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2014/04/21

「もし僕らが生き続けるなら」 自由の世界への出発 塚本晃生<2>

<1>からつづく

Photo
「もし僕らが生き続けるなら」自由の世界への出発
塚本 晃生 1972/12 大和書房 単行本 204p

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<24>から続く

「来たるべき地球人スピリット」--読書ブログから見たポスト3・11--

<25>もし僕らが生き続けるなら

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31>からつづく

「地球人スピリット宣言草稿」 

<32>もし僕らが生き続けるなら

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 当ブログも8年が経過して、ほぼ最初の目論見を一巡した形になり、その最終形が「来たるべき地球人スピリット」としてシリーズ化している。そして、以前に書いた「地球人スピリット宣言草稿」も一端は終了していたシリーズではあるが、ここに来て、最後の進行に重なり合ってきたようである。

 そして、そのタイミングにおいて思い出されてきたのが、この一冊「もし僕らが生き続けるなら」というタイトルである。この本は、17歳の私が明示的に記録されている、私の人生の中でも最も初期的な一冊である。

 内容はともかくとして、とにかくこのタイトルが大好きだ。もし僕らが生き続けるなら。これが17歳の高校生のときの出発地点であったとしたら、あれから43年経過した還暦したこの地点においても、同じ感慨をもって、つぶやいてみたい。もし僕らが生き続けるなら。

 当ブログは、この地点において、一巡しただろう。もし地球の上を西へ西へと歩き続けたら、きっといつかは今いるこの地点にもどってくる。それは東であろうと、あるいは南や北であろうと、それが一定の大きさを持っているとするならば、かならず元の地点にもどってくるはずである。

 それが大きいのか小さいのか、どれだけの意味を持っているのかは、今のところ不明なことが多い。しかしそうであったとしても、これでひと固まりだ。それは全てを網羅しているとは言い難い。ひと縛りしただけかもしれないし、何重かぐるぐる巻きしたようなつもりでいても、まるで竹で編んだカゴのようであるかもしれない。これで汲める水などほとんどないかもしれない。

 しかし、一巡した、という想いはある。今後は、二順目、三順目の旅が始まるのかもしれない。部位を決めて、集中的に穴埋めする作業になるかも知れない。いかなる作業になるかは、今のところ分からないし、決めてもいない。

 これまでが本当ではなかったとはいえない。これからが本当だ、とも言えない。どちらも真実であるし、どちらも真実でもないかもしれない。しかし、こうして生きてあることは、本当のことであるし、この中から真実をさがす作業を続けていくしかない。これが生きていく、ということの意味である。

 もし僕らが生き続けるなら。17歳の私が、もし僕らが生き続けるなら、と呟いたとするなら、60歳の私は、私は今日まで生きて見ました、と答えるしかないだろう。そして、いま私は思っています、明日からもこうして生きていくだろうと。

 最近、よしだたくろうも出て来なくなったが、たぶん生きているだろう。そして、私だけではなく、きっと多くの仲間が生き残っている。死んだ奴もいる。死んでるのか生きているのか分からない奴もいる。あらゆる可能性のなかで、とにかく、僕らは生きている。そして新たな決意をもって、再び前を見よう。

 もし僕らが生き続けるなら。

「来たるべき地球人スピリット」<26>へつづく

「もし僕らが生きつづけるなら」<3>へつづく

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