「原発事故と農の復興」 避難すれば、それですむのか?!小出裕章・他
「原発事故と農の復興」 避難すれば、それですむのか?!
小出 裕章 (著), 中島 紀一 (著), 菅野 正寿 (著), 明峯 哲夫 (著), 有機農業技術会議 2013/03 コモンズ 単行本: 108ページ
Total No.3181★★★★☆
1)この本の読後感想を書こうとすると、どうも論理的には書けない。一時姿を消していた、箇条書きにして、メモを残すことにする。
2)この本は、農業に関わる人々が、原子力研究者の小出氏を招いて開いたパネルディスカッション、シンポジウムの報告である。その内容は、決してまとまったものではない。考えよう、考えなきゃね、という方向性だけが見出された、ということである。
3)成長か脱原発か、が問われた東京都知事選2014だったが、結局、人々は脱原発より、「成長」を望んだ。この本におけるいわゆる農業関係者たちも、結局のところは脱原発よりも、「成長」を望んでいる。
4)原発との距離や職業の違いはあれ、東京の一般的なマジョリティの考え方と、基本的には、この農業関係者たちの違いは少ない。
5)それに対する小出氏は、「反原発」の立場で、「原理主義者」として原発は即廃絶するしかない、と語る。当ブログは、基本的に、小出氏の立場を取り、あるいは、信頼し得る基本的ライン、基準線として採用する。
6)しかし、その通りにできるものではないし、即その考えを自らのものとすることはできない。小出氏の考え方があり、その時、私はどうするのか、という相対的なものになる。
7)私は戦後の東北の農村に育ち、周囲はすべて農家だった。学友たちも6~7割以上が農家だった。親戚も農家だらけ。農家でない親戚を見つけることは難しかった。しかるに、あれから二世代過ぎてみれば、ほとんど専業農家はない。農家とは名ばかりで、ほとんど農業は壊滅している。
8)私自身も、実は、インド滞在のあと帰国して、20代半ばにして、二年ほど専門的に農業を学んだことがある。環境が整えば、私はその後、農業をやっていても不思議ではなかった。妻ともその学校で出会った。
9)しかし、卒業間際に私は大病を患い、肉体労働を断念せざるを得なくなった。その後、完全復活したわけだから、もっと農を自らのものにすべきだったのだろうが、そうはならなかった。もともとが、口では農業とはいうけれど、本当に「職業」として取り組むことは出来なかった。
10)この本における「議論」は、ある意味、平行線である。あるいは、農業の当事者たちだけでは、ほぼ一致点しかでてこないような状況の中で、なんとか別の視点からの突破口を開こうとしたのだろう。
11)基本的に、この本の中で小出氏は浮いている。その浮いている立場からオブザーバーとして意見を述べている、ということになる。
12)小出氏は、科学者であり、思想家であり、原理主義者である。かたや農業関係者たちは、生活者であり、実践家たちであり、そして彼らもまた原理主義者たちである。ふたつの原理主義がぶつかっている。
13)私にはどちらの原理もわかる。おそらくこの二つの原理主義は、すくなくとも私の生前には和解しないだろう。つまり、二つの立場に引き裂かれてしまったのである。これら二つの立場の理想は同じことなのである。人間は自然とともに生きるに限る、と。
14)しかし、同じ共鳴し合える理想の前に、科学者であり思想家と、生活者であり実践者たちは、二つにバックリ引き裂かれている。
15)引き裂いているのは「原発」である。
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