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2014/04/08

「来たるべき地球人スピリット」<4>転び石

<3>から続く 

「来たるべき地球人スピリット」--読書ブログから見たポスト3・11--

<4>転び石

 1993年春、仕事に精を出し、家庭人としてもますます磨きがかかるべき時期であった。仕事のために、ワンボックス車から、ステーションワゴン車に乗り換え、家族とともにディズニーランドで遊んできた直後に、私はひとつの転び石に見舞われた。

 基本的に、すでに起きていた事件であったし、あれから20年以上も経過しても解決していない迷宮入りした事件であれば、ここにあまり細かい事を書いておくのは適当ではなかろう。デフォルメして、概要だけ書いておく。

 つまり、遡ること一年前に、ある殺人事件が発生していたのである。目撃者はいなかったが、遺留品は多くある事件である。おそらく早晩犯人はつかまるだろうと推測された。私はその事件を知っていたし、そんなこともあるのか、と他のニュースとともに、気になる話題ではあった。

 この事件、難解だった。なかなか解決しなかった。捜査当局は、捜査範囲を広げ、あらゆる手掛かりを求めて活動を続けていた。そんな捜査状況など知るよしもない私は、この事件が私に関わってくるとは、まったく想像だにできなかった。

 それは起こった。ある朝、彼らはやってきた。その真意を伝えないまま、別件の容疑で、捜査に応じるよう求めてきたのである。何も知らないまま、私は彼らの意に従った。私の知っていることを述べ、求められている資料を全て提供した。それらが、それほど、大きなことにつながっているとは思いもしなかった。

 数日、彼らと付き合っているうちに、私は気付いた。あきらかにこの人々は、私の些細な行動と、あの事件との関連性のあるなしを調べ上げようとしていたのである。いくら小説も読まず、別段にサスペンスのファンでもない私でも、容易に想像がつき始めた。

 もし冤罪事件というものが起こるとするならば、このようなタイミングで起こるのであろう。彼らは確かにこちらの弱い点をついてくる。時には取引さえ申し出てくるに違いない。しかし、途中で私は彼らの黒い意図に気づいた。明らかに私は、一つの事件の主犯に仕立て上げられようとしていたのである。

 図書館に行って、過去一年間の新聞記事を調べてみた。そう多くはなかったが、要所要所で報道は続いていた。そして、なるほど、彼らには彼らなりの言い分がありそうだ、ということも分かってきた。つまり、どうも、この事件は、日常の私の行動と多く重なる地域で起きていたのである。

 ひとつひとつを関連づけようとすれば、これはイケる!と思うほど、限りなくクロにさえ見えてくるのだから、不思議だ。自分でも、これはイケる、と思ってしまう。もし私に小説を書く才能が与えられているのなら、いつかはこの事件の詳細を書くだろう。なかなか面白いに違いない。

 彼らは調べるだけ調べあげていた。手を回すだけ回していた。それは仕方ないだろう。彼らの仕事だ。あちこち嗅ぎまわるのが彼らの習性だ。そのような業務が、この世に存在することは知っている。その業務があればこそ、私たちもまた社会の中で安心して生活できるのだ。彼らには彼らの仕事をやってもらう以外にない。

 しかし、その中心ターゲットとして、この私が狙われたのでは、たまったものではない。周囲の人たちもその異変に気付き始めた。周囲の者達とて、私のシロを疑う人たちさえあったのである。あ~~、そんなものかねぇ。そんなに私は信用がなくて、疑惑の多い奴だったのか。私さえ、「自白」してしまえば、私はひとつのストーリーの主人公になることができたのである。

 でも、まさか、そんなことができるわけがない。私は私自身が、まったくのシロだってことは知っている。どんなに調べられても、どんなに事実をねつ造されても、私は私を律することができる。明白に拒否する以外にある筈がない。

 この体験から、多くを学んだ。物事は、急激にシロからグレー化し、やがてクロと見分けがつかないくらいにダークサイドに行ってしまうことがあり得るのだ、と。それは権力とか陰謀とか、敵意、悪意、と言った類ともちょっと違う。人生が、どうも何かとクロスするのである。そのような状況を呼びこんでしまうのだ。危ない危ない。

 私は、人生の前半で結構危ない体験をした。ほとんど死亡事故と思えるような交通事故も体験した。まかり間違えば、死亡していた。思えば軽微な怪我で生き延びたことも不思議であった。病気もした。いくつも病院を回され、国立病院で余命半年と宣告され(その事を知っていたのは家族だけ)、がんセンターで半年過ごした。だけど、死ななかった。

 事故死、病死、そして次に準備されていたのは、社会的「死」だった。私は、おそらく、この場面でも死を味わっていた。人はこのようにして、社会を後にする。社会との関わりと断ち切られ、孤立し、迷妄の中にさ迷い出てしまうタイミングというものが、確かにあるのだ。

 今言えることは、私はこの社会的死からもあっと言う間に回復した、ということであろう。そして私は学んだ。マーケットプレイスで生きるには、しっかりとしたベースを作らなければ駄目だ。ふらふらしていたのでは、いつ彼らに足元を狙われて、彼らの無意識の餌食になるか分かったものではない。

 私は、資格を多くとり、社会的集団性の中に多く参加し、足がかりをつくり、ネットワークの中に積極的に入っていった。地域活動の役員を引き受けたり、公的機関の内部カウンセラーを務めた。私なりの危機意識、リスクマネジメントである。身辺を整理し、余計な誤解を招かないように、より懐を広げた。

 この体験がやがてやってくる更なる大事件に対処する心構えを作ってくれた。この世で生きるとはどういうことか。社会で生きる。マーケットプレイスにいる。市場での瞑想とはどういうことか。時間とともに自分も周囲も成長し、心構えは着々と整えられていた。

<5>につづく

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