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2014/04/20

「聖なる地球のつどいかな 」スナイダー&三省<5> 山里勝己監修 来たるべき地球人スピリット

<4>よりつづく



2013/4/23 新泉社 単行本: 288pVol.3

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<17>から続く

「来たるべき地球人スピリット」--読書ブログから見たポスト3・11--

<18>山尾三省

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 山尾三省という人の真髄あるいは集約を見るなら、晩年のアニミズム三部作を見る以外にないだろう。詩人として、あるいは環境保護運動家として、彼の多くの著書は、形としてはエッセイや随筆という形で、彼の周囲におこる出来事を、ややプライバシー過剰露出気味につづり続けた彼のスタイルは、叙事詩的ではあっても、決して集約てきではない。

 その著書は、どこを切っても三省飴、とでも揶揄すべき内容で、すでに確立したスタイルである。だから、口の悪いポンなどは、彼を三省教と冷やかしていた。どっちもどっちだが、ポンの言い分にも十分理がある。

 「来たるべき地球人スピリット」という語感でいうなら、そして、このシリーズにもし三省をリストアップするなら、ゲーリー・スナイダーとの対談をピックアップするのが正しいのだと思う。むしろ二人同時にアップしようと思ったが、どうもそれも違うようだ。

 三省に対して、例えば、シリーズ「ありがとう」の中の一節として、「ありがとう」とは、素直に言えない。感謝とか、感激とか、素晴らしいとか、なんだか、ちょっと違う。彼は近いのか、遠いのか。あるいは正しいのか、どこかで違った道を行ったのか、さだかではない。

 だけど、このシリーズ「来たるべき地球人スピリット」という文脈なら、三省の魅力は、スナイダーの前でこそ醸し出されている、と言える。スナイダーあってこその三省である。ここの文脈においては、三省はスナイダーに依拠している。

 かたや、スナイダーは、おそらく三省には依拠いていないだろう。三省の前に立たずとも、スナイダーはスナイダーの魅力を持っている。スナイダーには「来たるべき地球人スピリット」という語感に耐えうる強さを感じる。

 三省は、おそらく「スピリット」という語感が不似合いである。三省には、「来たるべき」という語感も、いまいちフィットしない。そして「地球人」というのも、とって付けたような、ぎこちなさを感じる。なにゆえなのか。

 おそらく三省は、未来志向の人間ではない。現在はともかくとして、未来か過去か、どちらかを選べ、と言ったら、彼は過去を選ぶだろう。その象徴がアニミズムという言葉だ。過去は良かったのだ。未来は危険で、間違っている可能性が高い。彼にはそう見えている。

 彼は地球人という言葉を選ばないだろう。グローバリズムよりローカリズムだ。だから、村人とか里山とか、そういう語感を愛する。その偏狭さゆえの三省の魅力でもあるし、当ブログから見た場合の限界でもある。

 来たるべきなのか、守るべきなのか、と言った場合でも、彼は来たるべき者など何もいない、と答えてくるかもしれない。すでにいるものを守れと。スピリットという言葉に対しては、三省なら、もっと違うことば選びをするだろう。心でもなく、精神でもなく、おそらくカミという単語を使うかもしれない。

 彼なら「里山のカミを守れ」というかもしれない。「守るべき村人の暮らし」というかもしれない。三省の言葉使いには、だいぶ慣れたし、真似てもみた。でも結局は、それは三省の道である。当ブログでは、この三省の道を、「来たるべき地球人スピリット」という語感で、鍛え直す。そういう意味でこそ、ここで三省を取り上げる価値があろうというものである。

 当ブログでは、シリーズ「ありがとう」も進行している。そちらのシリーズでは三省をまだ取り上げる気分にはなれない。どうも彼には、ありがとう、は似合わない。三省に対して、ありがとう、なんて手を合わせていたら、みんなで心中して自決しなければならないような気分になる。

 敢えて、当ブログは、三省を強く叩きたい。そういった意味において、彼をこのリストに載せておく。

「来たるべき地球人スピリット」<19>につづく

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