家を建てたくなる力がわく「ホームワーク」 ロイド・カーン 完全日本語訳阪
ロイド・カーン (著), 河村 喜代子 (翻訳) 2005/10 ワールドフォトプレス ムック 256ページ
Total No.3173★★★☆☆
ロイド・カーンは「シェルター」(2001/10 ワールドフォトプレス)に続いて二冊目。同じシリーズでカーンが紹介分を書いている本としては「小屋の力」(2001/05 ワールドフォトプレス)もめくってみた。いずれも、ハードというよりは、ディープな生き方を紹介している本で、当ブログとしては、すこし重すぎる。
比較するなら、ジェィン・フィールド=ルイス「可笑しな小屋」 (2013/12 二見書房)のほうがよっぽど気が楽だ。サイズといい、手軽さといい、人生の生き方そのものといい、カーンの世界は、私だけではなく、日本においては、必ずしも一般受けしないだろう。
ではアメリカではどうかというと、おそらく基礎的な支持層があるのだろうと思われる。なんせ、1960年代から活躍してきた表現者で、あの「ホースアースカタログ」のスチュアート・ブランドとの親交もあり、その編集に携わってきたというから、筋金入りだ。
ただ、現在の当ブログは、この筋金入り、ってところがどうも引っかかっており、疑問符を打つに至っている。スチュアート・ブランドはそのエコロジー志向から、当然のごとく脱原発派だと思い込んでいたが、実は「推進派」なのである。
それは「ガイア仮説」のジェームス・ラブロックの「コテコテ」の思想に影響を受けたようなのだ。本当なのか? と二重三重の疑問符を持つに至った。
・ラブロックは推進派である。なぜに?
・スチュアートブランドは推進派に「転向」した。なぜに?
・カーンは、脱原発なのか、推進派なのか?
・そもそも彼らが主張する安全性の高い小型原発は開発可能なのか? 3・11後においても、その主張に揺らぎはないのか?
当ブログとしては、この辺に、きっちりとケリをつけておきたい。少なくともゲーリー・スナイダーは脱原発である。当然、当ブログも脱原発である。しかし、偏狭に、強固な思想にこり固まっているわけでもない。いろんな意見を聞いてみたい。
もし、ロイド・カーンも推進派なら、なぜにこれほどまでにディープなエコロジカルな生き方を追求しながら、推進派を語ることができるのか。よくもわるくも、ファッションではあるまい。マッキベンなどの変遷もある。
そのディープなところを、今後、機会をとらえて追求していきたい。
| 固定リンク
「24)無窮のアリア」カテゴリの記事
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<8>(2014.04.07)
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<7>(2014.04.07)
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<6>(2014.04.06)
- OSHO「存在の詩」第1号 1975/08 アッシーシ・ラジネーシ瞑想センター 編集スワミ・プレム・プラブッダ(2014.04.05)
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<5>(2014.04.06)
コメント