「星の遊行群」1975年<3>
「星の遊行群」 Vol.1 <3>
ミルキーウェイ・キャラバン 1975/03 ミニコミ雑誌 オフセット印刷 一部謄写FAX印刷 p135 阿部清孝担当ページ
Total No.3199★★★★★
<1>
でき上がってしまったものに対する絶望・不信感が、ぼくの内部でかなり根強く生きている。完成美・形式美というものが、単にひとつの幻影でしかないことを分かっていたとしても、やはりそこには容易に近づいてはいけないような気持ちになってしまう。
生きていることの不安定さ・不安心さからの逃避として、偉大なるものへの依頼心は、ひょっとすると人一倍強いのかもしれない。そんな自分の外に存在する絶対性・普遍性・完全性を装った世界へのタブー意識がどうしてもあってしまうのだろう。
ぼくにとって完全無欠なもの神的なもの(ブッダフッド)のもとで生活する時の、今よりもっと楽しく生きれるんだという誘惑よりは、ゆがみのない世界へ立ち入ったら最後、生きているそのこと自体の目的を失ってしまいそうな方がこわいのだ。
何故なら今日もこうして生きているのはやはりまだまだ修行の途中なのであって、修行の身の者がやたら綺麗な目をもってしまっては、我らが父・我らが母である神さまに申し訳がたたないからだ。この生が当を得たものであったのか、それとも間違いであったのかは死後の楽しみとしよう。
そして天国=極楽浄土にまだまだ迎えいれて貰えないイケナイ魂であるのなら、49日間のデッドトリップの後、またこの世に幾度目かの肉体を授かるだろう。ぼくにとってそれでいいんだ。イージーに神を語り合う人々に決して神が宿るとは思えない。
禁断の果実を喰ったのが神との別離であったのなら、ぼくは、このどうということのない魂・どうということのない体を張って、アダムとイブの不浄な精神を正当に受けつごう。
<2>
一切の安定感が、僕にとっては敵なのだ。自分の存在を保障するもの一切に近づかないことにしよう。
ぼくらのかたわらでは、わずかばかりの価値しかない地位を財産を保障する為、だまし合い、うばいあい、とりでを築き、延命に奔走している人たちがいる。
しかし、彼らの城が丈夫であれば丈夫であるほど、彼らの城壁が高ければ高いほど、戦々恐々として自分の心に姿に自信が全然ないことを示しているだけなのだ。
彼らが彼らの富や地位をよそ様に向けて誇示したがるのは、彼らのそれが本質的によそ様にとってはどうでもいいことであり、本質的に認めてもらえ得るものではないからなのだ。所有権を明確にしたがるのは、彼らはついにはそのものの主になれないことの証拠にすぎない。
うつろいやすい自信のない彼らは当分そのつまらないゲームを続けることになるだろう。
領土を決め、国境をつくり、軍隊に衛護させ、親分子分のきづなを保ち、地位をいろいろつくってみては威張りへつり合い、所有したがり、支配したがり、愛を金に変え、金を束縛に変え、権力へ近づくことが偉大さへの道と思いこみ、あごで人々を動かすことを粋だと信じてしまっている。
本当に欲しいものはそんなものなのだろうか。腹からそれが欲しくて欲しくてたまらなかったのだろうか。いいや違うだろう。今は醜悪に成り果てた彼らとて、最初からそんなものやそんな世界ではなく、全くの人間として生きることを望んでいた筈なのだ。
ただ彼らは間違ってはい出せなくなっているだけなんだ。そして今やナニが欲しかったのかなんて、青っぽいことは忘れてしまおうとしている。
まずいですよ、あなた。そこは寒すぎる。あなた間違えた。心も肌もカサカサしている。なに、まだ来ない? 来ませんよ、あのひと。コタツの中ですよ。
<3>
ぼくらはタイムリーなことに、まだまだ自分を過不足なく見直せる眼を失ってはいない。そして十分すぎるほど貧乏ではあるけれど、まだ十分にモノ持ちだ。
もっともっと自由になりたいぼくらは、不必要な縛りや規定はどんどん捨てていくだろう。自分の素晴らしさは、他のどんなものにも代え難いし、他のどんなものも代弁はしてくれない。置き換え得るものは本当の素晴らしさではない。こうして五尺八寸の身を立たせて考えていること、ぼくにあるのはこの素晴らしさだけだ。
家も捨てた。父の影も母の影も故郷も捨てた。
確実に保障された将来も捨てた。
いくばくかの財産の相続権も捨てた。
自分だけの空間も捨てた。
ひとりで使い得る以上の金は捨てた。
ボクだけのキミ、も、キミだけのボクも捨てた。
権力への道を捨てた。
栄誉への道を捨てた。
巨億の富への道を捨てた。
自殺する自由さえ捨てた。
