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2014/04/27

「来たるべき地球人スピリット」<26>4枚の名刺

<25>から続く

「来たるべき地球人スピリット」--読書ブログから見たポスト3・11--

<26>4枚の名刺

 かつて私には何枚の名刺が必要であろう、と考えたことがある。結果、おそらく4枚が妥当であろう、ということになった。そして、それは表の表、表の裏、裏の表、裏の裏、という性格があることが分かった。

<1枚目の名刺>

 それはもっともポピュラーな名刺である。この名刺さえ持っていれば、まず私は日本どころか世界を回っても、まず一枚の名刺で足りるだろう。その分野では日本の歴史や業績でトップの企業の名刺であるし、その企業のエージェントである私は、名刺一枚で私の存在様式を表現できる。

 受け取ったほうも、その規模や実際の暮らしぶりまでには思いが至らなくても、おおよそのライフスタイルを想像できるだろう。都市のど真ん中にもある職業であるし、全国津々浦々、どこにもあってしかるべき職業である。知り合いに一人はいるだろう。社会に必要とされる職業である。

 その名刺を持つには一定程度の資格とキャリアが必要である。誰でも持つことができるとは言えない。少なくとも、アウトローではできない仕事である。だからまず犯罪者であるとか、異邦人とは疑われない。

 逆にいうと、私の個性は無視される。もちろんある範囲では個性はあり得るが、まず業務としては、均質なクオリティが求められるし、そのように管理されている。ひとつのフォーマットが決まっているだけに、窮屈でない、というわけではない。

 これが表の表の顔である。どの時間、どこにいてもいい名刺である。社会を自由に動き回るパスポートとさえいえる。もちろん、業界のライバル競合はあるが、逆に、常にライバル競合と協力して仕事を進めなくてはならないことも多い業種である。

<2枚目の名刺>

 これはボランティアの顔である。表の裏の顔だ。ボランティアにもさまざまな形があるが、ポジションによっては、名刺が必要となる。とくに団体の役員になると必須になる。すくなくとも連絡場所の交換は必要だ。

 ボランティアの場合は、表の表としての職業は邪魔になる時がある。実際には誰もが、表の仕事をしているはずなのだが、そのような利害関係から離れていることがボランティア活動の条件であることもある。

 ボランティア活動の種類によっては、名刺どころか、自分の名前を告げることさえタブーである場合もある。それは自分の身を守るために、無名性が必要となる場合もある。ボランティア活動に、名刺が必要となるよりも、腕章とか、スタッフジャンパーが必要となる場合もある。

 いずれにせよ、非営利活動やボランティア活動をするにあたって、自分が誰であるかを明確に意識する必要がある。その場合、名刺を作ってみることは、自らのアイディンティティの確認にもなる。

 表の裏だから、表があって裏があるわけだし、表は表なりに、裏があることによって、より表になり、裏は裏で自立しなければならないのだが、裏が裏であることは、表が表として自立していることの証明であったりする。

<3枚目の名刺>

 裏の表の顔となれば、私の場合は、趣味とも、副業ともとれる名刺となる。趣味性が高いので、それじゃぁ生活はできないだろう、と思われるような類のものである。人によっては失笑するだろう。

 しかし、決してそれは非営利活動でもなければ、持ち出し活動という訳ではない。仲間内では、その顔ひとつで生活しているツワモノも少なくない。才能と勇気さえあれば、そのように自分のライフスタイルをつくることもできただろう。

 しかし、私には、この面は裏の顔となった。表の表がいつのまにか自立したので、裏の表は、あえて裏の表に甘んじているともいえる。仲間内では、ことらの名刺、あるいはキャラクターがなければ、付き合ってもらえないこともある。

 裏の表の顔とは言え、識別性は高いから、その顔を見せることは、人によってはプラスになる場合もあるし、マイナスになる場合もある。表の表の仕事に役立つ場合もあるし、まったく足を引っ張ってしまう場合もある。表の表として渡世するなら、秘しておいて得なことのほうが多い。

 であったとしても、私個人としては、表の表や、表の裏が必然であるように、この裏の表もまた絶対に必要なのである。人間、食べて寝ての生活だけをしていくわけではない。人間として人生を送るのに、私にとっては、この裏の表の顔がないと、人生価値が半減すると感じる。

<4枚目の名刺>

 そして、裏の裏、という面もある。これはもう名刺などという世界ではないだろう。表の表は、名刺が必需品であって、それがなければ活動できない世界のことである。表の裏だって、裏の表だって、名刺があれば、それなりに利用価値はある。

 しかし、裏の裏となれば、それは対人関係に必要となる名刺などは、ほとんど役に立たない。自分が自分で納得できるかどうかが最も優先課題となる。本当の自分の顔、ということになる。

 自分が自分をどのように表現するか。自分が自分をどのように理解するか、自分にどうおとしまえをつけるかが、裏の裏の、最も大事な要素となる。ある意味、もっとも重要なファクターである。ここがなければ、表の表も、表の裏も、裏の表もない。全てが瓦解する。

 名刺のような肩書やフォーマットではゴマかしが効かない。実質、本質が必要なのである。勝負と言えばここで勝負できなければ、人生、意味がない。誰と勝負するのか。それは自分自身とだ。

 裏の裏。それは別に極めようとしなければ、忘れてしまうことである。表現しようとしなければ明確に意識されることはない。しかし、私は、私なりに、ここを表現しようとしてきた。四枚目の名刺とは、このブログのことである。

<そして・・・・>

 実際に、この人生を生きてきて、私は三種の名刺を使い分けなければならない時期があった。それなりに有用であったが、そのスタイルは早々と卒業した。せいぜい2枚に絞った。それはそれなりに必要であった。しかし、ある時から、そうもう10年以上も前からだが、名刺を一枚に絞った。

 絞るにおいて、表の表を残す以外になかった。それは名刺としては有用である。一番配って配りやすい。他の面にとっては邪魔になる時もないわけではない。しかし、それであってはいけない。

 私は四重人格者でもなければ、四色仮面でもない。私は存在として一個なのである。一個という統一体ではなかったとしても、ひと固まり、ひとつの地点に依って立つ人間でなければいけない。

 四つの側面から分裂してしまうような人格であってはならない。さまざまな要素がひとつのハーモニーを醸し出すような人間になりたい。そうあらねばならない。本来、そのような存在になり得ていたら、もう名刺なんて必要ないのだ。

 名刺なんて本当は必要ない。生きて行くうえではまったく無関係だ。そのような人間関係だけで暮らせたら、この世はパラダイスだろう。だが、私はパラダイスに住んでいるわけではなく、多少の説明が必要だ。一枚の名刺にしぼり、最小限のことだけ書いて、おしまいとしよう。

<27>につづく

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