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2014/04/20

村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」<2>来たるべき地球人スピリット

<1>からつづく 

走ることについて語るときに僕の語ること
「走ることについて語るときに僕の語ること」 <2>
村上春樹 2007/10 文藝春秋 単行本 241p

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<18>から続く

「来たるべき地球人スピリット」--読書ブログから見たポスト3・11--

<19>村上春樹

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 村上春樹から一冊あげよ、と言われれば、私はこの本を真っ先にあげるだろう。この本は小説ではない。小説家の書いた本なら小説の中から選ぶべきだろうが、それは、ワン・オブ・ゼムとなって、他の本たちの存在を、暗にほのめかすことになる。

 何冊かあげよ、というなら別な選択もあるだろう。しかし、たった一冊となれば、他の存在を拒否し、これ以外にない、というものを選び出す以外にない。私は小説を好んで読むほうではない。いやむしろ、小説を読むことは大儀だと思うことのほうが多い。

 この本は小説ではない。そこがいいのだろう。そして、私が彼に書いてほしい一説をずばり言っているところが嬉しいのであろう。

 走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空は空のままだ。雲はただの過客(ゲスト)に過ぎない。それは通り過ぎて消えていくものだ。そして空だけが残る。空とは、存在すると同時に存在しないものだ。実体であると同時に実体でないものだ。僕らはそのような茫然とした容物(いれもの)の存在する様子を、ただあるがままに受け入れ、呑み込んでいくしかない。「走ることについて語るときに僕の語ること」p32

 ある意味、彼の数多い言葉の中から、この一説を見つけ出せば、あとは正直言ってもう、どうでもいtい。あとはお好きなようにどうぞ言葉遊びをしてください、というしかないのである。

 この本は、ちょうど村上春樹56歳と7ヵ月から始まっているところも、お気に入りの一冊になった要因である。当ブログには当ブログなりのこだわりがある。

 この村上春樹を、当ブログの「来たるべき地球人スピリット」リストに加えることに、まったく齟齬なしとはしない。添わせるには、多少のガタゴトがある。それでもなお、これはこれでいいのではないか、という面白さを感じる。

 とくに、科学、芸術、意識、と分けた場合、もし芸術の面白さを、仮に小説とか文学とかに見る場合、ブログ上でハルキをいじることは、なにかと魅力的にも思える。小説とか文学とかいう奴は、みんなでワイワイ、いじってナンボのもんでしょう。これだけ数出されていれば、いじるにいじりやすいし、彼もそれを望んでいるに違いない。

<20>につづく

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