「ニュー・アース」 エックハルト トール <1>
「ニュー・アース」<1>
エックハルト トール (著), 吉田 利子 (翻訳)
2008/10 サンマーク出版 単行本 kindle版あり 336ページ
Total No.3191★★★★★
この本も面白い(のかもしれない)。だけど、なかなか、最終的にはいいことは書けそうにない。
当ブログが7年前にスタートする時、自らのブログの性格付けを考えながら、タイトルを決めていった。その時残ったのは、「地球人」、「スピリット」、「ジャーナル」という言葉だった。ブログのタイトルは、この三つの単語をくっつけたものである。
現在、この単語で検索すると、「地球人のためのスピリチュアルレッスン」というページがでてくる。なるほど、こういうページもあるのか。なかなか魅力的なページである。どうかするとOshoのことも、単語レベルではあるが書いてある。ほほう、と思う。
このページには、幾人かのいわゆるスピリチュアル・テーチャーたちが紹介してあり、その中でも、エックハルト・トールは、大きく取り上げられているようである。Oshoは名前以上には紹介されていないようだ。
当ブログのタイトルが、地球人スピリットはどこにあるのか、という探求を意味しているのだったら、むしろ、このページに辿り着くことで、ひとつの終焉を迎えてもよさそうなものである。ある意味、センス良くまとめられている。
しかも、こちらはレッスンと歌っている限り、セミナーや講演活動などに力を入れているようだ。
ところがどっこい、当ブログは、一見探求の途上のように見せていて、実は、結論ありきの、偽装探索なのである。当然、たどりつくところは、ここだろう、という目論見がある。
この当ブログの目論見と、こちらのページの雰囲気とは、微妙どころか、私側からみた場合、大きく違う。
地球人スピリットなどと、大仰な表現をしてみたが、当ブログとしては、むしろ、タイトルを変更して、そのタイトルは、こちらのページに「譲る」べきなのではないか。
Oshoは同時代のエンライトした代表として存在として、クリシュナムルティとグルジェフを上げている。それぞれ個性豊かな存在である。もしエックハルト・トールを、この二人の人物になぞらえるとしたら、敢えていうなら、クリシュナムルティのほうに近いかも知れない。
しかし、抽象化された、哲学化された概念を振り回すだけでは、生きた人間=地球人として生きるには、何かが不足する。具体的な地平、地上。ありのままの、ごくあたりまえの生活を抱えた日々を、視界からはずすことはできない。
道として言われる道が、必ずしも、すべての人にとっての道とはなり得ない。道があり、機縁がある。書いてあることが、書かれていることが、どこにも非をつけることができないような、整合性の高い文脈であっても、それが、生きてあるそれぞれの地球人に、見事にフィットするとは限らない。
この本については多くを語れない。語れるようになるまで、この本やその流れとの機縁が熟すのかどうか、今の私にはわからない。
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