 週刊版 (2014/2/18) 言語: 日本語 2014/2/18 [雑誌]
Total No.3185★★★☆☆ 

Cover Story
ビットコインの可能性
新通貨ビットコインの正体

革命的発明か、単なるバブルか──
世界の注目を集める「新通貨」ビットコインの仕組みとリスク

新通貨 「夢のデジタル通貨」ビットコインの正体
■図解 金とビットコインを比べてみると
決済 現金と電子マネーに並ぶ「第3の通貨」になる?
開発者 サトシ・ナカモト、その痕跡と正体
疑問 究極の「新通貨」という幻想
検証 ビットコイン懐疑論の大きな勘違い

 ニューズウィーク誌のアプリに自動配信された表紙で、この号の特集を知った。前から、盛んにビットコインのニュースを送ってくれていた友人はいたのだが、いまいち関心を集中しないできた。先ごろ、いくつかのビットコイン「バブル」のニュースが流れてきていたが、今回、ようやく「ニューズウィーク」の記事で、いくらか調べてみようかな、という気になった。 

 と言っても、積極的に参加しようとか、一旗あげようとかいう気は毛頭ない。ただ、ここまで話題になれば、一般常識として、誰かとの話題に持ちあがったとしても、少しは対応できるように、という配慮に過ぎない。 

 私は、職種としては、リスクマネジメントやコンサルティングだが、業種としては金融業のはしくれ、ということになっている。一応仕事柄ファイナンシャル・プランナー(AFP)その他の資格を持たされている。一般人よりは金融について詳しい筈だ、という暗黙の了解が成り立っている。(しかし、実はそれほどでもないw) 

 さて、ビットコインとは何だろう。今のところ、まったく調べていないのだが、早い話が、ネットを通じた「地域通貨」みたいなものだろう、と理解している。ネット端末と金融、という組み合わせが、面白味を誘っている、と理解する。

 ネットと金融の組み合わせでは、私は過去二回、それとなく気もそぞろになったことがある。ひとつは2000年当たりの時に、ネット・トレードが話題になり、アメリカの最大手チャールズ・シュワブが日本に上陸した時のことだ。私は、かなり本気だったが、この会社は二年ほどで日本を撤退した。

 儲からないとなれば、さっさと手を引くのが、この手の業種である。まぁ、そうでもなければ、この手の仕事は務まらないであろう。もともと私も、本気に参入できるほどの資金も技術もなかったから、まぁ、撤退してくれて有難かったのだが、当時、このネットトレードで、参加した友人からも、儲かった、という話はあまり聞いていない。

 二度目は、いわゆるバーチャルゲーム「セカンドライフ」が巷間の話題になった時である。2007年前後、早いもので、あれからもはや6~7年の月日が経過している。本格参入しようと思って、私なりに、新しい高機能パソコンを買って、参加し始めた。

 現在はどうか知らないが、当時は、実に、閑散としたヴァーチャルな世界だった。たしかリンデンドルとかいう、セカンドライフでしか通用しない「地域通貨」があり、それがリアルな通貨と連動したため、一部、成り金が生まれた、という報道もなされた。しかし、その後、浮いた噂は聞こえてこない。もう、消えたものとさえ思われているようだ。

 さて、ネット地域通貨としてのビットコインに対する我が姿勢だが、まずP2Pが基本というところが引っ掛かる。現在、仕事柄、我がパソコンではP2Pアプリやサービスは出来ないことになっている。仕組みや思想的には、私はP2P支持派だが、別建てのパソコンでも準備しなければ、参入できないことになっている。

 そして、どうしてビットコインに参加するのか、という動機である。もはや、新しいアプリやサービスで一旗あげようだの、大儲けしようだのという気はまったくない。なぜなら、大儲けの前に、私の場合は、大損が見込まれるからだ。手持ち資金もない(笑)。だから、誰か、大儲けして、こちらにも廻してくれ、という姿勢しか持ちようがない。

 悲観的側面としては、やはり、まだまだ流行りものの域をでておらず、そもそもの日本人名らしいサトシ・ナカモトとかいう人物の論文によって成り立っているとかいう「伝説」もあやしく思う。ネット上のレジェンドには成り得ても、リアルな金融界にはなじまない、と私は見る。

 今回のこのニューズウィークの特集も、ざっと当たり障りのないものだが、まだまだキワモノというニュアンスをぬぐいきってはいない。ただ、それほど大きな特集ではないが、この特集を見ると、その全体像が分かるので、まずはこのくらい理解しておけば、他の人との話題にはついていけるかな、という程度には理解できるようだ。

<2>につづく

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日吉 眞夫 「常葉御前のこと」

「常葉御前のこと」
日吉 眞夫 (著) 2007/10 五曜書房 単行本: 238ページ
Total No.3184★★★☆☆

 何かのおりに山尾三省が屋久島にいくきっかけの一つになったのが日吉眞夫(ひよしまさお)であったことがわかった。彼について調べればいろいろわかるだろう、とタカをくくっていたが、その情報は割とすくない。最初のきっかけをメモし忘れた。

 前著である「屋久島―日常としての旅路」(2005/08麗沢大学出版会)には、山尾三省についてのまとまった章があるので、彼らの間に関係があったことは間違いはない。その経緯をもっと知りたいなと思って探したこちらの本だったが、ほとんど公立図書館には入っていない。こちらは常葉御前や平重盛といった歴史人物に関係がある地域の図書館から遠く転送されてきた一冊である。

 「あれはいかに?」
 源氏の兵どもが見守っていると、舟の中から、表は白く裏が青い柳襲の五衣で正装し真っ赤な袴を着けた年の頃十八、九のまことに雅やかに美しい女官が、深紅の扇を舟べりに差し立てて、陸に向かって手招きをしたのである。紅の扇には金の日輪が描かれていた。

 なんという場面だろうか。

 これが互いに射合い、斬り合い、組み打ち、相手の生首を掻っ切って奪おうとする戦いの、その真っ只中に現出した一こまの情景なのである。p15「弓矢の話」

 ぎょっとするような、あざかやなシーンである。おそらく国史や歴史小説の世界に通じている人々にとっては、ごくごく代表的な場面であるだろうが、この場面を、日吉眞夫と云う人が、敢えて一冊の本まで作って残した、というところに、何事かあらん、と好奇心をかきたてられる。

