「来たるべき地球人スピリット」<5>1995年という年
「来たるべき地球人スピリット」--読書ブログから見たポスト3・11--
<5>1995年という年
人は未来において、1995年という年をどういう年だったと振り返ることだろう。この年には、重要なことがいくつか起きた。それぞれがどう評価しよう、それまでの経過が噴出した年であり、これから以後の未来を、良くも悪くも暗示する年であったことは間違いない。
93年に引き続き、94年もまた私にとっては、足元を固め、関係性をひとつひとつ再確認するタイミングだった。大きな動きはなく、むしろ、小さな動きの中で、やがてやってくる芽吹きを待つ、地中の成長のプロセス時期であった。
95年。1月17日。阪神淡路大震災は起きた。西日本で起きた災害ではあったが、友人知人が多く住む地域である。そもそもこのような時代の予兆があったからこそ、リスクマネジメントも学んできていたのだ。その予感が当たってしまったという不思議な高揚感につつまれた。
どんな震災であっても、突然起こることではない。それまでのひずみが限界を超え、やがて、一瞬のうちに、その全てのエネルギーをリリースするのである。地表に住む人間たちの知性を越えた、大きな地球の動きが浮かび上がってきていた。
そしてまた3月には、あの忌まわしい事件が起きた。当ブログにおいては、その集団名を記したことさえ忌まわしく思え、常に麻原集団事件と表記してきた。オウムというマントラは、矮小な集団が扱えるようなエネルギーではない。
4月のある日の早朝、私は春眠を打ち破るような電話の音で目が冷めた。電話の向こうで古くからの女性友人は叫んでいた。「OSHOがテレビにでているよ」 どういうことかいな。私はいぶかりながら、テレビのスイッチをいれた。そこにあったのは、あることないこと、何でも並べてゴシップを楽しむワイドショーの歪曲報道だった。
テレビ、新聞、雑誌、週刊誌、月刊誌、スポーツ紙、単行本、突出した麻原集団の猥雑性と、OSHOムーブメントの混同は、あらゆる混乱を生んでいた。他のあらゆるカオスの中で、身に降る火の子は払わなりゃならん。サニヤス・ネットワークが動きだした。
こまかいことはすでに既報である。この時の活躍はやがて、冊子や印刷物として記録されている。この時学んだこと。それは、これほどにスピリチュアリティが世に広がっているということ。そして、その真の意味が理解されている範囲は、決して広くはないのだ、ということだった。ますます、自分達の意志を明確にし、強く持ち続けることを痛感した。
この時、全国に散らばった仲間たちの連絡方法は、固定電話と、ファックスだった。そもそもが手弁当のボランティア活動だった仲間たちは、翌月にやってくる通信請求書に頭を痛めた。ネットワークの連絡は必要なのに、その費用は、自分達が支えきれないほど高額なものとなっていた。
そして95年の12月に販売されたのがウィンドウズ95というパソコンOSだった。それまで、ワープロ通信とか、パソコン通信はすでにでていた。電話線を通じてのチャットなどは、極めて興奮するものだった。その普及率は、まだごくごくわずか。数パーセントの、先モノが好きな人々が手掛けていたにすぎない。
しかし、このOSの販売で、ワープロ専用機から、一気にパソコン時代へと突入していった。未来において、1995年は、阪神淡路大震災、麻原集団事件、そして、ウィンドウズ95の発売された年として、思い出されるに違いない。
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