そして、ぼくらはこれからもっともっと捨てていくだろう。何故なら、ナニものにも代え難い自由が欲しいからだ。
家族を分断される苦しみ、わずかばかりの財をうばわれる苦しみ、自分だけの空間を持てない苦しみ、金のない苦しさ、道なきことの苦しみ、そして国籍を持てず、歩けぬ苦しみすらも超えたところにしか八紘にひらかれた解放=自由はないだろう。
苦しみを乗り越えなければ解放されないのではない。
苦悩・煩悩こそが、解放・覚悟に転化するのだ。
裸の王様はパロディではなく、王たるもの、いつの世も裸なのだ。無冠の帝王こそ、まさに望むべき道だ。
全てを打ち捨て、己が感性と己がペニスを抱きかかえて、いざや無冠のファシストへの道を! これこそが宇宙を支配する、我らが男根武装同盟(ペニスゴリラユニオン)の君主論、組織論、人生論なのだ。
<4>
男根武装同盟の大義は、おのが海綿体の充血をとことん信じること、これなのだ。
朝マラの立たない奴には銭貸すな、とはよく言ったもので、モチモノの悪い奴に義理を”立てろ”というのは土台むりな話。最初から論外だが、ほんとうに、あの、腹の底からムラムラって来る衝動を感じない奴っているのかいネ。それじゃなんの楽しみ、なんの人生よ。
オイラのは立つぜ!
隆々と意気り立つ黒い奴がかわいけりゃ、諸君! 突っ込むべきはあそこだぜ。
よろずのイデオローグ、よろずのアジテーターが何故に必要か。ひとりと一匹、うっぷん晴らしに何処でもいくぜ。叛文化戦線の教典は、ググッとくるアイツでョ、武器はこの宇宙の大転回と相似形のこのメカニックよ。ズキーンと、はちまきおじさんよろしくイッてやれ。
<5>
75年にぼくはひとつの期待をもっている。
74年は、ぼくら雀の森にとってある転期だったように、、全国叛文化グループにとってもちょいとした年だったようだ。大体において”70年”からの組織論から抜け出した筈の叛文化徒党軍が、雑多な形で組織論に悩むというパラドックスに陥ったのだ。
カオス的状況から画期的(!)なフォルムをひり出すべき段階にあったのだが、それは内側へのスィングに欠けた時、機はみちなかった。
コミューンの面化をはかるべく気張ったF軍は、ダイレクトな個性の不足と風俗の雪崩に、フォルムの確定を放棄した。70年から独自のカラーを維持でき得手来たS軍は対関係の沈殿物にふり回されて事実上の運動の停止。思想のモダニズムとして山村共同体を気取ったY軍は、中堅がカリスマを喰い切れずに悶々。
土台俺たちゃハードにやって来た。ハードにぶっつぶれたふりをするのは、お手のもの。そしてそこからひり出した答えはこうだ。
「75年は70年の5年後ではなく、80年の5年前だ」ということ。80年にひとつのエポックを迎えれるかどうかは75~76年にかかっている。75年はどんな年になるか? 男せぇこぉ一流の近視眼的殺法を持ってすれば、その問いは容易に解ける。
70年を支えた65年を想像することだ。65年とは新宿・風月堂にヒッピーたちが集まりだした年であり、新しい組織論としてべ平連が発足した年であり、情報化時代のさきがけとしての週刊誌「平凡パンチ」が創刊された年なのだ。あげくに66年6月には、紳士の国からビートルズが来日している。
なにかが80年におこるとしたら、その起爆剤はこの75年、この75年に勃起する手筈になっている。
ただし結集の70年に比べ、80年は解放の年になるゆえ、65年の”立て方”と75年の”立て方”は当然ことなって来る。ハードなテーマをクリアに抜けてこの75年は、おのおののデリカシーの肥大とキャパシティの拡大をもって登場する段取りだ。
ゆえに燃える75年ではあるが、見ようとしない奴には見えない仕組みになっているので注意してくださいナ。燃えるといっても、それは発芽にすぎないので、ちょいとばかし見えにくい。しかし、この年に燃えるチャンスを失った人は確約するが、5年間はとてもとても燃えにくくなるデ。
男せぇこぉともなれば、もっと具体的に75年を語りたがるが、その辺は今のところは秘密にしておこう。その辺はおのおのあなたの鼻でかぎまわって下さい。
<6>
これから俺たち雀の森は、一人一党独裁路線で行くことに決定した。例えば「ジープとラリパッパ隊」とか「小松卓郎と暗闇X団」とか、あるいは「冬崎流峰とちろりん村」とか、限りなく続々結党結団しつつある。
これからはセクトを名乗ってギンギンのスピードの時代だぜ。そこで上部団体として、「セクトのつくり方」のコツを伝えておく。ちょっとだけョ。
1)まず、売名行為に走るべし。
2)グループ名称は奇妙奇天烈なだけヨシとすべし。
