「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」 エックハルト・トール
「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」
エックハルト・トール (著), あさり みちこ (著), 飯田 史彦 (著) 2002/06 徳間書店 単行本: 305ページ
Total No.3175★☆☆☆☆
残念ながら、この本には高い評価をつけることはできない。残念なのは、この私だ。この本が残念なのではない。おそらく、この本によって、何か気付く人はきっといるに違いない。おそらくその為に書かれているわけだから、そうあってしかるべき一冊なのである。
しかるに、残念な私は、せっかく最寄りの図書館が遠くの図書館から借りてくれた本を、「よく読みもしないまま」返してしまうのだ。実に残念である。なぜ、私はこのような「残念」な行為をするのであろうか。
この本は、アメリカではたくさん売れたけど、日本ではそうでもなかったらしい。その為に、この本をまとめたような本がもう一冊でたようだ。「わたしは「いま、この瞬間」を大切に生きます」 パワーオブナウ宣言(2003/07 飯田史彦・責任翻訳)。
基本的には、どちらの本も似たような本になっているが、同じ著者の本だからそうならざるを得ないのだろうし、逆にいうと、そうしかならなかった、ということだろう。
著者には代表作として、この本の他にもう一冊「ニュー・アース」 意識が変わる世界が変わる(2008/10 サンマーク出版)があるらしい。この本も、まもなく手にとることになるだろう。他にもいろいろ本はでているようであるが、私はもう、最後の一冊を手にすれば、あとは、もう著者の本は読まなくてもいいと思う。
なぜか。
わからない。
縁がないのだと思う。この本は、何か知識を得るための本ではない。あえていうなら「How to」本である。実践の書だ。本と、ではなく、著者エックハルト・トールと、なんらかの浅からぬ縁を持とうとするなら、この本は素晴らしい。
この本は知識を得るための本ではない。あるいは知識を得ようとするなら、多分、危険なことになる。
この本は実践の書である。How to として、実践してみなければ、その価値は分からない。
しかし、テーマがテーマである。およそ、知識という知識が無駄になる地平がある。そして、あらゆるHow toというHow toが、まったく意味をなさなくなる地平がある。その地平について、この本には書いてある。
つまり、この本が本として存在し、文章として存在していながら、実は、その裏を、その上を、そして、ここに書かれていないことを、この本から読みとろうとする姿勢がなければ、実際には、この本から「知識」を得ることもできないし、「How to」を学ぶこともできない。
いや、むしろ危ない。危険と言える。
余人は知らず。私にとってはそうだ。
機縁ということがある。時が時なら、場が場なら、その機縁も熟すだろう・・・・か。多分、それもないだろう、と今の私は見る。
過去もなく、未来もない、と著者が言う限り、私は、「今」の私を素直に表現しておくしかない。
書いてあることは間違っていないはずである。ただし、書いてあることは正しい、とも言えない。それは、読み手に掛かっている。間違ってもおらず、正しくもない。それを意味づけるのは、読み手の「今」である。
エックハルト・トールを高く評価する人々がいることを知っている。いていいと思う。それと同じくらい、私の感性は感性として、あっていいのだと、思う。思うしかない。
とかなんとか。もったいぶってもしかたない。
私はこの本は読めない。読まない。
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