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2014/04/08

「来たるべき地球人スピリット」<3>市場での瞑想

<2>から続く 

「来たるべき地球人スピリット」--読書ブログから見たポスト3・11--

<3>市場での瞑想

 90年代初め、1954年生まれの私はすでに30代も後半。仕事を持ち、妻と子供二人を持つ、中堅どころの男として、仕事に精出す日々が続いていた。日々仕事に追われ、時には、経済的に、精神的に、大きな負担を味わうことさえあり得る日々だった。

 80年代の好景気、いわゆるバブル景気の余韻もあった。バブル経済の余禄をいっぱい受けたわけじゃないが、回りがにぎわっていれば、当然こちらにも回ってくる。やはり金は天下の回り物だ。多少の緩みはあり、全体の中での仕事を見つめる余裕もあった。

 いつの間にか、こういう日々がずっと続いていくのだ、と思っていた矢先、経済はダウンした。いわゆるバブル経済の崩壊である。崩壊してみれば、それほどの恩恵をうけてきた身ではなかったが、周囲がスケールダウンすれば、次第次第にこちらも疲弊していく。そもそも清貧主義とまでは言わなくても、節約生活ある。成長盛りの子供を持つ家庭生活を支えるには、一定程度の安定経済が必要となる。

 そのような背景の中で、この時代の私に立ち起こった大きなことは二つあるだろう。一つは、青春時代から人生を賭けて探しだしたOSHOが亡くなったことだ。1990/01/19、マスターOSHOは、自らを灯として生きていきなさい、という言葉を残して、肉体を離れていった。

 OSHOのメッセージそのものが、市場での瞑想であってみれば、私はこの機会にさらなる街の中へと歩もうとしていた。決して社会が嫌いでも、避けてきたわけでもないのだが、妥協点をみつけ、だましだまし自分を社会に合わせていた、という部分はなきにしもあらずであった。

 しかし、それではいけない。積極的に社会の中に溶け込んでいき、しかも、自らの主張をしっかりと伝えなければいけない。前年、喜納昌吉とチャンプルーズのコンサートの企画に成功し、この年にもやりたかった。しかし、同じスタイルの単独コンサートだけでは面白くない。なにか、当時はやっているようなシンポジウムに絡ませたコンサートはできないか、そういう思いが高まっていた。

 そんな私のアンテナに引っかかったのが国際環境心理学シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス」の企画だった。実際は1991年の11月に実施されたわけだが、準備段階が長く、一転二転して、実施されrうまでに半年もかかった。

Sps8

 なぜにそれほどの期間が必要だったのだろうか。企画がどんどん大きくなって行って、歯止めをどこに掛けたらいいか、分からなくなるほどの連鎖運動を起こしてしまったからだった。なぜにこれほどまでに拡大したのだろうか。

 ひとつには、当時のバブル経済の余韻があった。崩壊したとは言え、各企業、行政には、まだ内部留保の余裕があった。また、国際センター建設などの箱モノ行政は、一端企画を立てたら、いくら崩壊したとしても、急ブレーキはかけられない。つまり、急ブレーキがかかるには、多少のタイムラグがあったということである。

 そして、仙台のカウンターカルチャー・シーンでいえば、他の地域に比べると、ちょうどタイミングが離れていて、さあ、今度は仙台で、何をやるかな、という空白期でもあったのだ。当時のぐりんぴいすの加藤哲夫率いる活動も、どんどん大きな牽引力を持ち始めていた。

 スタッフにも恵まれた。小さなグループだけではなく、その枠を超えて、何か大きなことをしようという心構えが、各グループにわき起こってきた。ネットワークからさらなるコラボレーションへと発展し、壮大なスケール拡大が起こっていた。

 そして、一番考えられることは、すでに団塊の世代と呼ばれた年代も、社会の中枢の中核に位置しており、自らの意思と、自らの力を、しっかり行使できるポジションを勝ち得ていた、ということであろう。つまり、ここでやらなきゃ、いつやる、という環境はすべて整っていたのである。

 「スピリット・オブ・プレイス」についての詳細なレポートと分析、そして継続に関しての細かいプランについては、別途メモしよう。ここで大事なことは、あまりに拡大したために、その全体像を、企画に参加したひとりひとりが把握しきれなかったということと、若さゆえにできたことではあったが、また若さゆえの勇み足もあったということだ。

 とにかくこのシンポジウムは成功した。多くの成果を得た。企画に参加したひとりひとりがその成果を、自分の現場に持ち帰ったはずだ。また参加した多くの一般メンバーも、そのスケールに、何事が起こっているのか、と割目したはずである。

 私は私なりに、他の友人たちと同じように、自分の仕事を法人化し、より社会性のある活動へと止揚し始めた。そしてまた、それに対応して、自らの瞑想を高めることに精を出した。OSHOの肉体なきあとの、社会への進出も、思いのほか、順調に滑り出したのだった。

<4>につづく

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