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2014/02/14

「世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え」 エックハルト・ トール

エックハルト・トール (著), あさり みちこ (翻訳) 2006/05 徳間書店 単行本: 229ページ Total No.3182★★★☆☆

 エックハルト・トールは、「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」(2002/06 徳間書店)、「わたしは「いま、この瞬間」を大切に生きます パワーオブナウ宣言」 (2003/07徳間書店)、「ミルトンズ・シークレット」(2011/02マキノ出版)、に続く四冊目。 

 何冊かまとめてリクエストしておいたので、到着した分から目を通している。だが、もう内容的には大体わかっているので、そう熟読するほどもない。そもそも、最初から熟読モードではないが。

 原題は「Stillness Speaks」(沈黙は語る)。なんでこういう日本語タイトルになるのかな、と相変わらず首をかしげる。翻訳者のセンスなのかな。出版社の趣向なのかな。時代の要請だったのだろうか。

 この本、カウンターで受け取り、駐車場でひととおりめくり、速効で返却してきた。面白くない、とは言えない。面白い、とも言えない。不思議な本である。内容的には間違っているとは思えない。というか、この手の易しい本に、間違いなどありようがないのだが。

 ためにならないか、というと、そうでもない、と思う。だけど、今の私自身に役立つか、と言われると、ほとんど、必要ない、ということになる。つまり、私の「本」ではない、ということ。誰かが、どういうタイミングでか、この本に出会ったとして、この本をきっかけに人生が変わった、という人がいたら、それはめでたし、めでたし、と思う。

 そもそも、この本、還暦男は、読者層のターゲットに含まれていないだろう。内容的には還暦男にも面白くないわけじゃないが、本の作りが、はずれている。人生のどこかの局面でこの本と出会う、という想定をしてみるのは興味深い。

 私がもしこの本と出会うとすれば、どのタイミングだったらよかっただろう。たぶん16歳の高校生くらいが、ちょうどいいと思う。小学生時代でも、漢字さえ読めれば、面白いと思う。だが、小学生では、まだまだ人生経験がないので、いまいちリアリティが不足するだろう。

 29歳あたりなら、なんとかかんとか、ギリギリ読めないわけでもなかろう。もしエックハルト・トールが29歳でエンライトしたとしたら、その時の感覚がそのまま、ドライフリーズされているような本である。

 逆にいうと、それからの人生の重み、臭み、高み、深み、苦み、爆発、挫折、などの、挟雑物が少なすぎる。シンプルを旨とする著者に対して挟雑物が少ないとは、へんな言いがかりだが、つまりは、私は、あんまりモノトーンの人生はいやだ、ということになる。

 40歳前後で、この本を、自分の本として「熟読」している自分を、私はイメージできるだろうか。それは無理だ。でも、40歳前後で、この本を熟読している善男善女がいたとしたら、私は諒とする。他の本を読んでいる人よりは好きになるかもしれない。還暦して、この本を読んでいる爺さん婆さんがいたとしたら、まぁ、それもありだな。嫌いじゃない、その風景。

 だが、残念ながら、私には無理。この本、ある意味、旅行代理店の入り口にあるパンフレットのようなもの。きれいでシンプルでアイキャッチは100点。いいじゃない、これで。だけど、それはパンフレットだ。旅行そのものではない。

 もちろん、そのように、この本にも書いてある。入口にあるパンフレットに惹きつけられたとして、店のカウンターに座れば、もう、このパンフレットは必要ないだろう。もっと、「現実的」な日程などの条件が提示される。この時点で、このパンフレットの役割は終わりだ。

 だが、旅行代理店のカウンターに座ったからと言って、それもまだ旅ではない。エックハルト・トールはどの辺にいるだろう。マクドナルドオジサンのように、店に客をいれてしまえばおしまいか。どうだろう。そうではないはずだし、そうであったら、このお店はインチキということになる。

