「アティーシャの知恵の書(上)」The Book of Wisdom, Vol 1 OSHO<3>
<2>からつづく
「アティーシャの知恵の書」(上) The Book of Wisdom, Vol 1チベットの覚者を語る<3>
OSHO/スワミ・ボーディ・デヴァヤナ 2012/03 市民出版社 590p
この本は、1979年に語られた講話が元になっている。すでに35年前の出来事で、上巻、下巻合わせて28日間にわたる講話である。
チベットへ仏教を伝えたインドの聖者アティーシャの経文が用いられているが、経文の解説が行なわれているのはその4分の1でしかない。1日解説があり、つづく3日は講話に参加している聴衆であるサニヤシンや来訪者たちからの質問に答えるQ&Aとなるサイクルが繰り返される。
アティーシャの経文が示す、シンプルにして深い真髄である仏教世界はともかくとして、Q&Aは、1979年当時の雰囲気を反映して、「サニヤス」についてのやりとりが多くを占めている。ある意味、ちょっとアナクロである。
サニヤスとはなにか、サニヤシンとはなにか、については他書に譲るが、いずれにせよ、この場においては、Oshoが言いだしたものであり、Osho独特のサニヤスがネオ・サニヤスと名づけられている。
1979年当時のOshoネオ・サニヤスの意味しているところは、外見的には、Oshoにつけてもらった新しい名前を使い、身につける衣類はすべてオレンジ色にし、その上から常時、Oshoの写真のついた数珠を首にかける、というものだった。
最近Oshoの読書になった人、特にこの本を始めて手にとった人には、その持っている意味がよく読みとれないことがあるだろう。当時の雰囲気をそれなりに現場で知っている自分としては、ここはどんな風に「誤解」されるだろうな、といぶかりながら読み進めることになる。
逆に考えると、今あらためて当時のサニヤスを考えるというアナクロ読書は、自分にとってはそれほど益のないことのように思い、Q&Aの部分を飛ばして、アティーシャの経文についての講話の部分だけ読んで行ったほうがいいのではないか、と思ったりする。そういう読み方も確かにあるに違いない。
さて、この所、アントニオ・ネグリの「マルチチュード」 について考えていた。1933年イタリア生まれの新左翼革命家ネグリは、さまざまな「闘争」を経て、収監されたり、フランスに亡命したりしながら、その学説を深めてきた。
アメリカの若手学者マイケル・ハートとのコラボレーションで進めてきた2000年前後からのワーク、「<帝国>」、「マルチチュード」、「コモン・ウェルネス」など、一連の著作は、ソ連崩壊の後の社会主義低落傾向にあって、マルクス主義者たちの精神的な支柱ともなってきた。
老齢のネグリを補完するかのような、1960年生まれの若いマイケル・ハートのIT的感覚が、インターネットを通じて広がるグローバリゼーションと相まって、奇妙な世界観を生み出し、多くの読者を獲得、話題を呼んできた。
当ブログでは、もともとのネグリの読者ではなかったが、当ブログがスタート時点からは、積極的にその痕跡を追ってきた。とくに、日本で発売された著書については、ひととおりメモしてきたつもりである。ただ、その内容についての理解が深まっているか、と言えば別次元の話である。そして、それが当ブログのナビゲーションになるかと問われれば、もうそれは違う、と断定するところまで到達した。
そのことの象徴的な差異は、ネグリいうところの「マルチチュード」と、Oshoがこの「知恵の書」でいうところの「サニヤシン」との在り方の違いに、大きく見てとれることになる。一般的には、このような比較がされることはないだろうが、自らの道を歩く者にとって益することもあるだろうから、より端的に対比させておく。
マルチチュードとは、マルクスが考案した資本家階級に対抗する労働者階級プロレタリアートの後継概念である。その語源は、ホッブズやスピノザに語源を借りているが、21世紀的に使われる場合は、ネグリ&ハートの独自の概念と捉えて間違いない。