千人の美女から
選び抜かれた美少女
常葉---。
源義朝に愛され、
二十三歳の若さで
義経ら、三兄弟の
母であった彼女が
敵将の女
となったのはなぜか。
美しくも哀しい
平治物語の世界を描く 
カバー腰巻より

 常葉御前と言われても、ピンとこない向きには、牛若丸の母、とくれば、ははん、となるだろう。ここまで来ると、当ブログとのリンクがすこしづつ出来てくる。しかし、後半の「平重盛という人物」という文章となると、当ブログとしては、どうリンクを張ればいいか、苦慮することになる。

 源義経→平泉文化→東北日高見文明→縄文あたりまでの故事付けはできるが、逆ベクトルとして、源義経→常葉御前→平重盛の流れは、なんとか皮一枚で繋がるだけである。もっとも、日本一周のヒッチハイクの旅をした10代のおり、宮島の厳島神社が、いたく心に残っているので、私個人としては、どこかにリンクが内在しているかもしれない。

 著者、日吉眞夫は2008年11月20日に亡くなったとのことである。とすると、2007/09に出版されたこの本は、著者最晩年の作と考えてもいいだろうし、生涯の心境と受け取ってもいいのかも知れない。

 モノトーンの表紙ながら、本文はアート紙を使った、実に丁寧な一冊である。東大を出て、サントリーの広告を担当したこともある著者である。実に鮮やかで、鮮烈なイメージを遺す一冊である。

 舟の中から、表は白く裏が青い柳襲の五衣で正装し真っ赤な袴を着けた年の頃十八、九のまことに雅やかに美しい女官が、深紅の扇を舟べりに差し立てて、陸に向かって手招きをしたのである。紅の扇には金の日輪が描かれていた。p15「弓矢の話」

 実に鮮やかである。著者、日吉眞夫が最後に残したこの一冊は、まさに「紅の扇の、金の日輪」に匹敵するかのような印象を残す。

 「あれはどういうことか」
 「射よ、ということでございましょう。・・」
 p16「弓矢の話」

 屋久島に身を引いた著者の、最後に差しだした、紅の扇の、金の日輪を、撃ち落とせるだけの名手はどれだけいることだろう。

 物語の時代から八百年を隔てて、同じ国土の上ながら、環境も生産消費の構造も世の仕組みも異なる社会にわたしたちは住んでいる。それらのちがいを衣装として剥ぎ取ってしまえば、生身の人間が、それぞれの時代に与えられた条件を利用しながらさまざまな葛藤の中で生きていることが見え、八百年や千年で人間の本性は変化しないことが分かる。

 ただ死生観のようなことになると、文化の産物だから、時代によって異なる。

 往時は、死をそのものとしては恐れず、命より大事な価値のために、それを守って死んでいった人たちが少なからずいたということを、いま、この時代は、あらためて深く考えてみる必要があるように思えてならないのである。 p237「平重盛という人物」

 この本の結句である。

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2014/02/19

大人はもういい 子どもたちの未来のために 何ができるのか? 「アウト・オブ・コントロール」 福島原発事故のあまりに苛酷な現実 小出裕章×高野孟


小出 裕章 (著), 高野 孟 (著) 2014/1 花伝社 単行本ソフトカバー 128ページ
Total No.3183★★★★★

20140128171728

 私などのドシロートがどうのこうのいう時期はとっくに過ぎている。科学者でもなければ、運動家でもない。ごくごくその辺のおっちゃんが、どうのこうの言って、どうなるものでは、もはやない。だけど、その辺のおっちゃんが考えてもごく分かることなのに、どうして、強権政治家と一部ジャーナリストにはわからないのだろう。不思議でしょうがない。

 原子力の科学に関しては、小出裕章(教授、ノーベル科学賞・平和賞候補、と勝手に言ってしまう)氏以上に、私が信頼をおけるソースはない。その科学的見識、その人道的人物像、ネットワークとその経歴、この人がいなかったら、私はパニックになる。

 高野孟という人について、私はよく知らない。テレビなどで見る限りは、強面のジャーナリスティックな経済論者か、とも思うが、別段に親密には思えない。しかし、この人物も、この本を見る限り、殆どが、小出氏とほぼ同意見である。

大人はもういい

子どもたちの未来のために

何ができるのか? 表紙コピー

 本当だろうか。本当に、大人はもういい、と諦めることができるかな。今、大人になっているとしたって、日本の原発が開発され始まった4~50年前は、ほぼみんな子どもだったはずだよ。

 今の子どもたちだって、あと何十年かすれば、みんな大人になる。大人になって、老人になって、いずれこの地球からは去っていくことになる。

 そういった意味では、この地球上に生きている人間はすべからく同じであるはずである。子どもも大人も老人も、みんな同じ問題に直面している。もちろん、人間以外の、他の生物たちだって同じことだろう。

 私は不思議に思うのだが、3・11前後から、私の周囲には、どんどん新生児が増えだした。あちらにもこちらにも、赤ちゃんがいる。お隣さんも、いとこんとこも、甥も、姪も、友だちんとこも、赤ちゃんだらけなのだ。そして、まだまだ、これから続いて生まれてくる気配が十分に濃厚だ。

 はっきり言って、これは私の責任ではない(笑)。私の繁殖能力などは、もはやなく、ほぼ絶滅危惧種なのである。しかるに、この度、どんどん生まれてくる子どもたちは、逆に、自己責任で生まれてきているのではないだろうか、とさえ思う。

 ライフサイクルから考えて、私のジュニア世代が、さらに次の世代を生むタイミングになっているので、周囲に子どもが増えていくのは当然のことなのだろう。そして、これまで人類は、そうあるべきサイクルを繰り返してきたのだ。

 3・11では多くの人命が失われた。悲しいとか、悲惨とか、そういう感情を通り越している。言うに言えない世界がずっと展開している。そして、その後も、なぜか、友人たちや、仕事仲間たちも、次々と、歯が抜けるように欠けていっている。

 それも当然なのだろう。還暦も過ぎれば、死はやってくるのだ、目の前に、常に死はある。それは分かっているのだが、どうも、その流れは加速することはあれ、減速はまったくしていないようだ。

子どもたちの未来のために

何ができるのか?

