大人はもういい 子どもたちの未来のために 何ができるのか? 「アウト・オブ・コントロール」 福島原発事故のあまりに苛酷な現実 小出裕章×高野孟
小出 裕章 (著), 高野 孟 (著) 2014/1 花伝社 単行本ソフトカバー 128ページ
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私などのドシロートがどうのこうのいう時期はとっくに過ぎている。科学者でもなければ、運動家でもない。ごくごくその辺のおっちゃんが、どうのこうの言って、どうなるものでは、もはやない。だけど、その辺のおっちゃんが考えてもごく分かることなのに、どうして、強権政治家と一部ジャーナリストにはわからないのだろう。不思議でしょうがない。
原子力の科学に関しては、小出裕章(教授、ノーベル科学賞・平和賞候補、と勝手に言ってしまう)氏以上に、私が信頼をおけるソースはない。その科学的見識、その人道的人物像、ネットワークとその経歴、この人がいなかったら、私はパニックになる。
高野孟という人について、私はよく知らない。テレビなどで見る限りは、強面のジャーナリスティックな経済論者か、とも思うが、別段に親密には思えない。しかし、この人物も、この本を見る限り、殆どが、小出氏とほぼ同意見である。
大人はもういい
子どもたちの未来のために
何ができるのか? 表紙コピー
本当だろうか。本当に、大人はもういい、と諦めることができるかな。今、大人になっているとしたって、日本の原発が開発され始まった4~50年前は、ほぼみんな子どもだったはずだよ。
今の子どもたちだって、あと何十年かすれば、みんな大人になる。大人になって、老人になって、いずれこの地球からは去っていくことになる。
そういった意味では、この地球上に生きている人間はすべからく同じであるはずである。子どもも大人も老人も、みんな同じ問題に直面している。もちろん、人間以外の、他の生物たちだって同じことだろう。
私は不思議に思うのだが、3・11前後から、私の周囲には、どんどん新生児が増えだした。あちらにもこちらにも、赤ちゃんがいる。お隣さんも、いとこんとこも、甥も、姪も、友だちんとこも、赤ちゃんだらけなのだ。そして、まだまだ、これから続いて生まれてくる気配が十分に濃厚だ。
はっきり言って、これは私の責任ではない(笑)。私の繁殖能力などは、もはやなく、ほぼ絶滅危惧種なのである。しかるに、この度、どんどん生まれてくる子どもたちは、逆に、自己責任で生まれてきているのではないだろうか、とさえ思う。
ライフサイクルから考えて、私のジュニア世代が、さらに次の世代を生むタイミングになっているので、周囲に子どもが増えていくのは当然のことなのだろう。そして、これまで人類は、そうあるべきサイクルを繰り返してきたのだ。
3・11では多くの人命が失われた。悲しいとか、悲惨とか、そういう感情を通り越している。言うに言えない世界がずっと展開している。そして、その後も、なぜか、友人たちや、仕事仲間たちも、次々と、歯が抜けるように欠けていっている。
それも当然なのだろう。還暦も過ぎれば、死はやってくるのだ、目の前に、常に死はある。それは分かっているのだが、どうも、その流れは加速することはあれ、減速はまったくしていないようだ。
子どもたちの未来のために
何ができるのか?
私は、本当のことを言うと、この子どもたちの未来のために、私にできることなど何もないのではないか、と思う。絶望、というより、事実の認識だ。子どもたちは、自分が好きでこの世に生れてきたのだから、自己責任で生きていきなさい、と、そう言うしかないのではないか、と思う。
何ができるか、と言ったって、基本、この本のテーマで言えば、脱原発、即、原発ゼロにするしかないだろう。ああ、それなのにそれなのに、そうはならない。都知事選の結果を見ても、安倍テンプラ政権の妄想を見ても、ぜんぜんそのような方向にはいかない。子どもたちの未来、という意味では、そしてこの本が言うところのセンスでは、何もできません。
終わったな、と思う。もはや取り返しのつかない時代へと突入しているし、気付いていても、もはや止められない時代へと入ってしまったのだ。手遅れだった。ダメだと思っても、最後の最後まで手を尽くすというのが、人間の生き方としては尊敬される姿勢ではある。しかし、それは、もはや実効力のある抑止力にはならない。
大人はもういい
子どもたちの未来のために
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