マルチチュードとは、日本語では群衆と訳される言葉であるが、そこにネグリたちは深い意味を込める。各地で反乱をおこすマルチチュードは、そのネットワークを通じて、センターのない共同性コモンを生み出し、グローバルな支配システムである<帝国>に対峙する。
マルチチュードが真に力を持つとするなら、三つのことが必須となる。憲法であり、貨幣であり、武器である。細かいことについては他のメモに譲る。いずれにせよ、ネグリが語っているのは革命であり、その革命主体としてマルチチュードが、世界同時的に立ち上がるかも知れない、という期待感に満ち満ちている。
これをすでに80歳を超えた老革命家の最後の夢と捉えることもできるし、いまだにマルクス主義者たらんとする勢力の、最後のあがきと見ることもできる。あるいは、まったく新しい世界を切り開く、画期的な勢力足り得る、と見ることもできないわけではない。
当ブログは、その三番目の見方を採用して追っかけてきたわけだが、ここにきてその期待は急ダウンしている。それは特に3・11以後のネットワークの在り方に、そのマルチチュード的視点を借りて捉えようとしてきたわけだが、それは、たんに思い付きにすぎないだろう、という結論に達した。
対してOshoサニヤスも、キチンと整理された概念でもなく、キチンと時代順にレポートされてきたものでもない。場合によっては、そのシステムはすでに廃止されたものである、と解釈されても、なんら問題はない。すくなくとも外的には、そのシステムはかなりの変容を遂げている。
しかしながら、わが身にこの二つの概念を引き寄せて再考する時、私は、マルチチュードではないが、Oshoサニヤシンである、と強く自覚するのは、なにゆえであろうか。
そもそも、私はマルチチュード(群衆)である、と自称することに、どのような意味があるだろう。そもそも、私は、個でありつつも、多くの中の一人であり、常に他の者たちとのつながりの中にあり、そのつながりのなかでしか生きていない、あるいは、仮想的にも、つながっていると規定しなければ、存在しないものである、と宣言することに、どれだけの意味があるだろうか。
これは、私はプロレタリアートである、と自覚することと比べると、極めて貧弱な概念のように思える。プロレタリアートを自覚する運動家や革命家は多いだろうが、マルチチュードを自覚する個人は、限りなく少ないに違いない。それは、解説者が、他者や、ある事象に向けて張るレッテルにすぎないのではないか。
そして、マルチチュードの反逆性は、センターのないコモンな動きだとするにせよ、その目的とするところは、以前としてマルクス主導の政治的物理的目的達成にあり、大きくは、現代版マルクス主義と言っても、なんら大きな間違いはない。
見えているのは<帝国>であり、それは、ひとつの思想や国家、民族を超えたグローバル単位に成長してしまっているとしても、結局は、マルチチュードが対峙すべきは<帝国>なのであり、それを打破することこそが、マルチチュードの本来の存在意義である、ということになってしまう。
それが可能かどうかはともかく、このような図式を仮にも作ってしまうことに、当ブログは最初の最初から、最後の最後まで、当惑し続けてきた。
それに比較するところのOshoサニヤシン(今後サニヤシンと表記)とはなんであろうか。この際、本来抱えている瑕疵を後回しにして、マルチチュードとの差異となる長所となるであろう特徴を拾ってみる。
まず、サニヤシンは、群衆ではない。個的な決意である。マルチチュードは、個的な決意のないまま、他者からそう呼ばれ、そう定義づけられることをよしとし、その曖昧な存在を甘受する。まず、ここが大きく違うだろう。
マルチチュードは<帝国>に対峙する。それに比すれば、サニヤシンは、自らの無意識を含む、全体的な集合的無意識に対峙する。それは、具体的な<帝国>に比較しようもないほど、茫漠とした目に見えない世界の事象である。
群衆が、私は、今、群衆のひとりである、と自覚することなどあるだろうか。自らは個でありながら、結果的には群衆の中に入っていたという、後付け感覚であろう。もし、そこに、本当の意味の自覚があるなら、それはもう群衆ではない。周りと、それほど違いがないような行動パターンであったとしても、それは、もうすでに群衆ではなく、立派な個である。