 私は、本当のことを言うと、この子どもたちの未来のために、私にできることなど何もないのではないか、と思う。絶望、というより、事実の認識だ。子どもたちは、自分が好きでこの世に生れてきたのだから、自己責任で生きていきなさい、と、そう言うしかないのではないか、と思う。

 何ができるか、と言ったって、基本、この本のテーマで言えば、脱原発、即、原発ゼロにするしかないだろう。ああ、それなのにそれなのに、そうはならない。都知事選の結果を見ても、安倍テンプラ政権の妄想を見ても、ぜんぜんそのような方向にはいかない。子どもたちの未来、という意味では、そしてこの本が言うところのセンスでは、何もできません。

 終わったな、と思う。もはや取り返しのつかない時代へと突入しているし、気付いていても、もはや止められない時代へと入ってしまったのだ。手遅れだった。ダメだと思っても、最後の最後まで手を尽くすというのが、人間の生き方としては尊敬される姿勢ではある。しかし、それは、もはや実効力のある抑止力にはならない。

大人はもういい

子どもたちの未来のために

何ができるのか? 表紙コピー

 

  

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2014/02/14

「世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え」 エックハルト・ トール

エックハルト・トール (著), あさり みちこ (翻訳) 2006/05 徳間書店 単行本: 229ページ Total No.3182★★★☆☆

 エックハルト・トールは、「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」(2002/06 徳間書店)、「わたしは「いま、この瞬間」を大切に生きます パワーオブナウ宣言」 (2003/07徳間書店)、「ミルトンズ・シークレット」(2011/02マキノ出版)、に続く四冊目。 

 何冊かまとめてリクエストしておいたので、到着した分から目を通している。だが、もう内容的には大体わかっているので、そう熟読するほどもない。そもそも、最初から熟読モードではないが。

 原題は「Stillness Speaks」(沈黙は語る)。なんでこういう日本語タイトルになるのかな、と相変わらず首をかしげる。翻訳者のセンスなのかな。出版社の趣向なのかな。時代の要請だったのだろうか。

 この本、カウンターで受け取り、駐車場でひととおりめくり、速効で返却してきた。面白くない、とは言えない。面白い、とも言えない。不思議な本である。内容的には間違っているとは思えない。というか、この手の易しい本に、間違いなどありようがないのだが。

 ためにならないか、というと、そうでもない、と思う。だけど、今の私自身に役立つか、と言われると、ほとんど、必要ない、ということになる。つまり、私の「本」ではない、ということ。誰かが、どういうタイミングでか、この本に出会ったとして、この本をきっかけに人生が変わった、という人がいたら、それはめでたし、めでたし、と思う。

 そもそも、この本、還暦男は、読者層のターゲットに含まれていないだろう。内容的には還暦男にも面白くないわけじゃないが、本の作りが、はずれている。人生のどこかの局面でこの本と出会う、という想定をしてみるのは興味深い。

 私がもしこの本と出会うとすれば、どのタイミングだったらよかっただろう。たぶん16歳の高校生くらいが、ちょうどいいと思う。小学生時代でも、漢字さえ読めれば、面白いと思う。だが、小学生では、まだまだ人生経験がないので、いまいちリアリティが不足するだろう。

 29歳あたりなら、なんとかかんとか、ギリギリ読めないわけでもなかろう。もしエックハルト・トールが29歳でエンライトしたとしたら、その時の感覚がそのまま、ドライフリーズされているような本である。

 逆にいうと、それからの人生の重み、臭み、高み、深み、苦み、爆発、挫折、などの、挟雑物が少なすぎる。シンプルを旨とする著者に対して挟雑物が少ないとは、へんな言いがかりだが、つまりは、私は、あんまりモノトーンの人生はいやだ、ということになる。

 40歳前後で、この本を、自分の本として「熟読」している自分を、私はイメージできるだろうか。それは無理だ。でも、40歳前後で、この本を熟読している善男善女がいたとしたら、私は諒とする。他の本を読んでいる人よりは好きになるかもしれない。還暦して、この本を読んでいる爺さん婆さんがいたとしたら、まぁ、それもありだな。嫌いじゃない、その風景。

 だが、残念ながら、私には無理。この本、ある意味、旅行代理店の入り口にあるパンフレットのようなもの。きれいでシンプルでアイキャッチは100点。いいじゃない、これで。だけど、それはパンフレットだ。旅行そのものではない。

 もちろん、そのように、この本にも書いてある。入口にあるパンフレットに惹きつけられたとして、店のカウンターに座れば、もう、このパンフレットは必要ないだろう。もっと、「現実的」な日程などの条件が提示される。この時点で、このパンフレットの役割は終わりだ。

 だが、旅行代理店のカウンターに座ったからと言って、それもまだ旅ではない。エックハルト・トールはどの辺にいるだろう。マクドナルドオジサンのように、店に客をいれてしまえばおしまいか。どうだろう。そうではないはずだし、そうであったら、このお店はインチキということになる。

 彼は、ツアーコンダクター、添乗員であろうか。現地案内人であろうか。観光地の土産物屋のマスターであろうか。あるいは世界遺産の管理人であろうか。現地知り合う外国の友人であろうか。まさか、観光客を狙うコソ泥ではないことだけは確かだろう。そう願いたい。

 私は、この人を、どの位置の人と確定することは、あまりしたくない。それは私の仕事ではないし、多分、私の趣味でもない。あいまいなままにしておきたい。そういえば、そういう代理店があって、そういう旅行プランがあって、そういう世界遺産があったな。機上でも楽しいし、帰国後も楽しい思い出が残っている。たしかにそうかもしれない。

 人生、漠然としていていいのだよ。旅先で、ひょいと乗ったリキシャやイエローキャブの運ちゃんが、悟っていない、とは断言できない。いや、その可能性は十分ある。お、こいつ出来てるな、と分かったからと言って、そのタクシーにずっと乗り続けるわけではない。

 こちらはこちらの目的に着けば、あとは、運ちゃんとはおさらばである。それでいい。楽しい旅じゃないか。目的地につくまで、ほんのひと時、気のきいた会話ができれば、それは素敵な思い出だ。

  エックハルト・ トール。私は好きだな、この人。だけど、ずっと一緒に旅したいとは思わない。私は、基本、ちょっとロンリ―な一人旅がお好みです。偶然出会って、気のきいたジョークをひと言ふた言でも交わせば、それでOK。いいね。

