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2014/04/07

「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992<8>

<7>からつづく
Tuku
「湧き出ずるロータス・スートラ」 私の見た日本とOSHOの出会い <8>
阿部清孝(Sw Prem Bhavesh) 1992/06 「TSUKUYOMI」 京都・ツクヨミ・プロジェクト swモンジュ編集発行

 ツクヨミの時代

 日本のアイディンティティ探しをして行くと天皇制を中心とした神道に突き当たるが、日本オリジナルとされている伊勢を中心とした神道は渡来人の影響の色が濃い。一説に歴史の中に消えたユダヤの一族が中東よりシルクロードや半島を渡って、この列島に天孫族として君臨したとも言う。

 日本にOSHOが入るとは日本の純粋なスピリット、渡来文化に影響されない前の古神道や縄文人の自然との共存から生まれたエコロジーに、現代に生きるOSHOの純粋な100%ピュアな覚醒が入り、未来の全く荒らしいグローバルな宗教性が開かれることではないだろうか。

 「古事記」「日本書記」の神話には、イザナギ、イザナミの夫婦の間に生まれた三貴子が登場するが、太陽の出ている地上を司るアマテラス、海の世界を司るスサノオに比べ、夜を司るツクヨミについてはきわめて簡単に紹介されているだけで、詳しく述べられてはいない。元来、権力や寛大な愛を現わす太陽、広大さや力強さを現わす海に比べ、月はどの神話においてもより女性的に表現され、より精神的で時には神秘性の象徴として登場することが多い。

 日本神話においてもツクヨミが名前のみで多く語られないのは、言葉やストーリーを越えた次元で活躍するファクターとしての役割を与えられているからである。ちなみに日(か)を読むからカヨミとなり、転じて日常を司るコヨミとなる。ツクヨミは月読みと書き、人々の精神を司るインスピレーションを表している。

 英語でローソクを現わすキャンドルはもともとサンスクリットで月を表わすチャンドラであり、これがヒンドゥやインドゥに変化してインドとなり、教典において月を象徴とする精神的民族として月氏国を表記されている。OSHOとは日本語の和尚であり、アメリカの詩人ホイットマンの造語Oceaning(海に溶け去る)から、海に溶け去った人の意味も込められているが、本命チャンドラ・ラジニーシ・モハンが示すとおり、月の神秘的な精神性を象徴しているのである。

 この経緯を見て、今こそ日本神話の中のツクヨミを呼び戻すことが日本とOSHOのスピリットを繋げることになるのだという直感から、京都の翻訳家Swモンジュは90年夏にミニコミ「ツクヨミ」プロジェクトの活動を開始している。エソテリックな世界に関心のある彼の動きには根強いファン層があり、最近は新しい時代を感じさせる全国的なフォーラムを提供している。

 高まるエソテリックな雰囲気のなかでミステリー・ワークとして、「私」は誰か、なぜ私はOSHOムーブメントに関わるのか瞑想して行くと、直感としていくつかのことがおぼろげながら解ってきた。最初は断片的な夢やビジョンや思い込みの羅列だったが、客観的な裏付けはないものの自分の転生歴に整合性を持たせると、次の様な概略のストーリーが出来上がる。

 かつて私はムー大陸に生まれ、かがり火を祀る若いミコになったが、ひたすら踊り祈るだけでムーの情念の文明が地震や噴火の「火」のエネルギーで滅びつつあることを知らなかった。

 やがてレムリア大陸に転生して都市計画者になった私は、球体を基礎とする理論を打ち立て功名を得たが、心の何処かに隙間を感じていた。晩年になって山中のコミューンに隠遁して土と汗にまみれながらも満たされた人生を送り、陰と陽の融合の文化を理解したものの、箱庭的平安に終始し「小乗」のカルマを残してしまった。 

 転じてアトランティス大陸の科学的探求者となった私は、打ち続く自然の異常現象に危機感を持ち、海岸の岸壁にあった石窟寺院で仲間達と瞑想して文明の危機を救おうとしたが、すでに時期遅く、知性に偏った文明は「水」によって滅びていく運命にあった。

 押し寄せて来た大きな津波から海岸を走って避難中、砂に足を取られてころび波に飲み込まれた。溺れて気を失い始めた時、忽然とムーよりやって来た一体の龍が天空に現われ、こんな約束をしたのだった。

 「ムーもアトランティスも偏った文明で滅びてしまった。何時か遠い未来にあなたはまた同じ様に文明の危機の時代に生を受けるだろう。再びその日が巡ってきたら私はその時にこそ必ず来たって最大限の助力をするだろう。しかし、今回はこのまま行きなさい。」

 やがて700年前のチベットでは、OSHOの過去生である菩薩が、未来にもう一度だけ転生することを約束し106才で入滅する時、私は熱心な信者家族に生まれ16才の少年になっていた。菩薩の死を悲しみながら、まだ十分に彼の教えを吸収理解していなかった私は、彼がやがて最後の肉体を持ったならば、仲間達とともにいち早く駆け付けようと心に誓うのだった。

