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2014/03/26

「雀の森の物語」<7>1974「時空間」8号

<6>からつづく

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「雀の森の物語」 <7>
阿部清孝 1974/10 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 表紙シルクスクリーン p164

Uma2

 これまで書いて来たことは、せぇこぉの目から見た雀の森の歴史である。「週刊雀の森」「時空間」などを手がかりに己れの記憶の中にある情景をつなぎとめただけなので、時間的密度の具合い、あるいは筋立ては俺に云いように書いた。したがってかなり真実である。 

 雀の森なんて、今になってしまえばどのようにも書ける。小説風にもルポ風にも苦労話風にも昔話風にも。しかし、分かってもらいたいのは何時だってどう転ぶか分からないスリルとサスペンスの一瞬一瞬の連続であったことについてだ。 

 時間的経過を中心にふりかえってみたので、ストーリー上であまり重くないものは捨てた。また、俺自身、あれっここの順序は逆だったかなという点もある。雀の森裏話史とか雀の森スキャンダル史とか雀の森関係変遷史とか書かれなければならないだろう。また関わった人それぞれの立場から語られなければ本当の雀の森は浮きあがってこないだろう。

 とくに今回はれおんにぜひ書いて欲しかった。また悪次郎こと良田善次郎センセの事は文中でかなり悪玉に仕上げたので、何処かでこれをお読みになって反論をいただきたいナ、センセ。

 ところが実は悪玉にしあげたい人物はゴロゴロいるのだが、本当の意味で「いまだからこそ書ける」的になっていないのは、現在の俺の姿の存在様式を考えてもらえば自然とおわかりの筈。

 三枚目は俺が買って出た。その理由は雀の森二年半に関わったのべ一万人中、俺以上にピッタリ来る奴がいないからだ。

 主人公は章立ての間に登場してくれた二匹の馬である。

5nin左から ニュートン せぇこぉ ゴトーちゃん 波久修 サキ 1975年頃

 雀の森を語るには、それまでの己れを語らなければならないだろうが、今回はどういう訳か「ぼくら」で書いたため非常に書きにくくなった。人の集合体であるのだから人を語らなければならないのは当然だ。

 人を抜いたら、そこには下衆な徒党の技術と箱庭的な社会の生成過程しか残らない。徒党の技術についてはいづれ書くチャンスがあるだろう。社会生成過程については箱庭ではなく原寸大でとらえこまなければならない。

 よってここでのメリットはおいらのネタ本になるだけであなたにとってはてんでメリットにはならない。したがってこの物語は駄文である。

 ただただ関わってくれた人たちに義理を通して御報告したくって書きました。自分の知っている部分と照らしあわせて、ウソを発見してみましょう。

 ぼくらに見えてる社会は澱みながら澄みながら曖昧な規定ベクトルの乱雑さの中に投げ出されている。そしてそこに身を投げ込んで曖昧さの中からフォルムを確定していく時こそぼくらは本当のパワーとはナニかを知ることができるのだ。

 誤解されては困るがフォルムが確定し切った処にはパワーはない。そのプロセスにこそ魅力はある。雀の森しかり3S構造しかり叛文化戦線しかり。

 俺の果てない夢は、街の幸せ売り=不良少年自然発生的徒党=単ゲバ軍団に成りあがっていくプロセスのうっとうしさを加速度的にうっ積していく過程の中にこそある。

 叫んでいるうちが幸福なのですよ。

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人力飛行機 1975夏 ミルキーウェイ・キャラバン in 鳥取砂丘

 p120~121

<完> 

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後記2014/03/27
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「時空間」はその後12号まで続刊され、雀の森は1976/03まで続いた。

<友人たちへお願い> 関連の情報、メモ、意見、特に当時の画像が残っている場合はぜひ提供をお願いします。集まれば、続編つづけます。Bhavesh (元・雀の森の住人せぇこぉ) プロフィールに電話 メアドあります。

<8>につづく

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