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2014/02/12

「原発事故と農の復興」 避難すれば、それですむのか?!小出裕章・他

「原発事故と農の復興」 避難すれば、それですむのか?!
小出 裕章 (著), 中島 紀一 (著), 菅野 正寿 (著), 明峯 哲夫 (著), 有機農業技術会議 2013/03 コモンズ 単行本: 108ページ
Total No.3181★★★★☆

1)この本の読後感想を書こうとすると、どうも論理的には書けない。一時姿を消していた、箇条書きにして、メモを残すことにする。

2)この本は、農業に関わる人々が、原子力研究者の小出氏を招いて開いたパネルディスカッション、シンポジウムの報告である。その内容は、決してまとまったものではない。考えよう、考えなきゃね、という方向性だけが見出された、ということである。

3)成長か脱原発か、が問われた東京都知事選2014だったが、結局、人々は脱原発より、「成長」を望んだ。この本におけるいわゆる農業関係者たちも、結局のところは脱原発よりも、「成長」を望んでいる。

4)原発との距離や職業の違いはあれ、東京の一般的なマジョリティの考え方と、基本的には、この農業関係者たちの違いは少ない。

5)それに対する小出氏は、「反原発」の立場で、「原理主義者」として原発は即廃絶するしかない、と語る。当ブログは、基本的に、小出氏の立場を取り、あるいは、信頼し得る基本的ライン、基準線として採用する。

6)しかし、その通りにできるものではないし、即その考えを自らのものとすることはできない。小出氏の考え方があり、その時、私はどうするのか、という相対的なものになる。

7)私は戦後の東北の農村に育ち、周囲はすべて農家だった。学友たちも6~7割以上が農家だった。親戚も農家だらけ。農家でない親戚を見つけることは難しかった。しかるに、あれから二世代過ぎてみれば、ほとんど専業農家はない。農家とは名ばかりで、ほとんど農業は壊滅している。

8)私自身も、実は、インド滞在のあと帰国して、20代半ばにして、二年ほど専門的に農業を学んだことがある。環境が整えば、私はその後、農業をやっていても不思議ではなかった。妻ともその学校で出会った。

9)しかし、卒業間際に私は大病を患い、肉体労働を断念せざるを得なくなった。その後、完全復活したわけだから、もっと農を自らのものにすべきだったのだろうが、そうはならなかった。もともとが、口では農業とはいうけれど、本当に「職業」として取り組むことは出来なかった。

10)この本における「議論」は、ある意味、平行線である。あるいは、農業の当事者たちだけでは、ほぼ一致点しかでてこないような状況の中で、なんとか別の視点からの突破口を開こうとしたのだろう。

11)基本的に、この本の中で小出氏は浮いている。その浮いている立場からオブザーバーとして意見を述べている、ということになる。

12)小出氏は、科学者であり、思想家であり、原理主義者である。かたや農業関係者たちは、生活者であり、実践家たちであり、そして彼らもまた原理主義者たちである。ふたつの原理主義がぶつかっている。

13)私にはどちらの原理もわかる。おそらくこの二つの原理主義は、すくなくとも私の生前には和解しないだろう。つまり、二つの立場に引き裂かれてしまったのである。これら二つの立場の理想は同じことなのである。人間は自然とともに生きるに限る、と。

14)しかし、同じ共鳴し合える理想の前に、科学者であり思想家と、生活者であり実践者たちは、二つにバックリ引き裂かれている。

15)引き裂いているのは「原発」である。

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政治とジャーナリズムに対する原点 『朝日ジャーナル』特集:ミニコミ’71---本流する地下水<2>

<1>からつづく

Asj

特集:ミニコミ’71---本流する地下水 <2>

「朝日ジャーナル」 1971/03/26 朝日新聞社 

2014年初頭の東京都知事選についての雑感をウェブ上のSNSにシェアしたところ、いろいろな手掛かりを得ることができた。ひとつひとつに細かいレスなり反論は必要で、今後もそちらにコメントをつけていくことになるだろう。

 しかし、あちこちに散逸してしまうと、自分の全体像が見失われてしまう可能性もあるので、いま、友人たちの書き込みに対するレスの走り書きメモとして、ここに書いておくことにする。

 当ブログは、今でも「読書ブログ」の形骸が残っており、その形で残すのが適切だと思い、じゃぁ、なにを元「本」にしようかと逡巡したところ、この「朝日ジャーナル」ミニコミ特集がいいのではないか、と思いついた。

 手っ取り早く言えば、私は、政治にも、ジャーナリズムにも絶望している。最初から絶望していたわけではない。私なりに希望は持っていたし、子ども時代には大きな夢ももっていた。しかし、それは過去のことだ。

 最初、学級の新聞部として壁新聞を作ったのは小学校3年生の時。模造紙にマジックサインペンで手書きしたものが最初だが、5年生からはガリ版で作った。中学校時代には、1年生のときに石川裕人たちと同人誌も作ったし、学校新聞部の部長として、全校内のアンケート調査などを実施、好評を博した。

 このまま素直に成長して行けば、素直に勉強して、大学に行って、メディアに就職して、ジャーナリストのはしくれとなり、時には政治を語り、時には経済を語る文化人の顔をしていたであろう。漠然と、晩年は宗教の研究でもしようと思っていた。

 ところが、私が高校に入ったのは1969年、政治の嵐が吹きすさんでいた時代だった。中学校時代からやっていたバスケット部から、学校新聞部に移籍し、学校の生徒会にも積極的に参加した。制服自由化運動や、代議員制度への改革など、当時議題となっていたテーマに積極的に取り組んだし、生徒会長選挙にも立候補した(4名中、3位落選)。

 私が、奈落に落ちたとするなら、1970年の6月、70年安保に絡んだ社会情勢と、学校内の「事件」であっただろう。デモに行かせまいとする学校側の「策謀」に対する情念が爆発して、生徒たちによる職員室占拠事件が起きた。

 私はその事件にはまったく関わっていなかったが、新聞部として、積極的に取材した。写真を撮り、実際の報道をチェックした。その過程の中で、私は、なぜか実行グループの一員として誤認連行され、日々尾行がつく、という次第になってしまった。

 後日わかったことだが、私は新聞部の他に、いくつかのサークルに参加しており、そのサークルの三年生たちが実行したのだった。二年生だった私は、誘われなかったのだ。調査する側にしてみれば、なるほど、私はグレーゾーンにいたと疑う余地は確かにあったのだ。

