「来たるべき地球人スピリット」<12>3・11
「来たるべき地球人スピリット」--読書ブログから見たポスト3・11--
<12>3・11
3・11について言うなら、私は護られていたと思う。揺れた瞬間は、ちっとも恐い想いをしなかった。当日は、新築の高層ビルの大きな会議室にいて、リスクマネジメントの専門家達、約100人と一緒だった。ビルは揺れた。だけど、私は机の上のコーヒーカップがこぼれないように手に持って、立ち上がって、揺れているだけだった。
実は、高層ビルで会議なんてタイミングは、私の人生の中では、ごく限られた時間でしかない。普通は、もっと地ベタに近いところで暮らしている。だいぶ揺れた。いやはや、ビルとは地震には弱いもんだな。だからビルなど嫌い。やっぱ、私は地ベタがいい。 そんな呑気な自分が、実は、大きな勘違いをしていたことは、すぐにわかった。
確かに、会議のため、大きな窓は全面ブラインドがかかっていた。外はまるっきり見えなかった。あの時、ちょっとでも外が見えたら、その地震の大きさにすぐ気づいただろう。 大きな会議室ってのも、良かったのかもしれない。
空間には、机とイスと、ちょっとしたスクリーンしかなかった。棚もなかったし、棚から落ちるものもなかった。危ないと思ったのは、テーブルの上の紙コップに入ったコーヒーだけだった。 数分の揺れがおさまって、すぐ館内放送が流れた。速やかにビルのそばに出ろと、叫んでいた。
エレベーターは止まっていた。非常階段に回って下り始めた時、新築のビルとはいえ、すでに幾つも壁に亀裂が走っていた。 不思議なことだと思う。いつもなら、会議に行くのに車を使う。ところがあの日だけは車にするか、電車にするか迷ったのである。
結局電車で行ったわけだが、あの時、車で行ったら、いつも停める立体駐車場が停電でマヒし、そこから脱出するために、大きなエネルギーが必要だったに違いない。 普段から鍛えていた自分の足のウォーキングで、自宅まで戻った。ビルにいたからこそ揺れを感じなかったのであって、地ベタは遥かに大変だったことが、街の風景を見ながら歩いていて、わかった。
道端に留めた工事車がドアを大きく開けて、カーラジオのニュースを 流していた。三陸に津波が押し寄せていることを叫んでいた。でも、私はそんなことより、自分の我が家が倒壊していないか、火事になっていないか、そのほうがはるかに心配だった。
歩いていると、雪になった吹雪の中、川を越えた。あとで気付いたことだが、その川の橋を超える頃、ちょっと下流まで、津波が押し寄せていたのだ。そんなことなどつゆ知らず、ただただ歩いていた。
自宅に戻り、避難所となっている小学校の体育館に急いだ。ケータイのワンセグや、スマホで、私達が今、どのような状況に置かれているのかを、だんだん理解した。とてつもないことが起きていた。
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