「来たるべき地球人スピリット」<14>現在、そしてこれから
「来たるべき地球人スピリット」--読書ブログから見たポスト3・11--
<14>現在、そしてこれから
私はブログ派、結構、自閉的で、粘着派である。あちこちのSNSに書き散らすと、自分で何をやっているのか、わからなくなる時がある。
3・11後に、一ヶ月ツイッターでつぶやいていたことがある。それを何処かで見ていたヨシローが、最近になって貴重な記録だから、どこかにアップしたらいい、と言って来た。そう思うが、後でまとめるのは、ちょっと面倒。勿論、個人的には散逸しないように、あの直後に紙にプリントアウトしておいたけど。
そもそも、私はこの人生の総括にかかっている。あまり文章らしきものも書いてきていないけれど、文章として自分の人生をまとめるとすれば、三つの文章になる。1974年「雀の森の物語」、1992年の「ロータス・スートラ」、そして今書いているブログの2014年「ダイジェスト版」である。
「ダイジェスト版」はすでに進行中であるが、これではあまりにまとまりがないので、さらにエキスを絞りだすにはどうするか検討中。
第一部、第二部、第三部を通じて、一貫した内容を維持するにはどうすればいいか、思案中。そのためにも「物語」の再掲が必要だったし、「スートラ」の見直しても始めている。もちろん、もっとも大事なのは第三部であり、全体を締めくくり、第一部へと円環していくように工夫する必要がある。
「星の遊行群」の文章は、その三部作の隙間を埋めてくれるパーツではあるが、主軸ではない。そのような意味で、他にいくつか再掲したい文章がいくつかある。全体の構想を知らない人は、何がなんだかわからないだろうが、今はしかたない。自分の直感で今はすすめておこう。
実際にこの作業を始めると、実に「一貫性」のない人生だな、と思う時と、実に「一貫していたな」と自己満足する時と、交互にやってくる。つまり、内容的には、自分が納得できるようにまとまればいいわけで、よそ様が、最終的に読むか読まないか、評価するかしないか、等は、本来、どうでもいいことなのである。
そうはいいつつも、結局、他者との関わりの中で人生があったわけだから、自分の記憶違いや思い違い、そして見落としなどが散見されるわけなので、結局は、「まとめ」などは、結局、暫定的なものでしかない。暫定的と知りつつ、まずは、今回はここまで、とまとめておくことは必要だろう。
第一部も、第二部も暫定的なものであったし、第三部も、まさに暫定そのものでしかない。しかし、第三部をまとめようとしている現在、全体三部の見直しをかけているのであり、その隙間に漏れてしまっているものを、ひとつひとつ拾い上げておく必要も感じる。第三部は、とくに読書ブログ3000冊の記録。
あまりにも膨大すぎて、ある一定の長さにまとめようとすると至難のわざである。ざっと計算すると、3000冊の全部をメモするとしたら、そのタイトルと著者名、出版年と出版社をメモするだけで、一冊の新書本ができあがってしまう。そんなモノにどれほどの意味があるだろうか。
ここは、恣意的なまとめが必要だと判断した。そして、本にフォーカスするのではなく、人物にフォーカスする。つまり、テーマを科学、芸術、意識に三分し、しかも、それぞれのテーマから、アイコンとなるべき人物を三人づつピックアップする。そして、その人物たちを、現代の地球人の生き方として認め注目する。
科学をさらに三分するとしたら、ひとつはコンピュータ・サイエンスだろうし、ひとつは原発だろうし、ひとつは人間意識への科学側からのアプローチ、ということになろう。そこで、アイコンとしてピックアップしたのは、スティーブ・ジョブズ、小出裕章、茂木健一郎の三人。異議はあるが、まず、いまはこの三人。
スティーブ・ジョブズは、私と同時代人である。当初はあまり情報がすくなかったし、仕事柄、パソコンは不可欠であったが、いつもウィンドウズ環境を要求されたので、私はマック派ではなかった。しかし、最近に及んではマックも仕事に使えるようになってからは、積極的にマックに切り変えている。
映画「スティーブ・ジョブズ」を見て、私は彼が大好きになった。デフォルメされているとは言え、私の同時代人として、彼を推挙する事に、なんら疑念をもたない。彼がこの世にいてくれたことをを心から感謝する。実際に隣にいれば、いやな奴、と思う面もあっただろうが、それは、他の友人にも言えることである。
なにごとにおいてもコンピュータ科学は現代の象徴であるが、そのコントロールを持ってしても人間のコントロールが及ばないのは核科学、原発問題である。専門家ならぬ私などは信頼できる専門家の意見を聞かないわけにはいかない。しかし諸説流布するなか、信頼できる専門家を探し出さなければならない。
最も信頼できる同時代の身近な原発問題の専門家といえば、小出裕章を除いていない。彼は原発を研究しつづけた科学者であったが、いちども推進派として原発を製造したことはない。また、その原点は、私の足元の女川原発にあり、また、1971年の「朝日ジャーナル」で、私も同じリストに掲載された。
そういう親近感から、彼の一連の著書というより、一生を助教という身分に甘んじながら、反原発に身を投じてきた姿は、見事である。科学者というだけではなく、表現者として、精神的存在として、立派な方だと思う。私が推薦し、見習うべき科学者がいるとするならば、現代日本において、彼をはずことはできない。
縦横に発展する科学のメスは、人間そのもの、人間の内面、人間の意識そのものへとアプローチし続けている。そのレポートは数多いが、あえて現代日本で「意識」をテーマにしているのは茂木健一郎だろう。彼の著書は堂々巡りで、科学が意識を切り開く事はないが、その確認のためにも彼に注目しておこう。
現代の科学はさまざまなテーマを抱えているが、もうひとつあえて言えば「宇宙」があるだろう。宇宙の果てはどうなっているのか、宇宙全体はどうなっているのか、そして、人類は、この地球を離れて、宇宙で暮らすことができるのか。この問題については私の手にあまる。
あえていうなら、エドガー・ミッチェルは、そういう意味で、宇宙飛行士でありながら、最終的に「意識」にフォーカスした人であり、注目に値するが、いかんせん、関連の著書が少なすぎる。そしてまた、原寸大の人間像がなかなか見えてこない。4人目として彼をメモしておくことはやぶさかではない。
こんな調子で、芸術、意識、へと続いていく予定。
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