 なにはともあれ、高校二年生の私はこの事件の中で、深く傷ついた。ひとつ。ジャーナリズム、マスメディアが流す情報は、ひとつひとつチェックしないことには、信用してはならないということ。すくなくとも、複数のニュースソースをチェックする必要があるということ。

 つまり、結局は、ジャーナリズムに「真実」を求め、人生最大の目標とすることは無駄であると、悟った。そして、二つ目。これはこの時ばかりではないが、これ以降の社会情勢を見ていて、「政治」もまた、人生の最大テーマにはなりようがないのだ、と深く納得したところがある。

 結局私は、高校二年生の時に、学校新聞部に属して活動しながら、自分だけのミニコミ誌を作り始めた。この個人ミニコミ「すくりぶる」については、以前、すこし書いた。自分の原点としては、このミニコミを外すことはできない。これが、「朝日ジャーナル」にリストアップされることによって、私の世界は、飛躍的に拡大した。このリストでは、宮城県から7つのミニコミが紹介されており、その中の一紙が、「のりひび」だった。

 「のりひび」は、「全国原子力化学技術者連合仙台支部、東北大反公害闘争委員会、仙台市東北大工学部内・女川原発実力阻止」(p7)という紹介がある。今日の小出裕章氏の活躍を考える時、すでに、この時点で彼らと私たちが横一線に並んでいた、と、拡大解釈をすることも可能だろう。当ブログ2012/10/24

 正直にいいます。当時、このような形で「連帯」していたなんて気がつかなかった。最近になって、小出氏たちとの「連携」に気がつき、私としては、このうえない「誇り」を感じるようになった。

 高校を卒業する時点で、進学校に通っていた私は通常なら大学受験をすべきなのだが、進学もせず、就職もしない、という道を選んだ。もちろん悩まなかったはずはない。ジャーナリズムの道に進むなら、せめて大学教育は必要だろう、という読みはあった。だが、私の周囲は、私をそのようには導かなかった。

 私は、高卒後、70年安保のデモで知り合った友人たち4人と、小さなコミューンを作ることになり、そして、そこから新しいミニコミをつくることとし、私の個人ミニコミはここに拡大吸収されることになった。ミニコミ「時空間」については、以前、少し書いた。

 これ以降については、数はすくないが、友人たちの書込みもすこしづつ増えているので、全体像がやがてはっきりと浮かび上がってくるだろう。

 その後、経緯はいろいろある。これについても、後日、当ブログに展開することもあろう。とにかく1974年あたりで、20歳になったばかりの私は、政治にも、ジャーナリズムにも、すっかり失望していた。絶望、と言っていい。

 1975年、星の遊行群、ミルキーウェイ・キャラバンの中で、21歳の私は「存在の詩」と出会った。それ以降の経過については、他にも書いたので割愛する。

 ここで確認しておくべきことは、私自身は、ジャーナリスト志望でありながら、そのジャーナリズムに関してはすっかり絶望していたということ。政治には戻らないということ。だれかが「不東庵」となづけて隠遁したようだが、私の「不東」感は今だに、なお深い。

 そして、絶妙なタイミングで私はOSHOと出会った。これ以降については、当ブログの主テーマなのであり、そのことの真意については、日々、当ブログを確認してもらうしかない。

 もっとも大変だったのは、1985年前後におけるアメリカのコミューンでの出来ごとについてであろう。ここにおけるポジネガの評価は、わが友人たちのネットワークが訳出した「OSHO:アメリカへの道」(2005/10 和尚アートユニティ /めるくまーる)にくわしい。

 日本の社会的にOSHOがある意味ピンチに立たされたのは1995年の麻原集団事件のときであろう。内外から、さまざまな推測憶測・雑感・コメントが噴出した。遺伝子操作だの、グルイズムだの、カルトだの、いろいろな評価はあった。

 なにはともあれ、私の中におけるOSHOは、一瞬も陰ることはなかった。

 さて、政治とジャーナリズムについての視点に戻ってみれば、私はマーケットプレイスにいるのであり、社会から根絶した環境に身を引くことは考えたことはない。投票権がある時は、一度も棄権したことはない。その時その時、最大限考えて、自分なりの最高の投票行為をしてきた。右も左もあり得る。私は典型的な浮動票である。

 しかしながら、政治には希望を持ってはいない。もちろん、よい方向に行ってほしい。悪い方向には行かないでほしい、と願っている。でも、最終的な人生の目的は政治では達成できないだろう、と達観している。

 おなじくジャーナリズムについても言える。ジャーナリズムがよい方向に行くことを願っている。変な報道をすれば、相変わらずだな、と吐き捨てる。しかし、ジャーナリズムが最終的な世界を切り開くとは、全然期待していない。

 当ブログが「ジャーナル」とタイトルに名付けているのは、私がジャーナリスト志望だったことの、多少の痕跡である。ブログ・ジャーナリズムという切り口に、多少の魅力を感じたのは確かだが、マスメディアに対する、一人のブロガーの力など、たかが知れていると思う。

 それに比した場合、私は、OSHOに絶望したことはない。私自身がOSHOから遠く離れたり、そのネットワークがあちこちに揺れ動いたりして、全てを肯定できるとは言いかねるが、少なくとも、私の、最後の希望は、OSHOにしかない。

 そしてまた、ここからはお話レベルであるが、OSHOにも絶対絶望してこその、最後の希望の立ち上がりである、だろう、と予測する。私は誰か、の究極の問い、そしてその答えとは、何か。

 東京都知事が誰になろうと、どうでもいいことだ。もちろん私が好きな人が当選すれば、それに越したことはない。だけど、所詮そこまでだろう。私が嫌いな人が当選したとしたら、私はガッカリするだろう。だが、私は自殺などしない。そんなことは人生の最終目的ではない。

 マスメディアが偏向報道すれば、私はいきり立つ。だが、彼らと心中する気は私にはまったくない。所詮彼らには限界がある。最終的な真理は、ジャーナリズムに掘り起こすことはできない。期待するほうがどうかしているのである。

 細川護煕は、自らを一度は「不東庵」と名付けた限りは、決して東に行くべきではなかったのだ。「憂しと見し世ぞ 今は恋しき」。甘いぞ。絶対に甘い。お前の「不東」は、完璧に崩れ去った。

