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2014/03/16

今日の気分はこの3冊<2> ネグリ、スナイダー、中沢新一

<1>からつづく

今日の気分はこの3冊<2> ネグリ、スナイダー、中沢新一

 当ブログは意識して雑誌類を避けてきたわけではないが、読書メモとしては単行本が中心になる。しかし、どうしても雑誌でないと読めないような内容もあり、その部分は必読ってことも多い。そして分量は、お手軽に読み切れる新書程度がいいのだが、雑誌の記事は、少し読み足らない場合も多い。

 痛し痒しの雑誌類であるが、今回、「現代思想」ネグリ特集をパラパラしながら、そういえば、似たような本が、これまでもあることはあったなぁ、と思い出した。

 この三人には、もちろん、それぞれに期待感もあった。だけど、今は失望した、というのが共通点である。ここに三冊並べたからと言って、いまさら精読するわけでもないけど、なんとくなく、並べてみた。

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1)特集=ネグリ+ハート 〈帝国〉・マルチチュード・コモンウェルス「現代思想」 2013年7月号

 結局のところ、ネグリが自らをマルクス「主義者」と言ってしまうとき、一読者としては、そこで糸が切れてしまう。 世の中にさまざまな主義者がいていいわけだが、その自己規定は、自らの立場を明確にする、という意味では良心的ではあるが、自らの可能性をそこに閉じ込めてしまうわけで、他者から見た場合、とらえやすくもあるが、また、決定的な距離観を持ってしまうことにもなる。

 であるなら、ネグリがどうした、というより、そのマルクスそのものが問われることになるが、おおよそマルクスについては、当ブログとしては結論がでてしまっている。逆に考えると、ネグリを云々する支持者たちは、ネグリがいうところのマルチチュード云々ではなくて、マルクス「主義者」でいたいがために、ネグリを支持しているのではないか。

 その証拠に、私こそマルチチュードだ、という明確な宣言がない。ネグリが、彼らこそマルチチュードだ、とラブコールを送っても、当人たちは別段に、マルチチュード、という旗印が欲しいわけではない。この雑誌に投稿しているような人々も、かなりな哲学的な学者が多いが、結局、それではキミがマルチチュードなの、と問われて、ハイ、と答える人はすくなそうだ。ネグリ自身、マルチチュードではないだろう。

2)ゲーリー・スナイダー・イン・ジャパン 「現代詩手帖」 2012年7月号

 バイオリージョンという言葉をネグリは地政学として捉え、EUや東アジアなどという地域国家的捉え方をするが、スナイダーにおいてのバイオリージョンは、ひとつの河の流域全体のエコロジーを考えるような、地域環境学である。必ずしも、自然的な地形ばかりではなく、機能としての都市については、アーバン・バイオリージョンという視点を提示し、街全体、地域全体のエコロジーを示唆する。

 スナイダーは、当ブログでも、もっともインスピレーションを受けてきた現代詩人である。そのイメージは、どこか宮沢賢治にも重なるところがあって、3・11を前にした時、限りない脱力感の中で、何事かの精神的支援を期待したのは当然のことであった。今後も期待するだろう。

 しかし、3・11の半年後に来日したスナイダーについてのレポートは、その期待に答えてはくれなかった。いろいろな事情があることは分かる。この来日は以前から企画されていたものだし、そもそも詩人たちの集まりでの講演が主であった。しかし、それにしても、その後の被災地訪問のレポートを読む限り、被災地バイオリージョンを考える被災民たちに、新たなるインスピレーションを与えることはなかった。

3)エコロジーの大転換 中沢新一 管啓次郎 現代思想 2011月11号 特集=ポスト3・11のエコロジー

 中沢新一は、現代日本でも、もっとも有名な学者の一人だ。さまざまな形で当ブログとも浅からぬ縁がある。理解したかどうかはともかくとして、その著書はほぼ手にとって開いてみてきた。しかし、すでに3・11以前において、当ブログとしては、ある意味すでに終わった学者であり、新たな期待はできないだろう、という結論に達していた。

 ところが、3・11後において、ヘラヘラ態度で再登場した著者は、日本において「緑の党みたいなもの」が必要であるとして、自らそのうごめきに関わっていこうという姿勢が見せた。当ブログとしては、その姿勢やよし、と新たなる期待をもったのは確かだった。すくなくとも、復帰のチャンスを与えれてやろうじゃないか、と思った。

 しかしながら、結局この人物はやっぱり口舌の徒である、ということが次第に分かってきた。緑の党みたいなもの、は3・11後において、大きな動きとなって日本社会に登場した。それはあたかもネグリいうところの、日本のマルチチュードということができるものではあった。しかし、そこに深くかかわる中沢の姿はなかった。

ーーーー

 結局、この三冊は、失望の書である。それは、安易に他者に依存して、甘い夢を見るような生き方をすべきではない、という啓蒙の、反面教師の書でもある。

<3>につづく

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