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2014/04/14

シリーズ「ありがとう」<4>宮城県中山平温泉郷「星の湯」

<3>からつづく

シリーズ「ありがとう」<4>宮城県中山平温泉郷「星の湯」

 1972年に雀の森の仲間たちと、日本のカウンターカルチャー巡りをして、たくさんの情報をつかんだ。その中に、東京の「蘇生」というグループがあった。蘇生は、合宿というミーティングを好んで行ない、私達も積極的に参加した。

 73年の夏に伊豆の農家を借りて行なった合宿は、とても啓発的だった。「ぼくらもやりたいね」、と、仙台で、そのような場を探し始めた。なんせ、まだ高校出て1年の私なんぞに、そのような適地を探し出す能力は限られていた。

 一泊では終わらない。おそらく数泊から一週間以上に渡る長期滞在になる。しかも全国から来るとなると足代がかさむ連中も多いだろう。出来るだけ安く泊れて、合宿できるところはないだろうか。

 その頃、コンビニもなければ、旅行ガイドがあるわけでもない。インターネットなんて想像もつかない時代のことである。頼るのは、電話帳と電話だった。電話だって、通常は道端の公衆電話ボックスを使っていたのだが、ようやく雀の森にも黒電話がついた頃だった。

 分厚い電話帳は、世界への窓口だった。まだイエローページなんて言ってなかった。職業別もあったかどうか。とにかく、県内で、しかも安く泊まれそうな所をいくつもピックアップしていった。その中で、一番安かったのが、鳴子温泉より更に西に数キロ入った中山温泉郷の「星の湯」だった。

 電話で快諾を得て、流峰のバイクに二人乗りして、秋の鳴子路を走った。ほどよく古びた半分農業しているような、湯治場だった。部屋数はそうとうあったが、裏の方は寂れていて、全部屋満室とは思えなかった。それでも、一泊五百円とか、布団持ち込みなら350円とかだったと思うが、とにかく、私達の希望にかなっていた。

 秋の内に下調べをし、チラシを作って告知し、仲間たちに連絡し、実際に宿泊するころには、冬の入口になっていた。県北部が雪深いことは知っていた。鳴子はスキー場があるくらいだから、雪が多いこともなんとなく知っていた。しかし、中山平はさらに奥深く、こんな雪見たことない、という位、深い雪だった。

 私達は(ほんとうはここは、ぼくらは、と書きたいところだが)、ほとんどがシュラフを持ちこんで、布団を借りることはなかった。食料も、ほとんど米や野菜を持ち込んだ。味噌も、そして暖房用の炭も持ち込んだのではなかっただろうか。ご飯や食事の煮焚きも炭で行なった。

 障子は多少破れていて、隙間風が入ってきたが、外側にガラスサッシ窓があるわけでない。木製の雨戸があったきりだ。外は雪が深く積り、寒さ除けに雨戸も要所要所締めていたので、部屋の中は暗かった。そこに20人ほどの仲間たちが集まり、思い思いに毛布をかぶったり、炭火鉢に手をかざしたりしながら、話しあった。

 何をそんなに話しあうことがあったのか、今では不思議でならないが、とにかく話題がつきることはなかった。寝床があり、屋根があるとすれば、あとは温泉郷の湯治場だけに、温泉が楽しみだった。今思えば、広くもなく、決してピカピカの清潔な湯船ではなかったが、楽しかった。

 ここでの合宿はとても楽しかったらしく、私達は何回もここを使った。ここには確かおじいさんかおばあさんがいたと思うけれど、お父さんは亡くなったばかりだったように思う。私と同年輩の娘さんがよくしてくれて、ヒロコちゃんと言ったかな。だれかお嫁さんに貰えばいいのに、と思うような優しくて綺麗な人だった。

 私のおおざっぱな想い出はこのくらいである。ひとつひとつの合宿の想い出はいずれ書くかもしれない。しかし、今回、このシリーズ「ありがとう」で、この星の湯を思い出したのは、なんとなく、別な理由によるものと思われる。

 宿帳には、嘘偽りなくキチンと住所を書いたので、あれから何年かは、星の湯から年賀状が届いていた。宿賃もキチンと払ったし、多少ハメは外したが、大きく迷惑をかけてしまったなぁ、という記憶はない。帰る時には、ありがとうございました、と挨拶をしてきた。

 でも、あれから40年も経過してみると、いまだに星の湯が話題になる、ということはどういうことだろう、と思う。みんなそれぞれに成長し、もっと小奇麗なところに泊るだろう。リッチなリゾートとまでは言わないまでも、楽しいところをいっぱい知っているはずだ。

 だが、あれから何年経過しても、いつか誰かが星の湯に行って泊っている。別段、あそこでなければ体験できない、ということでもなさそうなのに、話題は、いつも星の湯になる。なんでだろう。

 私は今回、むかし言い逃したから、ようやく今言いたい、ということではなくて、今、星の湯にありがとう、と言いたい。期せずして星の湯は、私達の風景の一部になった。県内で一番安い、というそれだけの理由で引きつけられた私達は、実は、もっと別な理由で、ここに通ったのだと思う。

 3・11後にも、私達夫婦は星の湯に出かけた。私達が昔泊った旧館はすでに廃屋となり、まだ解体はされていなかったが、昔の面影を残したまま朽ちていた。その代わり、代替わりして、ヒロコちゃんのちょっと年下の弟がすでに50代の宿の亭主になっていた。こちらのことはあまり覚えていないし、特段に懐かしい風でもなかった。(って、これがいいんだよなぁ)

 いつかさ、みんな、星の湯で、同窓会やらないか、生きてるうちに。って、これ何年も前から、何回も言っている気がするが、どうも実現しない。私自身が本気じゃないからだろうな。もしも、あの当時、もっと目覚めていて、近くに土地でもすこし買っておいて、もっとずっと根づいた文化を作り得たら、日本のゲーリー・スナイダーになり得たかもな、なんて思わないでもない。

 星の湯が、あってくれてありがとう。さもない、田舎の寂れた湯治場なのに、もし星の湯、という共同性がなかったら、私達の人生は、今よりは、すこしばかり貧しいものになっていただろう。

<5>につづく

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