 むのたけじの「ジャーナリズム」も所詮、それまでのこと。99歳になってジャーナリストを気取ること自体、負けである。人間99歳になったら、他にやることがある。

 小出裕章氏は生涯をかけて、原発=核を研究している。その姿勢に心打たれるところある。彼の姿勢は、ジャーナリズムでもなければ、政治でもない。彼は、人生の柱をその研究においてはいるが、その研究の向こうを見ている。彼は、今回の東京都知事選では、宇都宮けんじを、敢えて選択した。しかし、それは敢えてであって、積極的に推薦したのでもなければ、そこに代理闘争をみたわけでもない。

 あちこちになってしまった。友人に対する答えにはなっていないかも知れない。少なくとも、私は、自分の人生の中において、政治にも、ジャーナリズムにも、夢を持っていない、ということをここに記しておけば、それで足りるということになる。その絶望感は、かなり深く、十代からのものだと、記しておく。

 じゃぁ、どうするんだい、と聞かれれば、即答しかねるが、すくなくとも、この文章でも多少は触れていると思うし、また、残された人生の中で、私なりに検証しつつ具体的に生きつづけていくしかない。

<3>につづく

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2014/02/10

居心地のいい「ミニハウス」---羨望の35軒 「可笑しな小屋」 ジェィン・フィールド=ルイス<2>

<1>からつづく

ジェィン・フィールド=ルイス (著), 松井 貴子 (翻訳)  2013/12 二見書房 単行本: 155ページ

この本、とても気にいったので、この他のシリーズ化している本も手にとってみた。

Total No.3176~3180★★★☆☆

 しかし、どの本もいまいちだった。なぜだろう。

 このシリーズは以前に、「可笑しなクルマの家」を見た。

 結局、いろいろ面白いアイディアはあり、世界各地にすでに、それを「実践」している人々があり、それが画像として編集されていれば、たしかに面白い、ということになる。「可笑しい」というのは、単にファニー、というだけではなく、「愉快」という意味も含まれているだろうから、エンジョイ、というニュアンスもつまっているのだろう。

 単に奇をてらっただけなら、すぐ飽きてしまうし、そこに「生活」は生まれないだろう。本当に、「地球の家をたもつには」という目的に即して考えてみれば、愉快にエンジョイできるスタイルでなければならない。そして、それは「夢」ではならない。

 そう考えてみれば、実際に、私には、「可笑しい」ガーデンハウスがあり、寒かったり、雨漏りしたり、棚が少なかったりしていて、現実的に「改良」していくポイントがはっきりしている。とにかく、自分サイズに作っていくのだ。

 そう言った意味においては、他の人がどうであろうと、私には私の「可笑しな小屋」があり、その具体案としてのアイディアが、この、本としての「可笑しな小屋」の中に見つかった、ということなのだろう。全部が全部、ということではないけどね。

 ひとつ、ふたつ見つかっただけでもよしとしよう。

<3>につづく

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「ウェブで政治を動かす! 」津田 大介 <6>

<5>よりつづく

津田 大介 2012/11 朝日新聞出版 721 KB 紙の本の長さ: 85 ページフォーマットKindle

 2014東京都知事選が終了した。その結果はともかくとして、私としては、途中からネット参戦して、それなりに面白かった。

 「ウェブで政治を動かす」ということだが、別段この本を読みなおしたわけではない。そのようなコピーを思い出したので、ここにメモしておく、というだけである。

 著者も一生懸命ツダッってはいるが、いまいちハートに響かない。コンテンツ論からややコンテナ論に退却しているようでもあり、政治そのものも、コンテナ論に堕しているように思う。

 ややコンシャスネス論に昇華しようとした細川+小泉の流れは、基本、政治的詐欺師的正確を帯びていた。そもそも、細川は、もう政治には戻らないという決意で「不東庵」と名付けた工房で、「芸術家」として身を引いたのではなかった。ここからして、ウソ臭い。

 役者と言えば、佐村河内守に匹敵する。作曲ができないのに作曲家と偽ることと、脱原発が出来ないのに脱原発を語る政治家は、似たようなものだと、今の私なら感じる。小泉のバックを得たというのが、もともとウソ臭い。

 もし脱原発を語るなら、3・11以前から何十年も脱原発を運動してきている方々がいるのだから、誠実にその人々の声を聞いて、心から反省しなければならない。自分が為政者であったことは棚に上げて、今ようやくわかった、なんてのは、ゆるせない。

 もちろん、一個の人間としてのことではなくて、政治家としての姿勢のことを言っている。

 16人の候補者がいたらしいが、その他の「泡沫候補」のことはほとんど話題にはならなかった。

 そもそも、私には投票権はなかったが、友人に少しでも影響力を持てれば、と私は宇都宮候補を応援した。ネットでも、そのような情報をリツートし、自らも少し書いた。

 これまで、ブログ→ツイッター→フェイスブック→ミクシーと連動させて、当ブログのタイトルのみを流すような、マルチポスト手抜きネット利用をしていたが、最近それをやめた。もう少し、ネット活用を考えなおしてみようと思っている。

 そもそも当ブログは、コンシャスネス論、ハートが中心のブログであるはずである。しかるに、少なくとも細川+小泉のハート、コンシャスネス論は、まったく響かなかった。むしろ、宇都宮氏のコンテンツ論に、わがハートは共鳴した。

 そのことの断片をここにメモしておけば、この書込みはこれで終わりである。

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2014/02/08

「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」 エックハルト・トール


「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」 
エックハルト・トール (著), あさり みちこ (著), 飯田 史彦 (著) 2002/06 徳間書店 単行本: 305ページ
Total No.3175★☆☆☆☆

 残念ながら、この本には高い評価をつけることはできない。残念なのは、この私だ。この本が残念なのではない。おそらく、この本によって、何か気付く人はきっといるに違いない。おそらくその為に書かれているわけだから、そうあってしかるべき一冊なのである。

 しかるに、残念な私は、せっかく最寄りの図書館が遠くの図書館から借りてくれた本を、「よく読みもしないまま」返してしまうのだ。実に残念である。なぜ、私はこのような「残念」な行為をするのであろうか。

 この本は、アメリカではたくさん売れたけど、日本ではそうでもなかったらしい。その為に、この本をまとめたような本がもう一冊でたようだ。「わたしは「いま、この瞬間」を大切に生きます」 パワーオブナウ宣言(2003/07  飯田史彦・責任翻訳)。

