新通貨ビットコインの正体 ビットコインの可能性「Newsweek (ニューズウィーク日本版)」 2014/02/25 <2>
「ビットコインの可能性」 <2>
「Newsweek (ニューズウィーク日本版) 」2014年 2/25号 阪急コミュニケーションズ; 週刊版 (2014/2/18) 言語: 日本語 2014/2/18 [雑誌]
★★★☆☆
ネット社会での話題の移ろいは早い。東京都知事選はすでにおわり、すでに大阪市長選に視点は移行し、サムラゴーチンの偽作曲家の話題が沸騰したかと思えば、似たような話題になるか、オボカタさんのSTAP細胞騒動が、毎日報道されている。
こちらのビットコインの話題もいきなり沸騰したものの、どこかすぐ消え去っていくようでもある。前回この雑誌をメモしたのは2/20だったが、すぐその直後からマスメディアの餌食となり、それ、っとばかり調べてみるのだが、情報量の絶対量は少ない。
ビットコインについて書いてある泡沫ネット情報はともかくとして、紙ベースで提供されている情報はどれだけあるだろうか。「初めてのビットコイン」、「500円でわかるビットコイン」、「サルでもわかるビットコイン」、「今さら人に聞けないビットコイン」、「ビットコイン正式ガイド」、「80歳から始めるビッドコイン」、「ビットコイン完全征服」、「ビットコインスターターガイド」、「やさしいビットコイン入門」、「ビットコインでラクラク生活」、「ビットコインの儲け方」、「ビッドコイン成功マニュアル」、「超カンタン!ビットコイン」、「ビットコイン完全攻略マニュアル」、「ビットコイン・マガジン」などなどが、ふ~~~、もはや出ているのではなかろうか、と、検索してみた。
だけど、まだ、どうやらなさそうだな。紙ベースでの日本におけるビットコイン情報のまとまったものは、この雑誌の特集ぐらいだ。情報を共有し確認できるものとすれば、この雑誌が唯一と言っていいだろう、今のところ。
革命的発明か、それとも単なるバブルか
注目の「新通貨」の仕組みとリスクを徹底解説 カバータイトル
ビットコインについて以前よりネット上でリークしつづけてきてくれたネットつながりの友人は数人いる。しかし、当ブログとしては、まったく関心を持てずにいた。彼らはネット上の猛者である。なんでも新しい情報に詳しい。そもそもそういう情報ソースを持っているのだろうが、根っから好きなのだろう。IT情報も、新しいものも。
私はこれまで、いくつかの新しいものに飛びついて、成功した時もあったし、失敗した時もあった。明確に失敗した、とまでは思わないまでも、なんら益のないことに振り回されたことが、何度もある。思えば、ITとの付き合いは30年にもなるだろう。
1)もっとも最初はプログラマブル電卓を購入した1980年頃に始まる。BASIC言語でプログラムを入れて、多少大きめの液晶で、ちいさなゲームを組むことができた。できた、というだけで、一体あの10万円もする「電卓」で、どれほどのことができただろうか。
2)1982年頃、グループの通信紙を作ろうと和文タイプライターを買ったことがあった。活字を一個一個拾って紙に物理的に印字していくスタイルであるが、それも110万円くらいした。その当時、ワープロを買えばいいのに、と笑われたが、当時でも50万円と80万円とかした記憶がある。ワープロはとても買えなかった。
3)1986年頃になって、NECのパソコンを買った。PC6001とかいう奴だった。セットで20万円くらいしただろう。星占いのソフトを買って、プリントアウトしたりしたが、ドッドプリンターだったので、音ばかりうるさくて、印刷物としては、ちょっとお粗末だった。
4)1988年頃になると、デスクトップの大きなワープロが買えるようになった。20万円。キーボードが統一されていなかったので、ブラインドタッチとかできなかった。えらく文字打ち込みに時間がかかった。
5)それと前後して、ハードディスクのないパソコンを買った。パソコンって何ができるんだ、ということで、いまでいうエクセルのような表計算ソフト、ロータス123、などというソフトでいろいろ試みては見たが、なんとも、有効なものはなにひとつなかったのではないだろうか。
7)90年代になってくると、固定電話線を使ったワープロ通信なるものが流行ってきた。これは画期的な手段で、夢中になったが、電話代が馬鹿高かった。現在の情報量にしたら、ちっぽけなものだったが、毎月何万円も払った。それでも、面白かったね。