3)実体は二の次であるから、住所・存在場所は明確にせず、どこまでもゴモゴモと誤魔化すべし。
4)冗談で始めたこのナリワイ。徹底して冗談に終始すべし。
5)人々の集いを見たらセクトの大義のもとクレージーな仕草でプロパガンダに狂奔すべし。
6)けんかやゴタゴタが起きたら、セクト名をドナリ、先手必勝でぶんなぐり、次はすかざす逃げるべし。
7)相手を見るには、首の裏を見るようにし、にらみは三白眼・外斜視でキメるべし。
8)よそ様に逢ったら、セクト名称を名乗り、相手が知らなければ(当然有名じゃないから知る訳がない)「オクレテルー」とか「モグリじゃないか」とかケナすべし。
9)わがセクトに加われば、いかに毎日が楽しくなり、このセクトがいかに世界の斗争史の必然として生まれたか、いかにかつてのセクトが乗り越えられなかった地平に立っているかetcについて力の限りホラを吹くべし。ここに弱小セクトの命がかかっている。
10)いかに、いまや我がセクトが世界に広がっているかを誇示すべし。
11)多少有名になったら、ナニをするかを考えるべし。
てな案配であるが、おぬし、スルッ?
<7>
いくつかのセクト名で分かりにくくなったいくばくかの諸君の為、マッサージを兼ね、われらが世界に冠たるシンジケートの整理をしておく。
一般に「星の遊行群」 < 「雀の森」 < 「男根武装同盟(ペニスゴリラユニオン)」と言われているのは、人々がまだまだスクェアなヘッドを持っているためであり、本当はまったく逆なのだ。
クールでクレージーな諸君だけは分かってくれているだろう。そしてまた、ペニスゴリラユニオンの上部組織として、男せぇこぉとボーイズ・ライフがあるのだ。(今夜は悪酔いしちゃって、どうもいかんわい)
<8>
共同生活の中で雑誌をつくりながら足掛け4年生きてきた。短いと言ってしまえばそれまでだが、その短い間にも天国を見たし地獄を見た。
学生運動はなやかし頃から共同作業と言うものはどこかでなれあいに見えたし、また共同作業が下手だった。ひとりでシコシコとミニコミをつくり始め、それなりに楽しく学べたが10号を越えたころ、それがかなり大きな部分を醜悪な自己顕示欲にたよっていることが見えてしまった。
そこで、いきおい共同性のうずの中にとびこんで来たつもりだが、決してユートピアだとか甘えを持っていたつもりは毛頭ない。基本的に自分自信を知るために、ぼくの場合どうしても他人を必要としてしまったということだけだ。
そしてこうして、最初はまったく冗談でつけた「雀の森の住人たち」という共同体を、ぼくなりにかいま見て来たつもりだ。この何年かの間、ぼくらの共同性はひとつのフォルム(形)として自律し始め、言ってみれば、もっと大きい世界へ投げ出したくなっている。
あの時「個」から大きな「共」へ走ったように、今、小さな「共」から、大きな「共」へ走っていこうと思う。
星の遊行群にホレるのは、そんな理由があるからなのだが、大体において名前がいいではないか。今年は星を見ながら、孤独と共同を噛みしめて生きていくのである。
星の遊行群さま、よろしく愛愁・・・・・・・・・。
<阿部清孝とボーイズライフ>謹製 p56~63
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コメント
当時の原稿を当ブログに再掲するにあたって、最初、より当時の雰囲気を反映させたものとしたが、本来この記事をアップすることを目的としたものではなくて、「雀の森の物語」http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/19748-e63d.html
を補完するものとしてアップしたものである。
従って、当初の目的を達成したので、すこしトーンダウンして再録しておく。どうしても当時の事を知りたいという読者は、実際のミニコミ誌を手にされることをお勧めします。
投稿: bhavesh | 2014/03/30 10:14
きこり
それがなかなか難しいのだよね。RSSリーダーとかに登録しておくと、最新のアップ記事を読み込んでくれるとかで、初期的には僕もあちこちいっぱいブログを登録してたけど、最近は、ツイッターやらFBが忙しくなって、やりかたさえ忘れてしまった笑。
ちょっと研究してみますね。
投稿: bhavesh | 2014/03/28 16:45
このブログ、新しいのがアップされたのを知るにはどうしたらいいの?
投稿: きこり | 2014/03/28 15:56