 基本的には、どちらの本も似たような本になっているが、同じ著者の本だからそうならざるを得ないのだろうし、逆にいうと、そうしかならなかった、ということだろう。

 著者には代表作として、この本の他にもう一冊「ニュー・アース」 意識が変わる世界が変わる(2008/10 サンマーク出版)があるらしい。この本も、まもなく手にとることになるだろう。他にもいろいろ本はでているようであるが、私はもう、最後の一冊を手にすれば、あとは、もう著者の本は読まなくてもいいと思う。

 なぜか。

 わからない。

 縁がないのだと思う。この本は、何か知識を得るための本ではない。あえていうなら「How to」本である。実践の書だ。本と、ではなく、著者エックハルト・トールと、なんらかの浅からぬ縁を持とうとするなら、この本は素晴らしい。

 この本は知識を得るための本ではない。あるいは知識を得ようとするなら、多分、危険なことになる。

 この本は実践の書である。How to として、実践してみなければ、その価値は分からない。

 しかし、テーマがテーマである。およそ、知識という知識が無駄になる地平がある。そして、あらゆるHow toというHow toが、まったく意味をなさなくなる地平がある。その地平について、この本には書いてある。

 つまり、この本が本として存在し、文章として存在していながら、実は、その裏を、その上を、そして、ここに書かれていないことを、この本から読みとろうとする姿勢がなければ、実際には、この本から「知識」を得ることもできないし、「How to」を学ぶこともできない。

 いや、むしろ危ない。危険と言える。

 余人は知らず。私にとってはそうだ。

 機縁ということがある。時が時なら、場が場なら、その機縁も熟すだろう・・・・か。多分、それもないだろう、と今の私は見る。

 過去もなく、未来もない、と著者が言う限り、私は、「今」の私を素直に表現しておくしかない。

 書いてあることは間違っていないはずである。ただし、書いてあることは正しい、とも言えない。それは、読み手に掛かっている。間違ってもおらず、正しくもない。それを意味づけるのは、読み手の「今」である。

 エックハルト・トールを高く評価する人々がいることを知っている。いていいと思う。それと同じくらい、私の感性は感性として、あっていいのだと、思う。思うしかない。

 とかなんとか。もったいぶってもしかたない。

 私はこの本は読めない。読まない。

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「ミルトンズ・シークレット」~幸せになる世界一シンプルな方法 エックハルト・トール

「ミルトンズ・シークレット」~幸せになる世界一シンプルな方法
エックハルト・トール (著)2011/02 マキノ出版 ハードカバー 約70ページ
Total No.3174★☆☆☆☆

 うーーん。ここは私の私的なブログであるし、私が私なりに好きなように書いていいブログだとすれば、今の正直な気持ちを書いておいたほうがいいだろう。あとあと自分で読んで、ああ、そう言えばそうだったな、と納得できるようにしておこう。

 はっきり言って、この本は、ほとんど、我がハートに引っ掛かるものはない。よそ様にお勧めしようもない。発行は2011/02。3・11直前とは言え、あまりに面食らうほどのとっかかりのなさである。

 そもそも、子供向けの絵本であるし、読者層のターゲットに入っていないから仕方ないのかも知れない。しかしである。すこしづつエックハルト・トールという人の存在を確かめ、youtubeなどで、その存在感を味わい、表現されている本や言葉を味わいつつあるのだが、どうも、いけない。

 彼の本としては2冊目。1冊目の「わたしは「いま、この瞬間」を大切に生きます」 パワーオブナウ宣言(2003/07  飯田史彦・責任翻訳)も、めくっては見たのだが、一見悪い本だとは思わないのだが、どうも呑みこめない。

 実は3冊目も、めくりつつある。エックハルト・トールの代表作とされる「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」。これって、日本語として可笑しくないかい? 正直言います。こちらも、なんだかなぁ、と小首を傾げてしまう。

 ああ、これ以上、書くと、お里がバレるというか、理解力のないやつだなぁ、と、笑われてしまうかもしれないから、もう、書かないでおこう・・・・。でも、あとから自分で読んで、ああ、やっぱりな、と思う程度にはメモしておかなければなるまい。

 「「さとりをひらくと・・・」の原題は「The Power of NOW」。原題だって、必ずしも英語としてキチンとしたものではないだろうが、それを日本語にするとこうなる、と言われても、ああ、今の私には理解できないな。

 内容的には分からないでもない。エックハルト・トールの体験は体験として、よしとしよう。それを書いた本が、全米で何百万部も売れたとするなら、それはそれでいいとしよう。しかしながら、それが、それぞれの生き方、つまり、私なら、私のための、生き方指南として、もし彼の一連の本があるとするなら、それは、多分、ほとんど、無価値である。

 「世界のスピリチュアル50の名著」(T.バトラー・ボードン2007/09)にもエックハルト・トールはリストアップされていたから、いつかは読むことになるだろうとは思っていたが、どうも、今なのか、そうでないのかは、不明。

 そもそもエックハルト・トールの「悟境」というものは、こんなものなのだろうか。アメリカ西海岸におけるポピリズムとしては面白いのかも知れないが、東洋の、なお、禅の伝統すら誇りとする日本においては、ほとんど目新しいものはないのではないか。オリジナリティに欠ける、とさえ思う。

 前回、翻訳を、楽譜を見ながら演奏する演奏者に例えてみた。しかし、一連の彼の本においては、多分、私は、適格な演奏者を見つけることはできないだろう。であるなら、オリジナルな楽譜(つまり英語の原書)を読めばいいことなのだが、どうも、その魅力もあまり感じないのだ。

 時あたかも佐村河内守の作曲疑惑が浮上しているときであるが、もし、そもそもの楽譜自体に難ありとなれば、それも実に困ったものである。代作者、偽作曲者、演奏者、それぞれの思惑が重なりあって、とても「シンプル」とは思えなくなる。ましてや「さとり」などという言葉を添えて読むようなものとはならないであろう。

 これは、この著者に限ってことではない。私の読書の志向性によるところ大であろう。ただし、これらのテーマは、読書や、本で終わらないのである。書籍や読書感想を超えたところで、おこるビーイングのことであるから、まぁ、本としての出来がよかろうが、悪かろうが、本当のことは、別次元で起きていく。

