「意識とはなにか」茂木健一郎 <6>来たるべき地球人スピリット
「意識とはなにか」 <私>を生成する脳 <6>
茂木健一郎 2003/10 筑摩書房 新書 222p
★★★★☆
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<16>から続く
「来たるべき地球人スピリット」--読書ブログから見たポスト3・11--
<17>茂木健一郎
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この人の名前は、当ブログとしても、ずいぶん遠ざかってしまった。一時はマスコミの花形で、一体この人は何をする人なのか分からないまま、好感度だけが高まっていった時期があった。マスコミの露出度も高く、またその風貌も何事かを感じさせたものだ。
ブームとは、得てして落とし穴を隠しているもので、書店に行けば次から次と彼の新刊本があり、内容はやや粗雑な三流品になりつつあったが、それでも手に取り続ける、という時期があった。
案の上、彼はきりもみ状態となり、具体的には、自ら行なっていた税務が不完全で、名目の上では脱税、という汚名を着せられて、下火になった。もはや過去の人になりつつある。完全に抹殺されたわけでもなく、ちょこちょこマスメディアにも顔を出すようであるから、今後は、もう少し落ち着いて、よい仕事をして欲しいと思う。
彼の数ある著書の中で、印象的なのは、この「意識とはなにか」であろう。他の書物においても、主テーマはここにあり、また当ブログとしても期待したいのは、ここの深化である。どこかで、彼がダライ・ラマに「意識とはなにか」を問うて、適当にあしらわれるところがあったが、それは、タイミングの問題であって、彼の問いが間違っていたわけでもなく、ダライ・ラマが、その答えを渋ったわけではない。
問われるべき時に問われ、答えられるべき時に答えられるだろう、この問い「意識とはなにか」。しかし、茂木健一郎が今求めているようなスタイルでは、答えはやってこないだろう。それを知りつつ、彼は自らのスタイルを進めようとする。
当ブログは、彼のスタイルを良しとする。それはおそらく答えを得るべき正しいスタイルではない。でも、人は、それ以上の何をどうできるのであろうか。彼は問う。クオリアという仮説を立てて、問い続ける。それでいいのだと思う。科学的探究とは、そういうものであってしかるべきだ。
答えそのものは、決して科学的な形ではやってこないだろう。茂木健一郎という人を、当ブログとしては、科学者の一人として、科学的探究者の一人として認知して、この「来たるべき地球人スピリット」にリストアップする。しかし答えは科学としては来ないだろうし、また、彼自身も、科学者、と切って捨ててしまうべき存在でもない。その範疇からはみ出してしまうほどの探求心を持っている。
彼は若い。今後のこの分野での研究の深化に期待する。現代科学であれば、この「意識とはなにか」というテーマをさらに深く切り進んでいけるかもしれない。そういう期待感をむんむんと感じさせる存在である。いずれ、この分野の続報を望む。
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