「インド巡礼日記」―インド・ネパール巡礼日記1 (山尾三省ライブラリー) <2>
「インド巡礼日記」インド・ネパール巡礼日記1 (山尾三省ライブラリー)<2>
山尾三省 2012/04 新泉社 単行本 504ページ
★★★★★
この本もなかなか面白いが、なかなか進まない。進まない理由は、他の本とちょっと違う。この本は面白過ぎるのだ。いっぺんにおいしい物を食べてしまうと勿体ないから、すこしづつ食べていると、そういう雰囲気である。
部屋の入り口の石に腰かけて、巨大な菩提樹の梢にかかる月を眺め、ここのお寺で良い所は、この菩提樹とアナン尊者の塚だけであると思った。何故日本山妙法寺、日蓮宗の一派を、よりにもよってこの私が選ばなければならぬのかと思った。p90「インド巡礼日記」
「よりにもよってこの私が」というところの三省が、妙に面白い。おそらく、三省の他の著述を含めても、このような表現がでてきたのは、きっと、これが一回きりだろう。
何故日本山妙法寺、日蓮宗の一派を、よりにもよってこの私が選ばなければならぬのかと思った。p90
三省が戦時中の日本に生まれ、東京の大学に学びながら学生運動に関わり、やがて、日本の中のカウンターカルチャーにも関わった。やがて、インドに惹かれ、家族をあげてインドを一年かけて旅をする、というところまではわかる。
しかし、インドに行って、なぜに、日本山妙法寺なのか。
奇妙と言えば奇妙、滑稽と言えば滑稽な問い掛けだ。
私も、以前書いたけれど、私も日本山に行って、南無妙法蓮華経の行者に加えてもらったことがある。三省とは年代も違う、接触の仕方も違ったが、もし、私が、あの集団に機縁があったら、私は「よりによって」などとは悩まなかっただろう。
そこまで突き詰めていなかった、ということもある。あるいは、私は私なりに「よりにもよって」という課題を別な角度から抱えていた。
何故OSHOサニヤシンという正体不明な道を、よりにもよってこの私が選ばなければならぬのか。私に与えられた公案は、このような形だったであろう。
人が道に入るのは、言うに言われぬ神秘によるのだ。理にかなう説明なんてできるはずがないのだ。理にかなっていたら、それは単に理に堕ちているだけなのだ。
三省は、この巡礼日記を、いずれそのまま出版しようと思って書いていたわけではないだろう。やがて後年においては、ポンこと山田塊也あたりに「三省教」などと揶揄されるほどに、「整合化」された三省であるが、30代半ばにして、インド・ネパールを巡礼したあたりでは、まだまだ、ありのままの三省、原石としての三省が活写されている。
藤井日達上人を象徴として仰ぐ流れにおいて、三省は、いざとなってみれば、こころから葛藤する。
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