 まぁ、こんなところだけ、とりあえずメモしておく。(汗

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2014/02/06

家を建てたくなる力がわく「ホームワーク」 ロイド・カーン 完全日本語訳阪

ロイド・カーン (著), 河村 喜代子 (翻訳) 2005/10 ワールドフォトプレス ムック  256ページ
Total No.3173★★★☆☆

 ロイド・カーンはシェルター」(2001/10 ワールドフォトプレス)に続いて二冊目。同じシリーズでカーンが紹介分を書いている本としては「小屋の力」(2001/05 ワールドフォトプレス)もめくってみた。いずれも、ハードというよりは、ディープな生き方を紹介している本で、当ブログとしては、すこし重すぎる。

 比較するなら、ジェィン・フィールド=ルイス「可笑しな小屋」 (2013/12 二見書房)のほうがよっぽど気が楽だ。サイズといい、手軽さといい、人生の生き方そのものといい、カーンの世界は、私だけではなく、日本においては、必ずしも一般受けしないだろう。

 ではアメリカではどうかというと、おそらく基礎的な支持層があるのだろうと思われる。なんせ、1960年代から活躍してきた表現者で、あの「ホースアースカタログ」のスチュアート・ブランドとの親交もあり、その編集に携わってきたというから、筋金入りだ。

 ただ、現在の当ブログは、この筋金入り、ってところがどうも引っかかっており、疑問符を打つに至っている。スチュアート・ブランドはそのエコロジー志向から、当然のごとく脱原発派だと思い込んでいたが、実は「推進派」なのである。

 それは「ガイア仮説」のジェームス・ラブロックの「コテコテ」の思想に影響を受けたようなのだ。本当なのか? と二重三重の疑問符を持つに至った。

・ラブロックは推進派である。なぜに?

・スチュアートブランドは推進派に「転向」した。なぜに?

・カーンは、脱原発なのか、推進派なのか?

・そもそも彼らが主張する安全性の高い小型原発は開発可能なのか? 3・11後においても、その主張に揺らぎはないのか?

 当ブログとしては、この辺に、きっちりとケリをつけておきたい。少なくともゲーリー・スナイダーは脱原発である。当然、当ブログも脱原発である。しかし、偏狭に、強固な思想にこり固まっているわけでもない。いろんな意見を聞いてみたい。

 もし、ロイド・カーンも推進派なら、なぜにこれほどまでにディープなエコロジカルな生き方を追求しながら、推進派を語ることができるのか。よくもわるくも、ファッションではあるまい。マッキベンなどの変遷もある。

 そのディープなところを、今後、機会をとらえて追求していきたい。

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「A Life in Japan 」  ドキュメンタリ−(英語、日本語字幕)

「A Life in Japan」
A Life in Japan free in on line ドキュメンタリ−(英語、日本語字幕)  80分
Total No.3172

 朝早く目がさめ、布団の中で、FBを探り、友人の書き込みのなかから、二つのビディオを見た。一つは、なぜ日本は自殺が多いか、何故年間三万人の自殺者がでるのか、という、ちょっと寒いビディオ

 かつて20年ほどまえには、自殺防止機関の電話相談口担当もしていたので、ビディオのデータがちょっと間違っていたこともあって、はぁ、さらに落ち込んだ気分になった。一時間を超えるビディオであった。

 そして二本目。こちらも一時間を超える長いビディオであったが、こちらは心温まる原寸大のビディオだった。何人もの、外国から日本にやってきた人々の感想をコラージュ風にまとめたものである。

 こちらはよかった。特に、登場してくるあるひとりの女性がとても印象的だった。こういう人が近くにいたら、友だちになりたいな、と思った。この頃は、あまり他人と突っ込んだ話をしなくなってしまっているが、こういう人となら、ジックリ話し込んでみたい。

 多分、当然のことながら、意見もいろいろ異なってくるだろう。だけど、こんな雰囲気の人なら、1時間も、2時間も、一緒にいても飽きないだろうな、と思った。もちろん、相手が許してくれたらの話だが。

 そして、彼女をひきつけることができるほどのお話しを、私のほうからすることができるだろうか。1時間も、2時間も、もつだろうか。そこのところを考えただけで、なんだかドキドキしてきた。

 他の女性たちも素敵だったが、他の男性も素敵だった。この人たちとなら、ゆっくり何かできそうだな、と思った。最初はわりと表面的だが、残り4分の3あたりになると、ちょっと重い話題にもなる。

 だけど最終的には、とてもいい日本紹介のビディオになっている。どこで誰が作ったのかなんて、あとで調べよう。とにかく、自殺大国日本を解毒するには、このビディオが必要だった。

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2014/02/05

政治家はみな病んでいる OSHO 「英知の辞典」<34> 政治 POLITICS 

<33>からつづく

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「英知の辞典」<34> 再掲
OSHO, スワミ・アナンド・ソパン 1996/05 めるくまーる 単行本  579p

  政治 POLITICS

 私の政治家たちに対する態度は、彼らはみな病んでいる人たちだというものだ。彼が全体主義者(ファシスト)だろうと、資本主義者であろうと、共産主義者であろうと、問題ではない。政治家は病んでいる人だ。彼はひどく暴力的だ。

 さて、彼の暴力は多くの形を取りうる。彼はアドルフ・ヒトラーになりうるし、毛沢東にもなりうるが、どちらも暴力的な人物であり、どちらも社会は暴力を通じて変革されねばならないと信じている。

 誰かが社会を力づくで変革しなければならないと信じているとき、彼は狂っている。人々を説得することはできるし、人々に説明することはできるが、彼らに強制することはまさに狂気だ・・・・・たとえ彼らのためにと強いるのであれ。強制は強制だ・・・・。

 私は毛沢東は”なにひとつ”よいことをしなかったと言っているのではない----そうは言っていない。私はが言っているのは、たとえ人々のためであれ、彼らに強いるのはよくないということだ。

 暴力は間違ったことであり、誰であれどのような形でも他の人々の生命を手段として使うべきではない。誰しも自分自身が究極的な目的であるのだから・・・・。

 私は個人は信じるが、社会は信じない。私の全面的な敬意は個人に向けられており、社会に向けられてはいない。社会を個人の上位に置く、すべてのもくろみは危険だ----それが全体主義(ファシズム)であれ、社会主義であれ、資本主義であれ、共産主義であれ、違いはない。

 どのような体制であれ、個人よりも社会のほうが重要だとするのは危険な哲学だ。それは個人を殺す。真の実体は個人にあり、ほんとうに生きているのは個人だ。社会とはただの名前にすぎない。  THIS IS  IT! OSHO  349p  
  

  

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