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2014/04/17

シリーズ「ありがとう」<9>生きてあることに

<8>からつづく

シリーズ「ありがとう」<9>生きてあることに

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 この画像は、息子夫婦が自分たちの結婚式に際して、親としての私達に贈ってくれた色紙である。なにげなく、壁にかけている我が家の一風景であり、際立って目立っているわけではない。しかし、ふと気がつくと、このありがとうは、私達夫婦に語りかけている一枚であった。

 なんだか今回は、それこそ、このシリーズの最終回のような内容だが、ふと思いついたので、メモだけしておく。

 ありがとう、って私なんぞは簡単に言いすぎる。商売でもやっていれば、常に周囲にいる人びとはお客さんかお客さんの予備軍であり、あるいは過去においても、どこでどうお世話になっているか分かったものではない。とりあえず、人に逢ったら、ありがとうございます、と言ってしまう。

 しかし、それでいいのか。英語ではThank youだから、あなたのことを思いますよ、程度の軽い挨拶だが、日本語で言えば、有難う、だ。つまり有難き幸せ、ってことだよね。あなたに、こんなことまでしていただいて、通常だったら、とても有り得ないことではありますが、本当にこれまでしていただいて感謝しています、ということだ。

 そういう心をこめて、本当に毎日、人々に有難うございます、なんていうことはなかなか難しい。普段から毎日、そこまで意味を込めていたら、ちょっと窮屈かもしれない。

 こんにちは、なんてのも軽く言いすぎているかも。今日は、いかがお過ごしですか? というのが本意なのであるが、ただただ通り過ぎるときに、無言で通り過ぎるのもなんだか気不味いから、とりあえず、こんにちは、と頭を下げて通り過ぎる。本当にそれでいいのか。こんにちは、と言ったあとに、相手の、今日の具合を、ちゃんと聞いて受け止める余裕が、こちらにあるだろうか。

 さようなら、というのも、左様なら、だから、そのようでしたら、またお会いしましょうね、ということだが、本当に、そういう意味を込めて語っているだろうか。毎日のルーティンになって、意味のない習慣になっていないだろうか。

 インドでは互いに、ナマステ、というのが挨拶だ。ナマステとは、あなたの中にいる神様を礼拝します、という意味だそうだ。なんとも重く深い意味だが、彼らがみんな日々そう思って挨拶しているかはともかく、私は、そのような意味を込めてナマステ、と言えるだろうか。

 ある時、友人夫婦と別れの挨拶をする時に、「じゃぁ、お元気でね」と言ったことがある。元気でね、というのは本意であり、今後もずっと元気でいてほしいとは思った。しかし、彼らの本当のこれからのことを心底から考えて「元気でね」と言っただろうか。

 その時、ご婦人のほうが、振り返って「私は、そういう約束はできないな」と、返答してきた。彼女は、やや耳が遠い、難聴とまではいかないが、どちらかの耳が他人の言葉を聞き取りにくい時もあるらしい。だから、ひょっとすると、私の言葉を聞き違ったのかもしれない。

 しかし、元気でね、と言ったこちらは、日々のルーティンワークした常套句を、簡単に言ってしまっただけではないのか。元気であってほしい、というこちらの願いは伝えたが、しかし、それを相手に無理やり強要することはできない。

 そこを彼女は、本当に、キチンと聞いていて、いやそれは約束できない、と来たのかも知れない。人間、精神が優れてすこやかな時もあれば、なんだかうっ屈して気持ちが晴れ晴れしない時もある。いつもハッピーで元気とは限らない。元気でいることはいいかもしれないが、ずっとそうばかりいれるものではない。だから、ずっと元気でいることなんか、約束できるもんか、と来たのだろう。

 たしかにそうではあるが、やはり、私は、こんにちは、ありがとう、さようなら、げんきでね、を毎日繰り返している。これまで何千回、何万回とこの言葉を言っただろうし、これからも、ずっと言い続けるに違いない。そういう深い意味を込められないから、もうこれからは別な言葉にするとか、無言にするとかはできない。

 やはり、おはよう、ありがとう、すみません、と日常的なグリーティングを繰り返していくに違いない。まあ、これでもいいのだろうけれど、どうせ言わざるを得ないのなら、もう少し意味を込めて、ありがとう、というようにすることは可能だろう。

 日々、生きてあれば、グッドニュースも、バッドニュースもある。上ったり下がったりの日常である。しかし、こうして生きていること自体が、本当は、そもそもそうあることが稀な現象なのではないか、と、気付く瞬間がある。

 いたずら小僧だった自分が、こうして還暦まで生きてくるなんて、かなり幸運なことだったのではないか。かなり危ない体験も数々してきたが、何はともあれ、こうして生きているではないか。人にめぐり合い結婚もし、子供も生まれ、なんと孫まで見ることができたではないか。

 仕事もまずまずで、もうすこし収入が増えないものかと、日々思い悩まないわけではないが、人から、ありがとうございます、なんて言われたりすると、ああ、この仕事をやっていてよかったなぁ、と思わないでもない。これは天職だ、なんて実感する時さえあるのだから、まぁ、これを感謝せずして、ナニを感謝すると言うのだろう。

 ありがたや、ありがたや、となれば、なんだか横町のおばあちゃんの口癖のようにさえ聞こえて来て、なんだか自分でもおかしいが、でも、やっぱり、こうして生きてあることは、本来、あり得ないことが、あり得ている、ということにつながっている筈なのである。

 こうして生きてあることが、すべてにおいて、有り難い、と感謝できるとすれば、あとは、良い出来事も、辛いことも、すべて、それは有り難い、生きてあることの証しなのだと、思えてくるわけである。

<10>につづく

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