 そして1931年ネイティブ・アメリカンとして生まれた私は、インドに転生していたOSHOが最後の光明を得て、惑星全体に約束のヴァイブレーションが起きた53年、そのショックで思いも寄らぬ事故に巻き込まれ、数十日の間、意識を失い冥府をさ迷うことになった。無意識の中でもう一度生き返ることも、このまま死ぬことも選択する自由が残されていたが、事の次第を理解した私の魂は、もう一度転生して彼の元に駆けつけることにしたのであった。

 56億7千万人のマイトレーヤー達

 最近は、HIV1、HIV2以外にの新たに存在が確認されたエイズ・ウィルスまでも人類の行く手に立ち塞がり、今やキスでも感染することが分かり、国際保健機構(WHO)の発表によれば、毎日5000人のキャリアが増え続けていると言う。

 また地球そのものも動き出し、何人ものおノーベル賞受賞者を要する研究所の代表でもあり、「スピリット・オブ・プレイス」でも来日した天体物理学者エリザベス・ローシャー女史は、最近三陸沖でも起きている群発地震は、阿蘇山噴火やカリフォルニアの地震とも連動し始めており、独自の地磁気データ研究を元に今年9月にはアメリカ西海岸を巨大地震が襲うだろうと予言している。

 日本の海岸には人食いザメが押し寄せて海水浴客を襲い、社会的にも共産主義圏の経済崩壊ばかりではなく、最近のアメリカの黒人暴動の多発に見られるように、地球上の人類はまったく悪夢のようなこの世紀末についに突入したのである。

 このような危機に際してもブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された「地球サミット」では、結局は南半球と北半球の責任転嫁と、欺まんに満ちた物と金のぶんどり合戦が演じられた。今こそ人類と地球のスピリットこそがテーマの中心になる時であり、ちなみに「スピリット・オブ・プレイス」のシンポジウムの最終回は93年1月末に、ニューヨークの国連を会場にして開催される方向で準備がすすんでいる。

 リオでも「昨年、仙台で素晴らしいシンポジウムが開かれた」と話題になていたそうで、三万人サミットの総合プロデューサーを務めたダイアン・シャーウッド氏も協力を申し出て、実行委員として全面的に協力してくれることになったのである。喜納昌吉とチャンプルーズを初め、昨年スタッフとして参加した私達も招待され発言のチャンスが与えられている。

 一方、今年12月に国連で開かれる「1993年国連原住民年」のオープニングのセレモニーを、ネイティブ・アメリカンの儀式とメッセージでと、副事務総長からホピ族の長老トーマス氏に要請があり、現地の若い人々は国連のドアがついに開いたと興奮していると言う。

 最近日本ではPKO法の制定により、国連主導型の世界平和維持軍の必要性が説かれているPeace Keeping Operationだが、何時までも地球人が地球人に銃を向けることで地球上の平和が維持されると考えているとしたら、あまりにも滑稽で、あまりにも寂しい。

 オウム真理教、幸福の科学、愛の家族、原理統一教会と、マスコミは次から次へと新宗教、新新宗教をネタにブームを作りだしているが、彼らの一体何処が新しいと言うのだろうか。古い教典をこね回し、メシアを立て、人々を組織する。この構図の中には何ら変わることのない旧態以前とした人類の無意識と無責任の上塗りしかないのではないか。今回はもうそんなことでは抜本的な解決にはなりはしないのだ。

 国連から危機に瀕している地球と人類にOSHOのメッセージを届けるとしたら、今こそかつてOSHOが国連に出した報告書「私達の共通の未来」について語った「大いなる挑戦---黄金の未来」をもう一度再検討してみるべきだと私は思う。ひとつの世界政府やコミューンの世界あるいは能力主義といった極めて画期的な方策について語られたこの本に、私達は今だにとてつもないインパクトを受けるとともに、OSHOの人類に対する愛と信頼を感じるのである。かつて出版当時に批判も多かった「受胎調節と遺伝子工学」の部分も含め、今こそここで語られた真意について、耳と心を傾ける時ではないだろうか。

 あらゆる精神世界に言及したOSHOは特に仏教に多く触れ、般若心経をハート・スートラ、金剛経をダイヤモンド・スートラとして語り、古びた教典に全く新しいエネルギーをそそぎ込んだ。最晩年は法華経をロータス・スートラとして語る準備をしていたが、幸か不幸か、大いなる存在は彼にその時間を与えはしなかった。

 OSHOが残した夢はもはや言葉の次元を超え、インスピレーションとなって私達を激しく優しく誘い続けている。私達に溶け込んだ彼のエネルギーは、全く新しいロータス・スートラとなり、地球のスピリットとなって湧き出すことだろう。

 環境運動も国連もノーベル賞も近代オリンピックも、全てユダヤの秘密結社フリー・目―損の陰謀であるとする人々もあるが、大和魂もユダヤ・マインドも過去の狭い条件付けを受けない地球人としてのニューマンの登場によって受け入れられ、瞑想によって洗い流されて行くことだろう。

 日本とOSHOの出会いが生み出すもの、それは人類一人一人が覚醒し、56億7千万人のマイトレーヤー達となって作る、黄金の未来である。

 

(完)

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