「来たるべき地球人スピリット」<6>インターネットがきりひらく時代
「来たるべき地球人スピリット」--読書ブログから見たポスト3・11--
<6>インターネットがきりひらく時代
95年という年は、それまでに地下に蓄積されてきたエネルギーが噴出した年であるし、また、それからの未来の方向性が大きく舵を切った年であった。ひき続く96年以降は、ある意味、ほぼ決定づけられた道を、ひたすらひとつひとつ駆けあがっていくプロセスでしかなかった。
70年安保における連合赤軍事件が、政治の時代にくさびを打ったように、95年の麻原集団事件は、スピリチュアリティの時代に、大きな影を落とした。物質から精神へ、という掛け声のもとに、何でもかんでもスピリチュアルにまとめてしまおうとする風潮に、大きなブレーキをかけた。
その時、登場したインターネットは、勢い、科学が切り開く新しい時代、というイメージを拡大した。90年代の半ばにあっては、パソコン文化はまだまだごく一部のものだった。パソコン自体は、80年代初めからスタートしており、私なども、アルビン・トフラーの「第三の波」が書くところの情報化時代に魅力を感じつづけてきたから、すっかり虜になってしまった。
この時代の情報化のイノベーションは、語っても語りきれない。この文章を書いている2014年にも続いてくる伏線であるし、また、いわゆるこの文章の元となっている「読書ブログ」の実質的なスタート地点でもあった。
私の同時代人としては、スティーブ・ジョブズがいる。人物としては毀誉褒貶ある存在である。ビル・ゲイツなどと共に、一時代を引っ張り続けていた存在であるが、彼らが大きく大きく、未来を開けてしまったのだ。
ワープロ通信はパソコン通信となり、インターネットとなった。ワープロ専用機は、国内専用OSパソコンとなり、やがて世界標準のウィンドウズやマックOSへと互換性を広めていった。ハードディスクなしのパソコンはなくなり、フロッピーディスクのような記憶媒体は、ドッグイアーと言われるような、あまりにも急激な発展を遂げ続けた。
このような時代であればこそ、ネット社会が膨大につながり出し、新たな知のコラボレーションが拡大し続けた。ひとつの可能性が、新たなる多くの可能性を広げた。可能性は可能性としてとどまらず、次の日には、確たる事実として登場してきた。ひとつひとつが当たり前のこととなり、人間社会の在り方を、これほど変えてしまった時代というものは、人類史の中でも、そう多くあるまい。
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