 彼は、ツアーコンダクター、添乗員であろうか。現地案内人であろうか。観光地の土産物屋のマスターであろうか。あるいは世界遺産の管理人であろうか。現地知り合う外国の友人であろうか。まさか、観光客を狙うコソ泥ではないことだけは確かだろう。そう願いたい。

 私は、この人を、どの位置の人と確定することは、あまりしたくない。それは私の仕事ではないし、多分、私の趣味でもない。あいまいなままにしておきたい。そういえば、そういう代理店があって、そういう旅行プランがあって、そういう世界遺産があったな。機上でも楽しいし、帰国後も楽しい思い出が残っている。たしかにそうかもしれない。

 人生、漠然としていていいのだよ。旅先で、ひょいと乗ったリキシャやイエローキャブの運ちゃんが、悟っていない、とは断言できない。いや、その可能性は十分ある。お、こいつ出来てるな、と分かったからと言って、そのタクシーにずっと乗り続けるわけではない。

 こちらはこちらの目的に着けば、あとは、運ちゃんとはおさらばである。それでいい。楽しい旅じゃないか。目的地につくまで、ほんのひと時、気のきいた会話ができれば、それは素敵な思い出だ。

  エックハルト・ トール。私は好きだな、この人。だけど、ずっと一緒に旅したいとは思わない。私は、基本、ちょっとロンリ―な一人旅がお好みです。偶然出会って、気のきいたジョークをひと言ふた言でも交わせば、それでOK。いいね。

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24)無窮のアリア」カテゴリの記事

コメント

ありがとうございます。
私もエックハルト・トールは解りやすいので、決して嫌いではありません~笑

投稿: Devayana | 2014/03/01 11:19

Devayanaさま

「The Discipline of Transcendence」2巻、楽しみにしています。

Devayanaの訳業が、ますますご清栄でありますように。私たちの縁をより深めてくださいますように。

投稿: bhavesh | 2014/03/01 09:46

エックハルト・トールは、私は嫌いではありません。しかし、それを自分の人生の中にどう捉えるかは、次の段階だと思います。

私はOshoのことは嫌いではありませんが、嫌いなところも多くあります。しかしながら、自分の人生を考えた場合、Oshoのことが、好きか嫌いか、でサニヤシンになったのではない、と感じています。

私がサニヤシンになったのは、無理やりというか、いやがおうにも、それしか道がなくなってしまった、というタイミングでした。

もちろん、誰に折伏されたわけでもなく、強制されたり、洗脳されたりしたわけではありません(笑)。自然と、自分の中に、それしか道がなくなったのです。

だから、エックハルト・トールのことが好きとか嫌いとか、自由に感じる自分がいますが、明日から、エックハルト・トールのことをまったく考えなくなったり、忘れてしまっても、私にとっては、なんの不思議もありません。

言葉や事象にかかわらない、ある別な次元での「縁」というものがあると思います。

投稿: bhavesh | 2014/03/01 09:39

エックハルト・トールについては、どこかで彼が悟った時の様子を自分で語っていたのを聞いたことがありますが、その内容がOshoの光明を得た時のものと、とてもよく似ていて、変に訝ってしまいましたね。
私の邪推かもしれませんが、なんとなくOshoの言葉を彼の言葉のように使っているような気がしています。
使う語彙や論理の展開がよく似ているし、あまりこの人に独自性が感じられないし・・・
Osho自身も、自分の言った言葉がいろんな方面で勝手に利用されている、と言っていたし~
まあ、真実はわかりませんが・・・
Oshoを知っているなら、わざわざこの人を知るまでもない、という感じで、だから旅行代理店のパンフレットという例えには同感します。

ちなみに、Oshoの光明を得た時の話は「The Discipline of Transcendence」2巻の11章にあり、この2巻の翻訳は完成していて、現在、出版社に届け済みです。出版予定は未定ですが、早くても来年以降になるでしょう。

投稿: Devayana | 2014/03/01 09:04

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