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2014/04/14

シリーズ「ありがとう」<7>来たるべき地球人

<6>からつづく

シリーズ「ありがとう」<7>来たるべき地球人

 これは、正確には誰にありがとうを言えばいいだろう。言いたいことの真意をまず、先に書こう。

 ひとつ、私はOSHOのサニヤシンであり、その流れにいることを喜びとする。そのネットワークにいることも楽しい。しかし、それってなんだ、という問いかけもある。それがどうした、それが何だってんだ。

 それに対して、ネグリ&ハートが提示するところの、マルチチュードという概念がある。これって、起きている現象を、そのように理解する、という解釈であって、あらかじめ先行する概念ではない。つまりそう捉えることも可能である、という仮説であるにすぎない。

 この二つの間には、限りなく近似値を感じさせる何かがある。それを繋ぎとめるのは、ソーシャルネットワークなどの、新しいテクノロジーだ。

 OSHOネットワークは誤解されがちだが、実に組織ではないし、ネットワークでもないだろう。オーガナイゼーションというより、オーガニズムに近い。それぞれが独立しておりながら、全体として機能している。そんなイメージだ。

 しかし、私の見る所、このOSHOオーガニズムは、まだ開発されていない。可能性としてはキチンと醸成されつつあるが、まだ適齢期になる前、というイメージだ。

 ネグリ&ハートのマルチチュードという概念は仮説である。そういう実態があったらいいのにな、という推論である。その実態を彼らは探し続けている。それは、おそらく、まだ自覚していない。そして、永遠に自覚しない。

 これは可能性だ。OSHOオーガニズムは、実体を伴っているが、その機能が完全に開花しきっていない。そして、ネグリ達はマルチチュードという仮説のもとに、理想像を明確にしながら、実像を求め続けている。

 さて、OSHOオーガニズムは、自閉的になった時には、死滅する。常に外に向かってオープンであり続けながら、異種なるもの、同類なるもの、新種なるもの、まったく反対するものを、取りこむエネルギーを持ち続けてこそ、その生命は維持される。

 ネグリのマルチチュード、つまり「ネグリ」チュードは、<帝国>に対峙する勢力と規定されている。しかし、それではいずれ限界は来る。この<帝国>をも飲み込む力、共存し、変質させ、進化させる力を、OSHOマルチチュードに学ぶ必要がある。

 この二つの流れが合流するとき、そこに私は、来たるべき地球人の、本質と原型を見る。このような可能性がまだ、残っていることに、私は、ありがとう、と言いたい。そして、ここのところが、今、当ブログのキモの部分となりつつあるのである。

 そういう可能性に対して、そのような可能性を準備し、残してくれている存在に対して、ありがとう、と感謝したい。

つづく

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