当然、ここでネグリ&ハートは、そのことを理解した上で、シンギュラリティという概念を持ち出す。その語幹はシングルである。個である特異性を持ちながら、コモンとして共的な存在をする、というのが、彼らの思うマルチチュードである。
ここまでくると、すでにもともと持っていたホッブズやスピノザのいうところのマルチチュードから離れて、ネグリ独特のマルチチュード、冷笑的に名づけてしまえば、「ネグリ」チュードともいうべき存在になってしまう。
そういう意味においては、結果的に私は「ネグリ」チュードの一人であることは、積極的な意味において拒否する。ネグリが作った世界観の中の、一つの駒として動くことは窮屈である。人間本来、もっと自由であるべきである。
しかるにOshoサニヤシンは、誰からかそう呼ばれたり、そう名づけられたりするシステムではない。自らが自らにする宣言である。私は、自由な、真理の探究者であると。すくなくとも、この講話のあった1979年当時はいざ知らず、2014年の現在において、サニヤシンとは、個的自覚以外の、何ものでもない。
オレンジ色の衣服も、Oshoの写真のついた数珠を身につけることも、システムとしてはすでに廃止された。明確な形で廃止されてからもすでに30年近く経過している。だから、35年前に行なわれたこの本の講話には、現在の読者にはふさわしくない表現が多くある。誤解が誤解を生みだす可能性はある。
しかし、他書と併読しつつ、あるいは瞑想をしつつ、サニヤシンという意味を深く探っていくなら、Oshoが差し出したネオ・サニヤスという概念が、いかに革命的であるかが、次第に理解できるだろう。ここでいうところの革命は、ネグリ的センスでの革命ではない。Oshoが多く採用するのは、反逆、である。
比較思想学的に、ネグリとOshoを並べることは意味がないだろう。少なくとも、そのやり方はネグリ側にあり、Oshoはそのやり方を諒とはしないだろう。そもそも、Oshoは知性や科学を称揚しながらも、学には落ちない。学を越えていく。それは、具体的なこの自分が生きる、道、でなければならない。
ネグリがシンギュラリティといい、Oshoがインデビジュアリティという時、互いにそれぞれのアルファベットを使っているために、完全な水平状態で比較することはできない。その関連から類推していった場合、両者は、この二つの言葉で、限りなく似たようなことを話しているのだが、明らかに、図地反転のような、全く別な図柄を見ているようである。
なぜなら、ネグリチュードはコモンとして<帝国>に対峙するのに対し、Oshoサニヤシンは、個として、集合無意識に明かりをもたらそうとしているからである。サニヤシンが打破すべき集合無意識というものはない。そもそもないのである。そこに個の覚醒、個の明かりがもたらされれば、本来、無意識も、集合的無意識もないのである。
サニヤシンであるという自覚は、「ネグリ」チュードであるというスティグマや、三省やスナイダーがするところの詩人であるという宣言、あるいは中沢新一的「緑の党なようなもの」に入党する、というのとは、本来的に、次元を異にする。
この人生において、自らの無意識に光をもたらす、という宣言に比べ、ネグリチュードが<帝国>に対峙するコモンとして革命を成就する、という宣言は、あまりにも無益であるように、今の私には思える。
翻って、この「アティーシャの知恵の書」に戻る時、読者が他の誰であろうと、私が私のためにする読書であるとするならば、あらゆる修正を繰り返しながらも、そもそも持っている本質を突き止めてみれば、私はサニヤシンである、という更なる自覚を強烈に促してくる、パンチ力ある一冊である。
まだ28日分ある講話のうちの7日分にさしかかったところだ。完読するのは、いつのことになるやら。そも、Oshoの本においては、実は、完読すること、それ自体に、本来の意味はない。私が、サニヤシンである、という自覚。そして、サニヤシンというのは、最後の無意識の象徴であった、という更なる自覚が起これば、その時点で読書の全てが成就するはずである。
つづく
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