8)1995年になると、インターネットが爆発する。カラーでHPが見えるようになった。これもまた画期的な出来事だった。なにがなんでもネット、ネットの時代、インターネットをやらずば、生きていけない、という雰囲気の時代がだいぶつづいた。それにともなって、次から次と、新しい機器を買い替えなくてはならなかった。
9)90年代後半は、まさに世界は一つの電脳地球になりつつあったが、実生活ではずいぶんと失敗もあった。金も次から次と搾り取られた。その金は基本的にマイクロソフトに流れ、ビル・ゲイツは世界一の長者への道を上りつめた。
10)21世紀になると、デジタル・ネイティブも成長してきて、ネットはあって当たり前の時代となった。そこに登場したのが、無線、モバイルの世界である。ポケットベル、PHS、ケータイ、PHSカードなど、ありとあらゆる方法が、次から次と流れていった。そして次第に若い世代からは固定電話は消えていった。ネットトレードの流行りもあったな。
11)2000年代中盤からはGoogleの台頭がはっきりしてきた。明らかにビッグな次のうごめきは、むしろ「無料」を全面に押し出してきた。「無料」であるがゆえに、差し出しを要求されたのが、個人情報である。ダダ漏れ状態が始まり、それらのダダ漏れビックデータが加工され、個人レベルでは、大打撃を受ける人も続出した。
12)2000年代後半になると、目だってきたのはSNS。ミクシーとかツイッター、フェイスブックとやらで、ネットつながりは、補完的なものから、むしろ戦略的な全面に登場するようになった。SNSが合って当たり前の、社会情勢が生みだされてきた。
13)この当時、思い出すのは、セカンドライフというヴァーチャル・ワールドの台頭である。私はこれをやりたくて、新しい高機能パソコンに買い替えた。しかし、ブームはあっというまに散って、誰も話題にしなくなった(泣)。
14)2010年代になると、その幕開けは、3・11の大災害だった。いまやケータイあって当たり前、ポケットにスマホがあって当たり前という時代になった。スマホがなければ、生き残れないよ、という時代である。街角からは公衆電話が消えて、80歳のおばあちゃんでも、病院帰りにタクシーを呼ぶために、ケータイを常に持ち歩かなくてはならない時代となったのである。
15)パソコンの家庭普及率は100%を超え、一人一台の時代になった。テレビもCDもDVDでも、それぞれ各個人である。そして、2014年の現在、話題はタブレットであろう。あって当たり前のタブレット時代である。
さて、この時代、完全にブラックボックス化したIT社会には、通常のユーザーは単に提供されているものを、どう組み合わせるか、という余裕しか残されていないようだ。いえいえ、専門家とは言え、残されている分野は少ない。結局、ネットと経済の組み合わせが、時代の趨勢となっているのであろう。
だから、ネット社会の進化過程において、ビットコインの登場は、必然性があったことは間違いない。もはや、このあたりしか、新分野は残されていないようだ。この辺が大きくブレークすると、たしかにまた、世の中、大きくかわりそうだな、という予感はある。
しかしながら、現在、その尻尾が見えてきたビットコインやら仮想通貨やらは、とてもとても怖くて、シロートの手が出せる分野ではない。かつてのネットトレードより、さらに危険なものを感じる。
歴史の必然として、これらの成長を見つめてはいるが、いつ私のようなレイト・マジョリティが、安全に使える時代になるのか、定かではない。すくなくとも、今日現在では、確たる情報は伝えられていない。アーリー・アダプターの方々の健闘を祈るのみだ。
いろいろと、まだまだ、面白くなりそうな気配は感じるが、臆病モノは、何処までも臆病だ。私なんぞは、ビットコインは、ずっとあとまで静観していようと思う。
| 固定リンク
「24)無窮のアリア」カテゴリの記事
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<8>(2014.04.07)
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<7>(2014.04.07)
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<6>(2014.04.06)
- OSHO「存在の詩」第1号 1975/08 アッシーシ・ラジネーシ瞑想センター 編集スワミ・プレム・プラブッダ(2014.04.05)
- 「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<5>(2014.04.06)
コメント